推し作者が婚約破棄されたので、俺が幸せにします(後編)
ガーネット侯爵令嬢は、鋼色の髪に赤い瞳を持った、とてもきれいな少女だった。
小説の中には名前だけしか出てきていないので、まったくその容貌を知らなかったが、婚約破棄をされたぐらいなので、義母は可愛いと言っていたが、容姿は平凡なのではないかと思っていた。
しかし出てきたのは、間違いなく美少女の部類に入る。いささか胸がささやかかもしれないけれど、スレンダーな体形だと思う。
マジで何処に目をつけているんだ、王太子。
恋は盲目というが、こんな美人を婚約者として捕まえといて、ちょっと変わった平民に目移りして、十八歳で破棄して捨てるとか人でなしだ。もしも王太子と婚約していなければ、彼女には婚約申し込みが殺到していただろう。
王族へのムカつくことがこれでまた一つ増えた。
とはいえ、性格に難がある可能性もある。
「ようやく会うことができて光栄です、柘榴石先生。いえ、ガーネット様?」
俺が声をかければ、何処か挙動不審になった。もともと目がウロウロとさまよっていたし、やはり彼女は俺のことを知っているのだ。
でも本が書かれたころの俺は金髪を短くして常に帽子をかぶっていた、娼婦の息子だ。その状態で俺が将来的に貴族に引き取られ、茶色に染めるなんて分からないはずだ。
何故彼女は未来のことを書けたのか。
疑問はつきないが、俺はひとまずその疑問はわきに置いておくことにした。見ず知らずの相手に話すとも思えない。
そして無事に強奪……もとい、お借りできた出来立ての続編を最初に目を通させてもらった。
そうか、あのシーンはここに繋がったのか。
……なるほど。だからこうなるわけか。
長年求めた小説の続きには怒涛の情報量が詰まっており、ずっと飢えていた何かを満たしてくれる。
ヤバイ。すごい幸せだ。
柘榴石先生ありがとうございます。
最後のピリオドまでしっかりと目を通した俺は、満足のため息をついた。
しかしすぐさま、自分がどこにいたのかと、何のために原稿に目を通したのかを思い出す。やべぇ。ちゃんと、必要なことは言わないとだ。
「ボツ」
「ボツはないでしょ?!」
俺の言葉に、ガーネット様は今までの令嬢らしさを脱ぎ捨てて叫んだ。
ああ。彼女も作品を愛しているんだ。
でも当然だ。これだけの量の文章を書くことは並大抵のことではない。
俺は作品を作る上で、自分がとても有益であることを証明するために、駄目な点を伝える。ついでに、紫水晶の君の問題点も入れた。
あれは俺じゃない。俺はあんなに鬱屈として、歪んだ恋にとち狂った男じゃない。自分ではないと思えば、登場人物としては面白いが、あんな病んでるような奴が俺だと言われれば断固として拒否したい。
なので紫水晶の君の特徴を俺から遠ざけてもらう。
既に初刊で茶色の髪色が明記されてしまっているので、俺自身も今後のために、髪色を染め変えて赤毛、または黒にでもする必要があるだろう。
結果的に、俺のボツは採用され、ガーネット様は小説を書き直してくれることとなった。
後は俺がガーネット様の執筆を邪魔するもろもろを取り除いていかなければいけないなと決意する。
ひとまずガーネット様は引きこもって執筆作業だ。
執筆で俺が手伝えることはない。なので俺は社交に出ることにした。
正直貴族の社交は、元娼婦の息子であり、孤児でもあった俺からしたら、見栄を張るだけのくだらない場に見える。女性が最新のドレスや宝石で身を飾り、男はそんな女性をアクセサリーとすることで、自分の価値を知らしめる。
できることなら不参加にしたいが、今日はそうもいかない。俺が柘榴石先生を高みにあげて見せる。
「……へぇ。そうなのですね。実は私も投資しているんです。投資先は出版社なのですが、その出版社、もうすぐあの【聖石の乙女】の続巻を発売するそうですよ」
「「「えっ。なんですって」」」
さりげなく新刊情報を伝えれば、若い女性たちが目の色を変えた。
そうだろそうだろ。続きが欲しすぎて、乾ききった砂漠のような状態だよな。そこへの突然の供給予告。目の色を変えるのは当然だ。俺もよく分かる。
「あ、あの。あの本は……今、社交会の話題をさらっている方のことを書かれているのではないかという噂なのですけれど。実際のところどうなのですか?」
「柘榴石先生が八年前に書かれたものですから、どうでしょうね。ただ私も、とてもよく似た状況だとは思いますが……」
「わたくしは、柘榴石先生が予言を書かれたのではないかと思っていますの。だって、殿下が贔屓していた平民の女が、まさか聖石に選ばれるなんて、普通は思いつかない発想ですわ」
貴族が平民と身分違いの恋をするという話はないわけではない。でもそこから平民が聖石に選ばれて、貴族より上になるなんていう流れの物語を書いたのは柘榴石先生だけだ。
もちろんこの後その聖石に選ばれたからこそ、主人公は大変な目に遭う。騎士階級を得たのと同じような、危険が伴う義務に対しての称号なのだ。体を張って皆を守っているから、上になるというのはギリギリ受け入れられるつくりになってる。
「……もしかしたら、殿下もあの本を読んだのかもしれませんね」
「えっ。どういうことですか?」
俺がニコリと意味深に笑えば、話に食いついて来た。
実際のところ、俺は【読んでいない】と思っている。そうでなければ、いくら何でも自分のことを書かれてると俺のように気がつくはずだ。
八年前に書かれたというあり得ない状況。
それでもなお、類似点が目についてしまう。
でもそれを逆の発想でとらえてやれば、面白いように事態は動くはずだ。
「私の義母から聞いたのですが、ひと昔前、私からすると曾祖母のころの話です。その頃は聖石は王家預かりではなく、各地に散らばり、聖石に選ばれる人はいまよりずっと多かったと聞きます。それは聖石を一目見る機会に恵まれていたからでしょう。きっと平民にも見る機会はあり、選ばれることもあったのではないでしょうか?」
「ああ。それはわたくしも聞いたことがございますわ」
俺より年上の女性が相槌を打つ。周りより年がかなり上なので、社交会に初めて出るご令嬢に付き添うシャペロンだろう。
相槌が貰えたのは丁度いい。
「王家は尊い聖石が紛失しないよう、厳重に管理するために王家に集めたのは悪い話ではございません。ただ殿下はあの平民の少女を聖石に選ばれる前から特別にされていたご様子です。しかし平民と王太子では身分が違いすぎる。また当時殿下には婚約者がおりました。まったく非などない婚約者です。だから平民である彼女の身分を繰り上げ、婚約者よりも大切にしなければならないという建前を作るために、聖石に選ばれないか試したのではないでしょうか? あの小説から発想を得て」
「まあ」
「そんな」
彼女たちは気の毒そうであると同時に、好奇心が抑え切れないような顔で互いに目をやり合う。
実際のところは、偶然なのか故意なのかは知らないけれど、小説を読んでいたからだとする方がつじつまが合わせやすい。
「全ての人間が聖石に選ばれるのだとしたら、王族の中でも選ばれた者が出るのでしょうから、絶対選ばれるとは限りません。それでも殿下は賭けに出て、見事それに勝たれたのでしょうね。……ガーネット様もお可哀想に」
「あら。貴方はガーネット様とお知り合いでしたの?」
「ええ。正直に申しますと、私が一方的に恋焦がれておりました。しかしつい先日、知り合い、言葉を交わすことができました」
「「「まあ」」」
ずっと昔から柘榴石先生に会いたかった。その想いを込めて話せば、皆が頬を染め、目をきらきらとさせた。
「ガーネット様は、とても落ち込まれておりました。いたし方がないこととはいえ、一方的過ぎる婚約破棄でしたので」
「そうですわよね。わたくしも、殿下のなさりように腹を立てておりましたの」
「しっ。……できれば王家を批判するような不満は、胸にしまってください。ガーネット様は、自分のことで周りの方に咎が及ぶのを一番恐れておりましたから」
「自分が一番辛い立場ですのに、なんとお優しい……」
それに比べて、あの平民はという言葉を呑み込んだまま、冷たい視線が殿下や聖石の乙女の方へと向く。
「だからできるだけ、ガーネット様のことはあそこにいる人達の耳に入らないようにしていただきたいのです。もちろん小説で知ったと、聖石にまつわることも口にしない方が無難でしょう。むしろ小説のことを彼らの前で話すのはやめた方がいいかもしれません。ガーネット様と婚約破棄をするために王太子が一芝居うったなんてことが広まれば、それを否定するために、再びガーネット様に対して王太子が婚約を申し込むかもしれません」
それらしい建前を述べたけれど、本当の目的はちょっとずれる。
続刊の小説の通りならば、王太子は聖石の乙女と結ばれない。
これを事前に知られると、対策を取られそうなのが厄介なのだ。別に平民の女をどうやったらものにできるかの悪だくみなら大いに結構。勝手にやってくれ。楽しく見守ってやるから。
でも聖石の乙女と結ばれなかった時の保険として、やっぱりガーネット様と結婚したいとか言い出しキープしようとしだしたら邪魔だ。
そんな奴と結婚して幸せになれるとはとてもじゃないが思えない。ガーネット様と結婚したにもかかわらず、聖石の乙女の望みを優先させるに違いない。ガーネット様が得られるのは、地位と王妃業務のみ。
彼女のたぐいまれなる文才は永遠に眠ることになるだろう。あんなに生き生きと書いているのに。
ガーネット様にはボツと言われたら怒るぐらいの情熱があって、それでも書き続けられるという愛があるのだ。何人たりとも、その邪魔はさせない。
「ですから、ガーネット様のことも【聖石の乙女】の話題も王家の方々の前では口に出すことは止めませんか? ガーネット様にはできるだけ心安らかにいていただきたいのです」
「ですが平民に王妃が務まるとも思えませんし、口に出さずともガーネット様に、恥知らずにも再度婚約を申し込むこともあるのではございませんか?」
「申し込めない状態にしてしまえば……いかがでしょう? いくら王家の後光があろうと、結婚した者を別れさせてまで結婚するなんてことは考えられません」
「えっ。ということは……」
期待するような目に、俺は首を横に振った。
「まだ心を痛めたばかりのガーネット様にそのような申し込みなどできません。私はガーネット様に寄り添いたいのです。もちろんガーネット様が私に心を開いて下さったあかつきには申し込みますが」
俺なら彼女の才能を潰させはしない。
彼女が彼女の気持ち以外の理由で筆を折ることがないように、環境を整える。
でもそれは、彼女がそれを望んだ時だけだ。
「このこともご内密によろしくお願いします」
俺の言葉には、笑顔が返ってきた。
冷ややかに見られる、王太子たちとは違って。
時は経ち。
【聖石の乙女】は想像以上に売れた。
貴族だけでなく、平民にも受け入れられ、空前絶後のバカ売れだ。
出版社は大きくなり、聖石の乙女に続けとばかりに、女性が筆をとるようになった。もちろん聖石の乙女は続編のそのまた続編と書き続けられた長編小説になり、そこから舞台へ、さらに戯曲へと広がった。
王太子は小説通り、聖石の乙女にフラれた。
フラれた後に、この小説を知ったようだが、もうあとの祭り。広がりに広がった小説は出版停止にしたところで、皆が持っていて意味がない段階になっていた。
柘榴石先生はどこの誰なのかと探る人もいるが、俺が絶対に漏らすなとしっかり釘を刺している。若い時に誓いを立てた通り、俺は何人たりとも彼女の執筆の邪魔はさせない。
だから柘榴石先生は、今も平和な顔で、俺の隣で執筆している。