とりあえずまた今度
またいつか会いそうですね。
少年が何かしらの決意を決め込んだ後、そのぐらいのタイミングにて。
魔法使いと魔術師たちはこれ以上何を語るべきなのか、互いが互いに行く先を見定めることも出来ずに、どうにもならぬ沈黙に喉を圧迫されていた。
取りとめもなく、特に大した実りも期待できそうにない、ボソボソと無味無臭の会話劇を二度三度繰り広げた後。
「さて、と」
ついに降参と言わんばかりの気だるさを滲ませて、エミルは展開していた布状の魔術をいそいそとしまい込んでいく。
「エリーゼ、そろそろオレ達はおいとまさせてもらうとするか」
「あれ、もういいんですかあ?」
意外そうにしているエリーゼに対し、エミルは棒読み気味の口調でこれからの予定を組み合わせる。
「まあな、彼らはどうにも何も知らなさそうだし、今日のところはこれ以上引き留めるわけにもいかねえしな」
まるで今後とも調査の対象にしようとしていることを遠回しに宣言しているかのような、穿った見方をすればそう解釈することも出来る言葉だけを。
そうしながら、魔術を完全に仕舞い込んだ男魔術師は最後に、すでに聞き飽きるまでに繰り返された言葉を残していく。
「本当に、本当に知らないんだな? さっきの少年……我々にとっての容疑者に当たる人物の事を、彼の事を何も知らないと」
瞬き少なく、ギリギリ睨むかどうかの瀬戸際程度の眼光が、晴天の空のような色合いで魔法使いたちを見下ろしてくる。
「何度言ったらわかってくれるんですかね」
エミルより背の低いオーギは、皮肉を込めた前置きを添えて最終的事項を思いつくままに述べる。
「俺たちはそんな、見知らぬ未成年犯罪者とやらの姿かたち、声だったり食の好みだったり、あんたがた自警団に役立ちそうな情報なんて、何一つとして持ちあわせていねーよ」
言葉が口から発せられる、その動作が肉を振動させるがままに、オーギは流れるような動作で自分の近くにいる後輩魔法使いに同意を求める。
「なあ? キンシよ。俺たちなにも、こんな犯罪者らしき野郎の事なんて、何にも知らねーよなあ」
「へ、え」
後輩魔法使いは一瞬だけ戸惑いを見せたようにして、
「はい。はい、そうですね」
先輩から向けられる言葉そのままに従って、後輩は数回ほど大きくうなずいた。
男魔術師はそのような、彼らの反応をひとしきり見つめた後、最後に聞こえるか聞こえないか程度の吐息を吐いて。
「そうか、そう言うことなら、忙しいところ悪かったな」
手の中に残される、もうその内部に一筋の糸も含まれていない硝子のコップを懐へ収納する。
と、そこであることを思い出したかのような表情を作り。
「あ、そうだ。一つ忠告することがあるんだが」
あからさまに分かりやすい動きをしている、そういった顔面においても瞳はどこにも焦点が合っていないように見える。
「もう映像はしまっちゃったんで、確認することは出来ないんだが。容疑者はどうやらとある危険生物を連れて歩いているそうだ」
「危険生物?」
立て続けに登場してくる非日常的単語に、オーギはそろそろ辟易した気分にすらなってきていた。
「そんなもん、それこそ人間以上に危険な生き物なんてものは、ここには沢山いまくりやがると思うけどなあ」
口を動かしながら向けられる視線の先に、網の中でぶら下げられている怪物の哀れな姿が映り込む。
相手の動作を読み取り内心をおおよそにおいて察したエミルは、ちょうど良いと言わんばかりに口の端を上向きに曲げる。
「そうそう、君が憂うように、その危険生物と言うのはあの生き物と深く関係しているらしいんだ」
決して明確さがある訳でもなく、むしろ不親切なまでにアバウトな言い回しを意識していたと思えるのだが。
しかしそうであっても、エミルの口から発せられた新情報に対し先輩魔法使いは零れ落ちんばかりに眼球を外気に晒す。
「まさか……」
「ああ、そのまさかだ」
エミルはどこかおかしみを感じさせる雰囲気をまとって、自分たちが有している事柄を小分けにして与えてくる。
「冥人、めいにんだったか、みゃうにんだったか。なんて言うんだったかな?」
「みょうにん、ですよセンパイ」
「ああ、そうだったそうだった。冥人、が今のところの正式名称だったっけな」
男と女は何のためらいもなさそうに、あくまでも表面上はそういった体を装いながら、捨て台詞のように事情を説明していく。
「かなり珍しい症状を保有している個体が、被害者の自宅に保管されていたらしくてな」
「そうそう、そうなのよー。だからアタシ達は、つまり自警団の中ではとりあえずその個体を捕獲、保護することを第一の目標としていてー。その中でアタシとセンパイと、ごく限られた構成員がさっきの男の子を捜索しているワケなのよお」
エリーゼと言う名の魔術師は言えるだけの台詞を言い終えると、くるりと踵を返して隣の先輩に目配せをする。
「と、いう訳だ。君たちも職務に勤しむことは十分に結構だが、身の安全は出来るだけ自分で管理するように、ってことだ」
エミルと自らを名乗る魔術師は、笑顔とも取れそうにない微妙な横顔だけを、名残を惜しむこともせずに魔法使いのもとから去って行った。
「あ、センパイ待ってくださーい。オチビちゃんたち、バイバーイ」
魔力鉱物をたっぷり搭載した飛行船に乗って、遥か彼方の上層区域まで去りゆく魔術師たち。
それらの大群が遥か遠くまでかすみ、鉱物採掘場からはもうゴマの一粒ぐらいにしか見えなくなった頃合い。
「さて、と」
それまで何一つとして音声を発することもせず、ぼんやりとしている風に沈黙をしていたオーギは、これ以上ここにいる必要もないと後輩に声をかける。
「化け物の回収も、その他事後処理も人任せに出来るそうだから。これはこれでラッキーだったなあ」
キンシは答えない、答えることが出来なかった。
「……、……」
深さがある訳でもなく、いたって通常のリズムに乗って繰り返される呼吸音。
雨はだいぶ強さを増していて、いつもならば夕暮れが近付くにつれて薄くなるはずの灰色は、今日というこの日に限って何故か何時までも、何時までもしつこく空を覆い続けている。
分厚い水蒸気からもたらされる液体の粒に濡れる魔法使いは、皮膚を伝う水分の冷たさを拭うこともせずに、ただただじっと静止したままに思考を巡らせていた。
乱れに乱れた毛髪は水分を大量に吸い込んだままにべっとりと、黒い毛先を好き勝手にあちらこちらとはね飛ばしている。
その中で一筋、白みの強い金髪が嫌に重さを強調して輝いている。
「キンシ!」
「痛い?」
だがそんな、独りよがりの思考ループなど、それこそ今しがた繰り広げられたやり取り以上に下らぬと、言わんばかりの腕力にてオーギは後輩の肩を強く叩く。
「いつまでもこんな所で、わざわざこんな寒いところで考え事なんてしてんじゃねえよ。風邪ひくぞ」
「そ、そうですね……」
キンシは最初こそ先輩の意見に対して同意をしてみたものの。
「ですが、先輩」
流されかけていた感情を元に戻して、らしくないことをしていると自覚していながらも、今は先輩魔法使いに対して反論をせずにはいられなかった。
「ご忠告感謝しますが……、しかし、今はその、えっと……」
上手いことこの状況を説明できる、言い訳に等しい言葉を見つけられないでいる。
「まあ、何でもいいけどよ」
そんな後輩魔法使いに、オーギはやれやれと呆れたようなポーズをつくる。
「せいぜい体に無理をしない程度に、好きにしてな。俺は先に、下で待っているシマエと皆に事の終わりを色々と伝えてくるわ。頃合いまで好きなだけ、せいぜい考え込んでな。それじゃあ」
オーギはひょい、と魔力に頼る落下に身を任せて下層に向かう。
残されたキンシは先輩に言われる必要もなく、もう一度思考の海へと。
「…………………」
そんな魔法使いの様子を、トゥーイは一貫した沈黙の中で見つめ続けた。
近年、波声湾にて複数の不審船の目撃情報が報告されています。
見つけた場合は安易に接近しないように、自警団の相談窓口までご報告を。




