貯水タンクは登る場所ではありません
思わぬ活用法に戸惑いの色を隠せません。
どうにも二番煎じじみてはいるにしても、直に体験している人間にとってはたとえ百番目であろうと関係なしに、お構いなしに恐ろしいもので。
「え、え?」
後方から聞こえてくる悲鳴、シマエはそれまでの感情を一気にすべて吹き飛ばすほどの勢いで声のした方に視線を向ける。
「なに、なんなの?」
狼狽える彼女。
音のする方に合わせて覆い被さるようにオーギが立ち位置を変え、その手の中には武器が握られている。
「おいおい……、マジかよ」
武器を持つオーギの手の平にじっとりとした汗が滲む。
彼らがまじまじと見つめる方向、人々の注目を浴びる地点。
そこには怪物の死体が安置されているはずなのだが。
「おお……、これはこれは」
キンシが手の平の側面を額に押し当てて、遠くを見ている格好を作りつつ、起きている事象に素直な感想を漏らす。
「死んだはずの彼方さんが、なんかまた動き出していますね」
言葉のとおりそのままに、大多数の人間が起きている事実の事を信じられないものとして受け取っている。
そんな感情をその身に受けていることを自覚しているのか、いないのか。そのようなことは一切見当がつかぬことではあるが。
「11111./......1」
いずれにしても怪物はもはや生き物としての雰囲気すらその身に抱くこと叶わず、ただただ盛大な空気漏れのような音だけをその肉から漏れさせている。
すでに弛緩しているどころか腐敗まで一直線で会ったはずの肉がアメーバのように動きだし、しかし骨の硬さがそれに伴っていない。
全体的に突然の突風にて破壊されているテントのような格好に似ている。
そんな不恰好の中においてもガラス玉の器官だけが爛々と、捌かれんとしている巨大魚の如く煌めいている。
「あらら、あれじゃあまるで廃業寸前のサーカステントですよ」
「アホなことぬかしてねーで、とりあえずもっかい武器を……」
突然の不可解な状況。
殺したはずの怪物が、主要器官を破壊しつくしたはずの生き物が、外国映画の人喰らいのように死肉を再活動させる。
取り戻されていたはずの日常は、予想外によって虚しく破壊されようと。
もうすでにこれ以上壊すものなどあるのだろうか、この都市に訪れてから若者はらしくなくそのような達観をおのれの内側に乱立させようとしていたが。
「お兄さま!」
しかしそのように舐め腐った事柄など不必要と言わんばかりに、メイは翼を激しく動かしながら兄に向けて声を張り上げる。
「ご不便な姿勢のことろもうしわけありませんが、先ほどの映像をまたご確認できますか?」
雨足はだいぶ弱まっている。
そうであっても耳元に吹き荒れる風の音は当然のごとく激しく、メイの声はぎりぎり正体を掴めるかそうでないかぐらいしか聞こえない。
しかしながらそれで十分であると、ルーフは妹の要求をすぐさま受け入れる。
風にあおられるからだ、その冷たさを全身に感じつつも片手をメイの足首から外し、手頃な場所にしまっておいたスマホを取り出して器用に画面を操作する。
兄の手の平が震えるのを感じ、メイは羽ばたきを調整して手頃な足場へと、ビルの上に設置されている貯水タンクの上まで翼を動かす。
ボコン、と鈍い音をたててルーフのシューズが薄い金属を受け入れ、一切の透明度がない水槽が少年の体重でへこまないように幼女は空中で緩やかに停止をする。
「えーっと、さっきの動画サイトは………?」
液晶画面に表示されてあるいくつかのアイコン、ルーフは慣れきった動作で指紋を押し付ける。
皮膚上の水分に反応して画面上が作動し、数秒の内にルーフの手元には数分前に集合住宅の一室にて見せられたものと同じ内容の動画が映し出される。
「………ん、あれ?」
「どうしました、お兄さま」
スマホを見つめたまま不自然な間を開けるルーフ。
怪訝に思ったメイは一旦翼を折りたたみ彼の隣へ。
ただでさえ狭苦しい、と言うかそもそも糸を乗せるための構造をなしていないはずの貯水タンクの上へ、みっちりと密着してルーフが見ている情報を無理にでも見ようとしてくる。
「なんか、なんつーか………、様子が変だぞ」
メイにも画面が見えるように姿勢を低くする、ルーフの視線はじっと動画内から与えられてくるリアルタイムな情報に釘付けとなっている。
唇を固く横に結んでいる兄の表情をまず最初に、メイは少しだけ背伸びをしてスマホの画面を覗き見る。
外の明るさを反射して若干見辛い、淡く発行する電子上の映像。
そこには何か、内容そのものはいまいち要領が得られないものの、何となく察せられる雰囲気からその奥に、遥か遠くの同じ世界に手起きている出来事。その只ならぬ状況だけが彼らに伝わってきていた。
「………なんか、サーカスのテントみたいのが暴れてる………」
「? そ、そうですね?」
ルーフのよくわからない感想に首をかしげつつ、メイはもっと確実性のある情報を求めて、今出来得ることを色々と考えてみる。
「うーん……、映像だけじゃ余り状況がよく解りませんね。お兄さま、ケータイの音量をもう少し」
せめて音だけでも、そうすればあの若者やら青年やら、もちろん幼子であったり。
そうでなくとも近くにいた見知らぬ男性。彼はいったい誰なのか、怪物と戦うということはきっと魔法使いに類する人物なのであろうが。
とにかく声だけでも聴ければと、メイは少しでも多くの事柄にすがりたかったのだが。
「おい!」
その願望は全く聞き覚えのない他人の声によって打ち消される。
「お前らそこで何してる!」
兄妹達はビクリと肩を大きく震わせて、声のする方に顔を向ける。
見るとそこにはこのビルの住人なのか従業員なのか判断はつかないが、とにかく見知らぬ若い他人が屋上から兄妹達の事を見上げていた。
その目にはギラギラと強烈な怪訝が燃え上がっていて。
それも確かに当然のこと、今の兄妹は傍から見れば誰の許可も得ることなく、また誰の許可を得ようが関係なく、どう考えても登るべきではない所に二人揃って足を並べたてている。
つまりは不審者そのもの、それ以外に例えようのない恰好でしかなく。
「うわわっ」
圧倒的に自分たちに弁明の余地はない。
早々に判断をつけたルーフはものすごく迅速に、スマホを握りしめたまま立ち上がり。
「行くぞっメイッ」
「は、はいっ」
不審者じみた彼と彼女はこんな所で、まだ何一つとして目的を達成しないままにお縄になってはたまらないと、そそくさともう一度飛行を開始する。
バサバサバサ、バサリ。
スマホから与えられる情報を頼りに兄妹達は飛び続け、時々こっそりビルの上で短い休憩をとりつつ確実に、地面を走るよりはるかに手際よく目的地へと距離を詰めていた。
「はあ……はあ……」
羽を使って飛ぶこと自体久しぶりであった上に、その身に会わぬ運動量でメイの呼吸がだいぶ乱れてくる。
その乱れを聴覚すること自体は出来なくとも、手のひらを伝う彼女の体温の上昇を敏感に察したルーフが不安そうに彼女を様子を見上げる。
「大丈夫か、メイ」
「ええ、大丈夫、ですよ」
言葉自体こそ気丈であるものの、そろそろ体力がヤバそうであるなと、ルーフは上げた視線をそろりと下げて苦々しく思う。
いくら彼女の提案とは言うものの、当の本人が場所に辿り着く前にダウンしては何の意味もない。
………いや、それともこのまま彼女が止まってくれたら、そうすれば?
少年が色々と画策している、その隙に。
「あ! お兄さま、あれを見てください」
メイはついに自分の羽が望む場所を見つけて、それまでの疲労を吹き飛ばすほどに声音を明るくした。
とても眠いです。




