私を肉の上まで連れて行って
最近の悩みがあります。
最初こそ人間らしく、大体のそれらがそれとなく予想するようにオーギは一つ思い込みを作っていた。
「おーおー、どうした、そんなに暴れて。わかったわかった、怖かったよな。今すぐ安全な所まで連れて行ってやるから」
特に考える必要もなく、感情の流れの内自然と湧いてきた選択。
それは少なくともこの場にいる大多数の人間らしく、魔法使いども全員の同意を得る可能性に満ち溢れている一択ではあるものの。
しかし多数の内に入らない、たった一人の少数派それを受け入れようとしなかった。
「いいい、きいいい (> <)」
最初は緩やかのつもりで、だが耐えきることが出来ずアルコールを吸い込んだ綿が燃えるような勢いでミッタは反発の意を全身で表現し始める。
「うわ、おい?」
腕の中で鮮魚の如く暴れ狂う幼児に、オーギは怪物を相手にしている時以上の困惑をする。
「何だよ何だってんだよ、いきなりどうした? 腹でも痛いんか」
「うひい?」
手当たり次第の問いかけに、いの一番に反応したのは何故かキンシであった。
急ぎトゥーイの腕の中からかい離をし、それこそ魔法の跳躍をせんが勢いで先輩の元へ、彼の腕の中でぐずる幼児の元へと駆け寄る。
「だだだ、だだ、大丈夫ですかミッタさん。どこか、どこかどこか、お怪我をなされたのでは?」
ぐるんぐるんと息巻いて、歯の隙間から唾を飛ばしそうなほどの勢いで問いかけてくる黒髪の魔法使い。
不安に狂う吐息がかかるほどに顔を近付けてくる若者に対し、ミッタはほんの数秒ほど沈黙して。
オーギが急激な感情の沈静化に対し驚きと疑問を抱き始めようと、そうなるよりも早くミッタは次の行動を俊敏に開始する。
「う、 (━ ━)」
まず丁度良く、ほど良く自らの弱々しい腕でも届く領域の内まで近づいてきていたキンシの頭部に触れる。
そして食虫植物が捕食行為を行うのと同じくらいの自然な手つきで指を折り曲げ、その狭い隙間にキンシの毛髪を、ちょうど黒色の中にうずもれていた少量の白髪ごと掴むような格好になり。
そしてそのまま、
「ういいいい! (‘̂’)」
一切合財、遠慮も考慮もされることのない全身全霊の腕力によって、ミッタはキンシの髪の毛を引っ張り始めた。
「うわー?」
やられた本人は相手のいきなりな行動にまず理解が追い付かず。
「痛? 痛あ? 痛い痛い痛いっ」
それよりも先に痛覚が現実に対して迅速かつ的確な疑問を抱いた。
「ちょ、ちょっとミッタさん? 何を、何をするんですか、しやがるんですか。痛いですよ今すぐに止めてください」
ぐいぐいと、一体その腕の何処にそのような力が秘められていたのだろうか、非常に興味深い。
なんてことを考えそうになって、しかしそれどころではないと早々に切り替えしているキンシの脳内。
そんな事はどうでもいい、それどころではないと言わんばかりに、ミッタはどんどんと腕の力を強めていって。
その中において、力を被害しているが故にキンシはあることにふと気付く。
「ん、んんん?」
一見してみて、他人行儀で客観的な視点のみでは単純に小さい子供がふざけて髪の毛を引っ張っているだけの一場面にしか見えない。実際にオーギはそうだとばかり思い込んでいたのだが。
しかし当の本人はもちろんの事、引力に身を晒しているキンシはそれがそれだけでは済まされないことであることを他の誰よりも自覚していた。
「どうしましたか、ミッタさん」
キンシは最初と同じような疑問文を、しかし今度はだいぶ冷静さを含んだ声音でもう一度口にする。
「こっちを? こっちを向いてほしいのですか?」
ミッタは相変わらず獣のいななきのような声で、しかし言葉も必要なく腕の力加減という限定が過ぎるコミュニケーション方法にて沈黙の同意を示す。
「しかしこっち側には、彼方さんしかいませんし……?」
その言葉のとおり、ミッタの腕によって導かれるキンシの頭部、そこに内蔵されている眼球が指し示しているのは今しがた、自分たちが攻撃を与えたばかりの怪物の姿、それ以外に特筆すべきものもない場所であった。
キンシの控えめな確認に対し、ミッタは腕の力を弱めて同意を相手に伝える。
言葉が限定されてほとんど使用することのできない、そのような狭苦しいやり取りにおいても、コンパクトさゆえのスムーズさと言うべきなのか、キンシはとある答えを思い浮かべる。
「ミッタさん」
最初の頃よりだいぶ削がれた腕の力。
キンシは若木の幹程の太さしかないそれを出来るだけ優しさを努めつつ頭部から振り払い、姿勢を正して幼児と視線を交わす。
「向こう側に近付きたいんですか?」
そうすることでキンシの体はちょうど怪物がいる所を、ミッタがさっきからずっと見つめ続けている場所を背景に佇む格好になる。
ミッタはふるふると潤みがちな灰色の瞳を一つ、ゆっくりと瞬きをして、キンシの視線に自分のそれを交わらせる。
ほんの僅かな、生き物としての本能に逆らう人間然としたやり取りの後。
「なるほど!」
全くもって迷いが混ざっていなかったと言えば、それこそ正真正銘純粋仕込みの嘘になる。
そうせざるを得ないとまではいかなくとも、そうしたい、そうしてみたいという欲求の方が強く、二人の若い人間たちの心を占めていたことだけは確実であった。
「それでは、そう言うことならば」
キンシは水が流れるように自然な手つきで、先輩の腕の中にいるミッタの体を抱え上げ。
「そうしましょう、そうしましょう。ぜひともそうするべきです」
そして同じく先輩の腕に、もののついでとして引っ掛けられていたお手製のおんぶ紐を指に引っ掛け。
「どうなるか、全然予想が出来ませんが。しかし、なるようになれ、ですよ」
まるで周知の事柄のように、当たり前としてキンシの背中にしがみ付くミッタの胴体を今出来得る限りの器用さを振舞って、しかしどうにも雑っぽく結びつけると。
「それでも、あなたの望むままに」
安全確認などもはや不要! と叫んだわけではないにしても、ほとんどそれと同等の意味として、地面を強く蹴り上げる。
真っ直ぐ怪物がいる方へ跳んでいく二つの影。
密着しているため影だけだとまるでいびつな形をした一個隊のように見える二人。
「………………」
「……は?」
碌な説明もなく、本来あって然るべき説明文すらも与えられなかった男性二人は、過ぎ去っていく二つの小さな体を最初の方こそ静かに見送り。
しかしすぐに起こり、そのまま継続されようとしている信じがたい現実に反発と拒絶を燃え上がらせた。
「な、はああ?」
空洞になった、つまりは元の恰好に戻ったオーギは、通常でさえ意味不明が強烈過ぎる後輩のこれ以上ないほどに度し難い行動に目玉が零れ落ちそうなほどの表情を炸裂させる。
「何やってんだー?」
オーギが感情を置き去りにして、理性だけを動力にした疑問文を叫ぶ。
その横で体が軽くなったトゥーイが再三火花を散らして、もうすでに怪物の付近にまで移動を終えているキンシ達の後を電流の速さで追いかける。
男たちから送られる驚愕の視線をよそに、キンシは背中に重みを抱えたままの恰好で早々と怪物の体に飛び乗っていた。
「さて、さてさて?」
魔法による重力及び自重の軽減、それによって限りなく無感覚に近い領域内にて怪物に乗っているキンシとミッタ。
魔法が上手い具合に作用したのか、或いはただ単に怪物の方が感覚の鈍い、比較的のんびりとしたタイプだったのだろうか。
いずれにせよ会部の方は再び自らの体を外注の如く蝕もうとしている人間の存在に、今のところは気付いてはいなさそうだった。
キンシはミッタを抱え直しながら、改めて槍を強く握りしめる。
「これからどうしますか?」
パソコンに決まって変なアイコンが出てくるのです。




