歩行中の白昼夢にご注意ください
半貴石の夢
ルーフにしてみればそれはささやかな物として、密やかにこっそりとしている動作のつもりだったのかもしれない。
しかしメイにとっては十分に、意識の領域に浸透してくる存在感の強すぎる違和感であった。
「ねえ、お兄さま」
「どうした、メイ」
「あの……、そんなにじゃまなら取りはずしてもいいんですよ?」
言葉は足りない、しかしその少なさにおいてもルーフには意味がしっかりと理解できた。
メイはどこかぎこちなく、それは自分の中に内包されている記憶によるもので、黄色い長袖からはみ出る爪を左右互いに擦りながら、俯き気味に唇をほんのり尖らせる。
「私が着けてくださいってお兄さまにたのんだのですけど。でも、着けごこちがわるいなら、むりに身に着けるひつようもないと、思いますよ私は……」
兄が、彼自身には自覚がないにしても、これ見よがしに頻繁に仮面の調整を行っているところを窺い見て、メイとしてはまるで自分の事のように心地が悪かったらしい。
「ほら……こうしているあいだにも、どんどんずり落ちていっていますよ。せっかくお似合いなのをはずしちゃうのも残念ですけれど、でもやっぱり動きにくいのはいけませんし。ほら、お顔をこちらに……」
自分の反応を待つこともせず、精一杯に伸びてくる妹の手をルーフはやんわりと拒絶する。
「ああ、いや、いいって。大丈夫だから、俺はこのままで平気だし」
本音を言えば今すぐにでも妹の提案を受け入れたいところなのだが、しかし今のルーフにはどうしてもその、なんてことのないはずの選択をすることが出来ないでいた。
選択が、選ぶことが、決意をきめることができなくて。
ルーフは仮面の重さに少しだけ身を晒し、役目を終えた花弁のように首を土のない、灰色の地面へと向ける。
濡れそぼつアスファルト。手の届かない天空により作成された水の塊、重力に誘われて止めどなく落下してくる液体の群れ。
ピチピチ、チャプチャプ、浸透する土もなく流れる以外の選択をとれない雨水は、あるところで濁った水溜まりへ、それ以外は排水管の内部へと落下する。
何の迷いもなく当たり前として、全くの統一性があるわけでもないのに、嫌らしくてヌメヌメした自己主張がどこにも存在していない。
「そうだ、別に何か心配する必要もないし、細かいことを気にしていたら何にも始まらねーし」
目的も、あえてそれを見繕うとするならば妹に、温かくしっとりとした爪を軽く食いこませて、自分の手を握ってくれているメイに話しかけるつもりで。
「俺が考える必要なんて……どこにも理由も意味もないし……。………」
しかし後半になるにつれて次第にその正体はあやふやになり、妹の耳にも、さらには自分の鼓膜にすら届くかどうかも怪しいほどに不明瞭になって。
「なあ、メイ」
俺は、本当はお前の事を───。
…………。 そうだと思っているならばなぜ決断をしない、決意を抱こうともしないではないか。
………………。 そうなのだ、お前はそうするべきではないのか。大事な妹なのだろう、それに運よく見直にちょうどいい他人もいる。信頼と確証は少なくとも、今はなりふり構っていられるのか。はたしてお前にそんなことを思考する資格が。
あるわけがない、そのことは分かっている。
いいやわかっていない、お前は未だに、心のどこかで逃げるための、先送りを願意求め要求し続けているのだ。
そんな、
そんア、
オんAくtおhあ………。そんな事は。
………………………。 嘘だ、嘘ばっかりだ。意識の外で声が聞こえる、それは自分によく似た声のようで、全くの別人のようにも聞き取れる。
それは嘘でしかないし、それ以前に、それよりも!
大丈夫なのか? そんなことをしていたら。
「お兄さま!」
妹が自分の事を呼んでいる、呼んでいる? 何故に。
「お兄さま? ちょっと、何をしているの! 危ないじゃない!」
「え、あ、うわ!」
白昼夢と人は呼ぶ、そんなトランスじみた状態にいつの間にか陥っていたルーフはそれ故に、まさしく自分の鼻先を擦るほどの近さで通り過ぎて行った軽トラックの姿に驚き、その風圧に姿勢を崩しかける。
「っと、とっと! あ、あっぶねえ!」
いろいろごちゃごちゃと、明記に値しない雑念の中においても、それでも足を動かしている感覚は意識の中にはっきりと存在していた。
だからこそではあるのだが、いつの間にかルーフの体はすっかり海岸から離れた位置へ、つまりは昨日いけ好かず気に喰わぬ魔法使いたちに誘われて渡ったばかりの、いたって普通の横断歩道まで来ていたって、何一つとして驚くこともないはずなのだが。
「もう! お兄さまったら!」
痛いほどに手を握りしめているメイが頬を膨らませて、しかし瞳の奥に震える怯えを湛えながら、兄の愚行に対して苦言をする。
「道を、とくに横断歩道をあるくときにはちゃんと周囲に気をくばって、へんな考えごとをしてはいけませんって、なんど言ったらわかるの?」
彼女の言う通りであった。
もしも彼女が彼の手を引いて忠告を叫ばなければ、今ごろルーフの体はトラックに撥ねられ、それこそ遠い世界の彼方まで転がっていたかもしれない。
「すまん、危なかったな。助かったよ」
ルーフは震える妹の手を握り返し、温度のある溜め息を吐きながら自分の体がこの世界にあることをじっくり噛みしめ。
そしてもう一度、今度は余計なことを考えないように、聞こえる声を無視して目の前の用事に集中することにした。
粉々に砕きます。




