喪失する空気
寂しい宝石
上昇のための鎖は長さを失い、それによってトゥーイとミッタも樹の上に立つ。
細々と、地面と比べると圧倒的に頼りなさすぎる金属質な足場の上。
背の高い青年とその背中にぶら下がっている幼児一人、その体重を受け止めていながらも足場は平然と、音もなく平然とした様子で形を保っている。
トゥーイは最後に残った、自分の体を支えていた鎖の部分を根元に寄せる。
鎖の根元、屋上からは見えなかったその正体。ミッタはここぞとばかりに、まばたきすらも惜しんでその部分を観察してみる。
ちゃきちゃきと、それは歯車の集合体のように見える。おうとつのある円形が勝手に、生き物の脈動のように自動して見る見るうちに鎖を飲み込んでいく。
何と言うか、どうにもこの足場は何か、人間の意識からは一歩離れた生命があるような感じが……。
ミッタは納得のいく結論を導き出そうとして、どうしてもそれが出来ず、そうしている間にキンシはさっさと足場の上を歩いて行ってしまう。
先ほどのオーギと同じ高度、だが先輩魔法使いは既にこの辺りにはおらず、おそらくは既に自分の担当場所に移動したのだろうとキンシは予想する。
考えながら、碌に足元を確認することもせずすたすたと足場の上を移動してく。その大きさの足りない背中の後をトゥーイは無言で追従する。
ミッタはそんな青年の背中に身を寄せて、肩越しに前方を行く若き魔法使いの背中を見つめてみる。
もうすでに仕事の気分に身を染めているつもりなのか、唇から歌が漏れることはない。
動作に合わせて、風にあおられて、短く切られた黒い頭髪が海中のワカメのように揺れる。その中で時折、白に近い金色に輝く少ない房が異物感たっぷりにちろちろと黒色の中で見え隠れする。
体の動きに合わせることもなく、サイズの合っていない上着は保温性が不安になるほどはためく。脚部を覆う、乾きかけの血液のような色合いをしているタイツだけが確実で安心できそうな温度を保っていそうで。
要するに寒くないのか、と不安視したくなるような格好で、キンシはこれから近所の公園に出かける子供のような、軽々とした足取りで自分の作業現場まで直行する。
とは言うものの足場は真っ直ぐのようで、しかし所々樹木っぽく屈折をしており、地面との距離であまり実感がわかないものの道はあちらこちらに曲がりくねっている。
キンシのゴム長がきゅっきゅっと音をたてる、だがそれ以上に作業現場に響き渡る音がミッタの耳を刺激してくる。
鉄製の樹木、その形をとっている作業現場はこちらが上昇してきたことにより、肉眼でもさらに子細に様子を窺い知ることが出来るようになった。
魔法使いたち、それは猿人に基づいている者からそうでないものまで、例えば耳が大きく毛に覆われ臀部から同じく毛におおわれた尾っぽが生えていたり、はたまた耳から植物に似た器官が生えていたりなど。
そのような感じに、まるで統一性のない人々が一所に集まっていたり移動したり、色々な事をやりながらもその殆どが手に持っている道具で空気を削っている。
もうすでにミッタにも、魔法使いたちが意味の解らない無意味なことをしているなどと思い込むことは出来ない。
彼らは確実に、紛うことなく間違えようもなく、空気から石を削り取っている。
墨をほんのりと溶かし込んだ液体と似たような動きでたわむ空気を、魔法使いたちはそれぞれの硬そうな道具で刺激し、叩き割る。
その動作によって薄墨色の空気は白く張りつめ、あるはずのない実態を帯びて削られる。
そうすることで空気の中にあの上空にある傷と似たような、だがあれとは圧倒的に大きさが異なる小規模な光の揺らめきが生まれる。
見死なぬ魔法使いの内の一人は、その小さな傷口に道具を突っ込む。そして挿入したそれをぐるぐるとかき回し、突きあげて内部を無遠慮に抉る。
そうすることでぽろぽろと、治りかけのかさぶたが強引に剥がされたかのように空気が割れ目が拡張され、薄墨の揺らめきを隙間から滲みだしながら内部に含まれていた物が採掘される。
見知らぬ魔法使いは言葉を発することもせず、分厚い出袋に覆われた指で傷口の内部をまさぐり、削り出したそれを引きずり出す。
てっきり何か、せっかく灰色の傷なのだから、その中から生じるのは黒々と柔らかい、気持ち悪い何かであればいいのに。とミッタは期待してみたものの、しかしその予想は外れた。
見知らぬ魔法使いは手の中にあるそれ、一見して何の変哲の無さそうな、山やら川やらを散歩すればそこいら中に落ちていそうな、一切の個性がなさそうなそれを手に。
そしてなんて事もなさそうに、それを自分の近くに投げる。
投げられたそれはからんと音をたてて、魔法使いの近くにあった鉄製の箱に納められた。
箱の中には既にいくつか物が収められているのか、落下したその後に連続した摩擦音が物寂しく音色を奏でている。
その箱は鎖に繋がれて、鉄の枝の合間をブラブラとぶら下がっている。見渡してみると作業現場のあちこちに、それこそ魔法使い一人一人に付き従うかのように設置されていた。
箱を支える鎖、それはミッタにも見覚えがある。今しがた自分たちを上へと運んだそれと同様のものではないかと。
色々と考えを巡らせる幼児に構うことなく、鎖に繋がれた箱はまるで意思があるかのように、体を傾けて内部の石を整える。
そして未だ作業中の見知らぬ魔法使いのそばをぐるりぐるりと、物欲しそうに付きまとう。
魔法使いの方は作業の手を止めることもなく、しかし少々鬱陶しいと思ったのか、片手で箱に「ここはいいから、どっか行ってろ」と言う素振りで、箱を自分から離そうとした。
箱の方は少し動きを止めて、すぐに魔法使いの意思に従いじゃらじゃらと、どこか気だるげな音をたてて移動を開始する。
鎖を軽く解き放つ、少々自由になった箱は無機質な音をたててキンシ達の方へと移動してきた。
無反応は暇つぶしにもなりませんね。




