治療用消毒済みの結晶体、いまなら二割引き
数字に弱すぎて文字に逃げ続けました。
「そう言うことで、病院で鼓石負傷の診断を受けたわけで、現在はこうして家で大人しく療養中である訳なんだけれども」
そもそもとして、前々から気になっていたのだが、耳の側面に生えている結晶体らしき物体の事をどうしてそのようなネーミングで呼ぶのだろうか。
その辺からしてルーフは日頃より気になって仕方がなかったのだが。
「あとさ、これ見てよ」
ぼんやりと独り考え事をしているルーフを他所に、ヨシダは座っている姿勢から少しばかり腰を浮かして、臀部の下に埋もれていた尾っぽを兄妹達に見せつけてくる。
尻に生えている毛に包まれた尻尾。
羽だったり耳だったり、側頭部の結晶体の他、この世界における獣人に属する人間が一般的かつ普遍的に有している体の特徴。
大した感情を抱く必要性もなくヨシダは自分の尾っぽを、やはり包帯に保護されていて、テーピングで安定させている部分を見せてくる。
「彼方に襲われたときに、どうやら尾の方も骨に軽くひびが入ったみたいでさ。まったく、嫌になるよ」
「なるほど、それはさいなんでしたね」
メイはこの世界に広く伝搬している同情の言葉を適当に並べ立て、しかし瞳には一定した緊張感を満たしている。
「ところで、ヨシダさんはその時のことを、おぼえてはいるのでしょうか」
なんてことを、確かに気にはなっていたものの、そんなにどストレートに聞く奴がいったいどこに?
ルーフが妹の事を何か信じがたいものとして見つめているなか。
質問を向けられたはずのヨシダの反応はやはり平然としていて、それどころか質問内容の真意すらいまいち理解していないようであり。
「その時の事って、どの時の事?」
むしろそのままの意味で逆にメイへと問いかける始末であった。
「昨日のことを、おぼえていらっしゃらないのですか?」
慎重さを貫いたまま、しかし努めて自然な口調を崩すことなく、メイは男性へ追加の質問を投げかける。
ヨシダは開きかけていた段ボールの蓋から手を離し、もう一度遠くを見るように首をかしげる。
「それさあ、同じようなことを病院の医者からも聞かれたんだよねー。知らないものは知らないでしかないのに、困ったもんだよ」
ポカンとしている兄妹。
それは決して話の内容が理解できなかったこと、それにに由来しているものでは決してないものの。
しかし他人から、ヨシダの視点的にはそのようにしか捉えられなかったらしい。
彼は持ち前の饒舌さで、しかし流石に何処か気まずそうに口元を歪めて昨日の事を、自身が記憶している限りの事を子供たちに説明しようとする。
「いやね、昨日はその……。うーん、こんなことをうら若い君たちに教えるのはとても心苦しいんだが、実のところオレ、昨日の記憶が曖昧で……」
「ほうほう……、それはまた、どうしてですか」
分かりきっていることを、解りきっていることを、さも今しがた生まれて初めて聞かされたばかりの表情で、幼女は男性に言葉の続きを催促する。
彼としては子供の単純なる疑問にしか思えなかったに違いない。
いかにも気楽そうに、少しばかりの御ふざけまでも指先に漂わせつつ、ヨシダは彼自身の記憶する機能の出来事をダイジェストで語る。
「昨日はオフの日でさ、久しぶりに丸々一日フリーの日だったから調子に乗っちゃって、酒をちょっとばかし多めに……ね」
グラスの中の液体を飲み込むジェスチャーを作るヨシダ。
「最初の一杯までは何となく記憶が残っているんだけれど、その後の事がいまいち思い出せなくてさ。だから気が付いたときに走らない白い天井の下、病院のベットの上で伸びていたわけなんだ」
ああ、嗚呼、なるほど、そういうバックグランドの果てに、彼は自分たちと出会ったわけであったのか。
なんとも、なんとも、まあ。
ルーフはそれを白々しく、メイは沈鬱そうに、しかしそのどちらもそういった感情を内側に滞らせて沈黙するばかりだった。
再び静かになった部屋の中。
ここが自分の居場所であるにもかかわらず、まるで天井に圧迫されるかのような息苦しさを喉に漂わせて。
「えっと、うん、そんなオッサンの小っ恥ずかしい失敗談はともかく。何だったかな……、ああそうだ、段ボールの中身だね、うんうん」
停止して留めていた腕をもう一度、ヨシダは段ボール箱の中の物を取りだした。
「そういう訳だから、俺はこうして家で大人しくしていないといけない訳で。確か医者が言うには全治一カ月以上かかる、だったかな? そのぐらいだそうで」
箱の中から取り出されたのはいくつかの丈夫そうな紙で造られた小箱で、数個あるうちの一個をヨシダは開ける。
そこには白くて柔らかそうな、緩衝材としての綿がみっちりと詰め込まれていて。
その上にガラスの破片らしきものが散りばめられている。
「でもさー、オレもそんな長々と休暇をとれるほど生活に余裕がある訳でもないからさ。学校の先生ってのは君たち子どもが思っている以上に、やるべきことが沢山ありまくりってわけで。そう言うことだから、ちょっとイリーガルにずるをしようと思い立って。それが、」
ヨシダは箱の中から破片の一つを取出し、兄妹達によく見えるところにまでそれを掲げる。
「それは………?」
ルーフが素直に質問を投げかけようとした、
それよりも先に。
「しゅうふく用のアルコノルン結晶体、かしら?」
知っていることは知っている、と言わんばかりにメイの唇が先に行動を開始していた。
「それをつかって耳の石をなおすつもり、なのですね?」
「そうそう、その通り。いやあ、君は話がはやくて助かるね」
昨日の昼間とは異なる、そんな事は過ぎ去り忘却しきった過去でしかないと、実際に体現するかのように。
少年を一人置いてけぼりにしたままヨシダは次の作業へと、別の小箱を開けて中身を取り出す。
木工用ボンド?
ルーフは一瞬勘違いしそうになり、そんな訳がないと何度かまばたきを繰り返して、もう一度その道具を視認する。
やっぱり木工用ボンドにしか見えないと、無意味な確信だけが強まるばかりだった。
「これを……」
ボンド用容器のように細い口から、赤子の爪ほどの量だけの謎の液体を絞り出し、ヨシダはそれを器用にガラス破片に似た何かに塗り付ける。
「こうして……」
ねっとりと接着剤によってコーティングされた欠片。
絆創膏を遥かのような手つきで、若干のブレがありつつもそれとない正確さの上にて、ヨシダは欠片を自らの聴覚器官の一端を担っている部分に接着させた。
「はい、こうすればこの、欠けた鼓石も元通りってわけ」
手品成功、じみたポーズを作りながらキメ顔を決め込む男性。
そんな彼に対し少年は、
「そんな馬鹿な」
状況をしばし忘却して、ついつい心の底からの率直なる感想をこぼさずにはいられなかった。
「そんな単純に済ませれるものなのか?」
「こんな単純に済ませられるものなんだよ、世の中以外にもそういったことが、多かったり少なかったりするんだよ」
「よくわかんねーや………」
ヨシダとルーフが実体のないやり取りをしている間。
メイの視線は小箱の内部、まだ取り残されている破片へと注がれている。
「こういった結晶は、だれがどこで取ってきてくれるのでしょうか?」
「と、言いますと?」
もうこれ以上説明することは無いと、自らの修復作業に心を注ぎ始めているヨシダは心ここに非ずと、文字通り他所事を考えながら男は幼女の言葉に生返事をしていた。
「いえ、このような、小さいながらも純度のたかい魔法鉱物を、いったいどのルートで手に入れたのかしらって、気になって」
彼女の質問に対しヨシダは若干手元にブレを生じつつも、すぐに姿勢を取り直してなんて事もなさそうにありのままの事実を伝える。
「ああ、それはね、シグレさんを経由にとある魔法使い事務所と協力を求めて、その結果によって得られた……。言っちゃえばあんまり公に出来ない取引なんだけれどね」
こんなことを子供に平静と伝えるこの野郎は、やっぱりアルコールの有無に関係なく信用ならん奴だ。
ルーフは結局そういった結論を結んだところで、勝手なるレッテルを張られたことなど露ほども知らないヨシダは、もののついでに思い出したのか、欠片を摘まみ取りながら独り言じみた言葉をこぼしていく。
「そういえば、その事務所にはちょうど君と同じくらいに若い人間が働いていたような気がするよ。なんて名前だったかな」
パーセント即座に計算できません、もっとまじめに勉強するべきなのでしょうけれど。




