ライトかライトじゃない、その違いとは?
何となくの雰囲気でしかないと思います。
「センパイ」
エリーゼは戸惑いなく、迷いもなく手の中の情報源を先輩魔術師に押し付ける。
「さあさあ、センパイ、お疲れのところ申しわけありませんが、いつものをお願いしまーす」
後輩からの純真なる要望に対し、エミルは一度だけ億劫そうな溜め息をこぼす。
そしてすぐに、仕方なしとエリーゼから一枚の写真を受け取る。
そして改めてキンシ達と向き合うと。
「では、今からもっと子細なる情報を映し出すんで、もう少しお付き合ってもらおうか」
そう言いながら、エミルの手の中にはいつの間にか小さなコップが握られていた。
「?」
いつの間に、いつからそんな物を、一体どこから。
キンシが疑問に思っている間、エミルは平然とした様子で透明なコップを少し高く、胸の前ほどの位置に掲げる。
それは何の変哲もない硝子製の、その辺の雑貨屋にいくらでも安売りされていそうな、一般的であまりにも普遍的すぎる。
そんな形状の、なんの装飾も取っ手も施されていない、必要最低限でごくごくシンプルな形。
大人の片手にすっぽりと収まりきる、片手のコップをエミルはしばし凝視する。
じっと、二つの青い瞳孔が硝子の内部に矛先を集中させて。
はて、彼は一体何を。
喉が渇いたから、これから水でも一杯飲むのだろうか。
キンシが一つ妄想を巡らせていると、コップの内部を中心として男魔術師の手の平の内にとある変化が生じ始める。
それは最初、コップの中に空から落下する雨粒が溜まり、持ち主の肉から伝わる振動によってそれが揺らめいている、ただそれだけのことだと思い込もうとしたが。
しかしその主幹はすぐさま否定されることになり、コップの内部にはとても雨水とは思いが大量の液体が渦を巻いて。
いや、あれはそもそも液状とよべるのだろうか。キンシは視覚から得られる情報に対し、新たなる疑問を抱き始める。
柔らかさの上では限りなく水のそれと近いのかもしないが、それにしてはどうにも個体としての主張が強すぎる気がする。
その主体が一体どんなものなのか、キンシは自分で考えていながらもよく理解できてはいない。
それでも、今魔術師のコップの中にある物体は確実に、少なくともさっきまで生きていた怪物の肉体よりは柔らかさが足りていない。
あれは、そうだあれは。
「糸? 糸がいっぱい」
キンシがようやく納得のできそうな認識を得る。
それと時を同じくして、コップの中にこんもりと渦巻く糸の塊が強風にあおられたかのように、内部から外部へと高く舞い上がる。
「うわ」
白くきらめく細やかな筋がこっちの方に飛んでくるものかと思い込んだキンシは、つい反射的に手を前にかざして防御の姿勢を作りかけてしまう。
しかしその動作も結局は杞憂に終わり、コップの中から溢れかえる糸は最初こそ不安定であったものの、大して時間もかからぬうちに一定の安定感を全体に帯び始める。
白く滑らかな糸の大群。
それが一定の方向に流れをそろえ空気中にたゆたい、強固な撥水性で雨水を拒絶している。
一筋も乱れることなく一定のリズムをとり続ける、それはまるで極小の竜巻のようになっている。
細いとの渦はある程度まで空中にその範囲を広げると、とある領域にてその形質を変化させる。
エミルの視線が不安定に震え、コップを握る指に圧迫力による熱に震動する。
そういった魔術師の様子もさることながら、魔法使いの視線はとにかく糸の渦へと主に注がれ続けていた。
「おい、」
エミルが集中力の合間、緊張を継続させたままの状態で後輩魔術師に指示を出す。
「そろそろ頃合いだ、情報源をここに入れろ」
エリーゼは不必要に何かを言うこともなく、手の中にあった写真を何のためらいもなく、当たり前に慣れきった作業の内の一環として糸の渦の中に刺し込んだ。
ピラピラと安直な構成の紙に印刷されている、不明瞭な画像が糸の中にするりと埋め込まれ、完全に呑み込まれる。
糸の中に写真を刺し込む、二人の魔術師がそのほかの手順をああだこうだとしている。
「あれ、なんか上手く吸い込んでくれませんね、センパイ、これはどういうことなのです?」
「あ、何やってんだよ……。もう少し強くさし込めばいいだろ」
「そんなことしたら、写真が破れちゃいますよー」
「別にいいだろ写真ぐらい、画像そのものはいくらでも刷り直せるんだから」
「センパイももっとやる気だしてくださいよお、何なんですかそのダルダルの糸は」
「しょうがねえだろ……、いくら魔術でも一日の内に何度も何度も使ったら疲れるもんなんだよ」
なんとも言えぬやり取りをこっそりと、ヒソヒソ声の中でやっているなかで。
「ねえねえ先輩」
他にすることもなく暇を持て余している魔法使いたちは、与えられた余暇の中で勝手な議論を繰り広げようとしていた。
「僕、前々から気になっていたことがあるんですけれども」
視線を魔術師から外すことなく、それでいてどう考えてもこの場面に関係なさ疎な質問をしてくるキンシに対し、オーギは最初こそ無視を決め込もうとしたものの。
「使っているものは、活力にしているものは大体一緒なんですよね? そうだとすれば、魔法と魔術をわざわざ組み分けする意味なんて、無いように思われるんですけれども」
「あー、それはあくまでもお前の主観でしかねえんだよ」
己の欲求に抗うことも出来ず、小声ながらにも後輩に対して反論を述べずにはいられなかった。
「俺たちはこうして魔法を当たり前のように作って、使うことを日常の中に繰り返しているがな。でも、みんながみんな俺たちと同じように出来るなんて、そんなことがあり得るわけがないだろうよ。魔法を使えない奴もいる、そういう人等は魔術を使う」
オーギは魔術師から少し視線を逸らし、何もない空間に意味もなく目を滑らせる。
「魔法が直感的にしか使えないものだとすれば、魔術ってのはもっと理論的に近いものらしいんだけどな。どっちにしろお前らや、もちろん俺にとっても、専門外の世界だよ。努力なしに魔力を使えるツールだとしても、俺はどうにも好きになれねーけど……」
そして元の位置に、魔術師たちのほうへと視界を定める。
「人工に頼りすぎると、何でも余裕が出来過ぎるからな。いつ、どこで油断して、それが自分の喉笛を掻っ切るか、わかったもんじゃねえ」
「でも、」
先輩からの意見を一通り受け取ったキンシは、ある程度の納得の上で自分なりの総合をつける。
「決められたルールの上で、答えのある形式が作られているってのも、なかなかに凄いことだとは思いますけれど。少なくとも僕にはとても出来ません」
魔法使いが雑談をしている、その間に。
「あー来た来た、やっと反応し始めましたよお」
エリーゼが、彼女もまた疲労によって感覚がだいぶ麻痺してきているのだろうか、若干周りにそぐわぬ声量にて魔法使いたちに報告をする。
「すみませんねえ、センパイの調子がどうにも悪くって、魔術回路が上手く働かなかったんですよお」
格式じみた言い訳を口にする、女魔術師の表情は明朗そのものであって、まるでこれから素敵な新情報を伝える通販番組の語り手のように、スルスルと口が動き始める。
「さあさあ、今からこの糸たちが紡ぎだす、記憶の映像をよくよーくご覧ください。そして何か思い当る事があるならば、誠意をこめてコメントを」
渦巻き滞っていた糸の大群が、人間の指令によって膨らみ。
やがてそれは一枚の布へと、折り目を感じさせない艶やかな平面へと変化する。
コップを握りしめる、エミルが魔法使いに向けて再三の質問文を投げつける。
「この、掘り出した記憶の中に移る人物に、この少年に見覚えはないか」
魔力エネルギーを基本とした業界内において、浮遊及び飛行の機構を獲得することは基本中の基本。むしろ通過儀礼と等しい。
とある時代以前において、それは箒が主であった。
と言うより、ただ単純にそれ以外の物品がなく、何となくみんなそれだけを使っていたから、自分もそれを使って飛んでいた、と俺個人としては見解を抱いている。
なんにしても、時代の発展と共に方法の選択肢が増えていったように。
この世界には既に空を跳ぶ行為など、当たり前の事実として受け入れられているのだろうか。
どうにも、俺には実感がわかない。




