古い言い回しで、広義の意味においてあまり好ましくない言葉
それだけです。
さてさてその頃、といった言い回しはもはや不必要であり。
「ん、」
ルーフは他人の家の中、見知らぬ部屋の天井の下でふと違和感を抱いていた。
「んん………?」
それはほんの些細な、頬を撫でるそよ風ほどの存在感しかない。すぐさま思考の彼方に溶けて消えてしまいそうな程の、わずかな刺激でしかなく。
「今、なんか………」
だからこそ、わざわざ体を動かして探る必要性があるはずないのだが。
しかしルーフはどうしても自分の内側に生じた感情の方向性を探ろうと、鼻先を宙に向けていた。
「お兄さま?」
ルーフのすぐ隣、柔らかい革製のソファーに下半身を沈めているメイが不思議そうに兄を見上げてくる。
「どうしたのですか、さっきからあちこちキョロキョロして」
メイの質問はもっともで、傍から見ればルーフはいきなり何もない所で挙動不審に首を動かしているようにしか見えなく。
それ故に、
「えー、それってもしかしてさ、いわゆる霊感ってやつ?」
兄妹達が腰を落ち着かせている革張りのソファーの向かい側、シンプルに洒落ている机にたった今淹れたばかりの緑茶を設置してきた男性も同様の内容の中、しかし形質と方向性の異なる質問文を少年に投げかけてくる。
「やだなー怖いなー、オレそういうのすんごい苦手なんだよ」
奇遇ですね俺もそうなんですよ、でも貴方はいいですね怖がるだけだなんて、とてもとても楽ちんそうでお気楽そうで、羨ましいです。
………なんて、そのように下らない嫉妬心をあけすけに展開することもなく、出来るはずがなく。
「あー、そうっすね、何でもないですスイマセン、えっと………」
薄っぺらい同情に乗せて、ルーフは目の前の椅子に腰を下ろしている年若い男性の名前を呟いてみる。
「ヨシダ、さん、でしたっけ?」
名前を確認するという、結果的にはあまり礼儀が整っているとは言えない態度になってしまった。
そんな少年の言葉に対し、大した反応を見せることもなく素直に男性はうなずく。
「ああ、うん、そうだよオレの名前はヨシダさんですよ」
思えば最初に会った時には名前を聞けるはずもなく、あのままもう二度と会うつもりも、ましてや再び会いまみえることを願うなんてことを、するはずもなかった。
シグレからなあなあの流れで頼みごとを引き受けたときにも、思い返してみれば確認すべきことではあったのかもしれない。
いや? 仮に名前を知っていたところで、一体何の意味があったというのだろうか?
自分たちは彼の顔だけを、アルコールに酩酊した顔面だけを知っていたのだから。
それしか知らないで、知ろうともしないで、知りたいとも思わなかったのだから。
だから頼みごとの収束に待ち構えていた人間が何者であろうとも、自分には何の関係もないはずだから。
しかし、そうであったとしてみても。
「ご苦労さん、わざわざありがとうな。あ、そうだ、ちょっと待ってな。せっかく来てもらっておいてこのまま返すのもあれだから、茶の一つでも飲んでいかんかね?」
要約してそのような事柄を提案してきた男性に対し、せめて断る行動力ぐらい持ちあわせてみればよかったはずなのに。
何故自分は今、こんな所で一服ご馳走になっているのだろうか。
考えても考えても明確なる理由を過去に見出すことは出来ず、気付けば少年の体は継続し続ける以上に晒され続けることになり。
「そういえばショウさん」
招き入れられるがままに、それとなく何となく聞き出した男性の本名らしき言葉を平然とした素振りで口にしながら、メイはごくごく自然な流れで会話を展開しようとしていた。
「もしさしつかえがないのならば、私たちがはこんできた箱の中身がいったい何なのか、教えてもらうことは出来ないでしょうか?」
そんなへりくだった言い方をしてもいいのか、相手は昨日の昼間辺りにお前の事を侮辱してきやがったクソな野郎なんだぞ。
などと少年が無粋に勘繰る必要もないほどに、他の誰よりも彼女自身がそのことを脳裏に刻みつけており。
その証拠に指先は止めどなく、頭部を支えに耳元に当たる部分を覆い隠すヘッドホンを擦りまわっていて。
不安定に震える爪の先をそれとなく目にした、ヨシダと自らを名乗る男性は、
「あーうえー?」
数回ほど不明瞭な呻き声を漏らした後に、何かを思い出そうと首を捻って。
「やっぱなんか、君たちどっかで見たことが……?」
「ありません」
しかしメイが静謐なる拒絶感を持って、彼の蘇りつつある記憶をシャットアウトしようとする。
「私たちとあなたは、いま、ここで、初めて会ったのですよ」
瞬きをすることもなく、瞳孔をやや開き気味にして、じっと自分の事を見つめてくる幼女の眼球。
鮮やかに輝く虹彩に圧迫されて、ヨシダは若干表情を浮かべつつも、
「ああ、うん? 君がそう言うのなら、そういうことなんかな」
都合よく幼女が望む解釈をしてくれたところで。
沈黙が継続されて会話が断絶される、その寸前に。
「えっと、荷物の中身だよね。ああもちろん、君たちに教えても構わないさ」
気を使ったのか、ただ単に沈黙に身を浸すのが億劫だったのか、それとも純粋に善意に基づいた行動だったのか。
いずれにせよヨシダは素早い手つきで、兄妹達によって届けられたばかりの段ボール箱を抱え上げ、それとなく清潔な机の上に、届け人の彼らによく見える位置に設置した。
「いやはや、さすがのあの人と言うべきか」
ヨシダは僅かに目を細めて発注先の彼に、シグレと言う名前の業者に軽く思いをはせる。
「こんなにも早く、目的のものをこっちに寄越してくれるなんてな。えっと? 何か鋏とかねーかな」
中身が漏えいしないようにきっちりと、ガムテープで密封されている箱。
運搬においては安心感に満ち溢れている密着が、今この時だけは煩わしい障害であるというように、ヨシダはゆったりとした部屋着のままで何かしらナイフ的な道具を探そうとする。
そんな彼の動きに反応してメイがとある提案をする。
「ああ、あの、大丈夫ですよ」
彼女はなんてこともなさそうに、特に感慨もなく人差し指を皆に見えるようピンと伸ばして。
男性たちがそれぞれ異なる感情の内に見守る中、彼女はごく当たり前としての動作で指の先を、鋭く伸びている爪を机の上にある段ボール箱に突き立てる。
ボスリ、と空気が圧縮されても礼出る鈍い音が響く。
鋭い圧迫によって開けられた穴、メイは指を器用に動かして方向を変更し、ちょうどいい具合に爪を横に薙ぐ。
ビリリ、ビリリ、硬く鋭い爪によってガムテープの密着は引き裂かれ、あっという間に段ボールは程よく自由に開閉できるようになる。
「おお、これはなんとも」
ヨシダは幼女による心遣いに大げさなリアクションを示してくる。
「流石、春日の爪は頑丈で便利そうだね」
またしても彼の口からのたまい始めた種族的分別の含まれた会話。
ルーフがとっさに緊張感を走らせる、その横でメイはあえて緩やかな態度を崩そうとせずに、自然な流れとして話の流れに乗っかることを画策する。
「そういうあなたも、血の色に含みがあるように見えますけれども」
血に含みがある、その言い回しにメイ以外の男性たちは全てきっかり同様とは言えずとも、おおよそ内容が似通っている驚愕を胸の内に灯らせた。
「おい、メイ………、どこで覚えたんだよそんな言葉………」
妹の子供らしからぬ言い回しにルーフが眉をひそめている。
その横で当のヨシダ本人は、兄妹のうちのどちらも予想できなかったほどにあっけらかんと、それこそ赤子に頬をつねられた程度の反応で、微笑みさえも浮かべていたのだった。
しかし場合によっては口が裂けるほどに苦しむことになるでしょう。




