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雪は降りませんが扉を開けて

灰笛にはめったに雪が降らない

 一方その頃、といった言葉を使うべきなのか、果たしてその辺の判断はいまいち付きにくい所にあると思われる。


 なにせ当の本人にとっては自分こそが主体であり、その人間にとっては目に見えている世界こそが全てで、本来ならば他の視点を得ることは有り得るはずがなくて。


 だからこそ今の彼には一方も他方もなく只々有り得るはずのないファンタジーを、自分以外の視点が在るのならば何としてでも欲しい。とまではいかなくとも、そんな馬鹿らしい空想についつい逃げ込みたくなるような、そんな心持ちへズプズプと心根を沈みこませようとしていた。


 本来此処に、この場所に、つまり崖の下の家にいるべき住人はここには既に居らず、兄妹達は二人ぼっちで灯りの失った、寒々とした部屋の中に佇んでいた。


「……………」


 じっとりとした、それは単純に外で降り始めた雨が関係しているのかいないのか、そこまで簡単に考えることのできない空間の中にある沈黙。

 その冷たさの中で少年と幼女はなにかを言い合うでもなく何故か息を殺して、そうせずにはいられぬと互いの手を寄り添わせていた。


 触れ合う皮膚、密着した毛穴から発生する生理的な汗が混ざり合い妹の、メイの体毛をくねくねとほのかに湿らせる。


 少しきつめに生皮をチクリチクリと圧迫しているメイの指の爪はこれから何をするべきか、するべきなのか、どうすればよいのか迷いに満ち満ちていて不安定で。


 しかし、その控えめな指の圧迫にはこの先の時間に向ける、能動的な活力に溢れてもいる。

 そうとも解釈できる、かなり捻くれた見解ではあるが。


 何にしても、メイの兄である少年は、ルーフと言う名前の彼は考える。

 いずれにしても自分はこの後のことなど何一つとして考えているわけではなく、自分に寄り添っている彼女に胸を張って伝えるべき要項すらも持ち合わせていないと。


 何もすることがない、と言う訳ではない。むしろその方がどんなに良かっただろう。もしそうだったならば、今すぐにでも妹の手を引いてどこか遠い所へ、どこにだって、線路の彼方にだって走っていけるはずなのに。


 だけどそんなことは出来るはずもなく、自分には確実に掛け替えのないやるべきことがまだまだ残されている。

 それは自分だけに出来ることで、自分以外には許されない事柄で。

 だからこそ、ルーフはどうしようもなく逃げたいと思っていた。そうでなければこのまま、この居心地の悪い家に閉じこもって、息が止まるまで妹と……。


 なんて、そんなバカげたことは、それこそ許されるわけがないだろう。とルーフは自分の中に生じつつあった現実逃避を片っ端から潰していく。

 

 何をバカなことを、ひとんちでこんなうだうだと下らない空想に浸っていないで、早く今日一日でするべき行動に移さなくては。


 身を切られるかのように、それも覚悟の上で少年もまた憂鬱で陰鬱で沈鬱なる、忌々しい一日を始めようとした、そんなところで。


 ピンポーン!


「うわあっ?」


 突然、どこかしらから呼び鈴の音が鳴り響いたのであった。


「え、は? ええ、チャイム、今チャイムの音が……?」


「ええ、鳴りましたねお兄さま」


 もう一度、今度は最初の時よりも幾らか急かされているような、そんな錯覚をさせる音色が二人しかいない部屋の中に繰り返し響き渡る。


「うわああ、また鳴りやがった………」


「鳴ってますね」


 ぞわぞわと毛穴が縮小し、その細やかな隆起を爪で感じ取りつつ、メイは音の方向を赤色の聴覚器官で探ろうとする。


 連続する音、それは最早確実に内部にいる人間への要件を、その内容に関わらずなんとかして伝えようとしている。つまりはかなり無礼で、それ故に有無を言わさぬ身勝手な力強さがある。


 だからこそ兄は狼狽え、妹は何とかして音の正体及び出処を探ろうと耳をそばだてる。


 そしてついに、なんて大それたこともなく音の方向はすぐに目途が立つ。


「…………」


 メイは無言でルーフの手から離れ、確実と確信のかよった足取りで部屋の壁の前に立つ。


 そこは部屋の壁、と言うよりは扉の前と言った方が正しいのかもしれない。

 彼らが今いる、キンシ達が暮らしている部屋の元となった素材。つまりは電車における乗客を出し入れするための、そういう意味では本来あるべきはずの扉。


 しかし、とルーフはそう大して劣化もしていない記憶を掘り起こす。あの魔法使いどもはそこの扉を使うことはせず、代わりに列車の連結部分にある出入り口をこの部屋における扉として使用していたはず。


 だから今、妹が触れているその扉は、彼が思うところによれば只の壁の一部でしかないはずだのだが。


「……ん……ん。くぅっ……」


 だが、彼女は全くふざける様子もなく扉を、本来ならば自動で空気の音と共に開かれるはずのそれを、自らの手で開こうとしている。


 ピンポーン、

 そうしている間にも

 ピンポピンポピンポ、

 呼び鈴は鳴り続けて

 ピッピッピッピッ

 鳴って

 ピンポーン!


「だあああ!」


 ルーフも扉に手をかける。


「朝っぱらから! ひとんちのインターホンを連打するんじゃねえ!」


 到底、一切合財、全くもって叫ぶ権利のない文句を言いつつ、


「うるせえんだよ! 今開けるからちょっと黙って───」


 しっかりと、確実に彼の唇から扉を開けること、内部から外部へと呼びかけが言葉として空気を震わせた。


 その瞬間。


「オーはよー! ゴざいまーす!」


 扉が、その先にはコンクリートの壁しかないはずの、そうでないとおかしいはずの扉。


 その向こう側から奇妙な抑揚のある、だが聞き覚えもある男性の声が聞こえ、それまでまさしく壁の一部らしく、固く重く閉ざされていたはずのそれが開かれた。


生まれてこのかたまともな雪だるまを作った覚えがありません。

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