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甘さは後々でいただきましょう

承知の上で、

 それでも他人がいくら心に不安を抱えたところで、そんなものは恐怖心の前では塵芥のごとく意味をなさないのは明晰なことであった。


「いいー、いいー! (@皿@♯)」


 もうすでに取り付く島すらなさそうな、それほどの拒絶感をもってミッタはにじり寄る魔法使いから逃れるために、それでいてどこにも逃げ場がなく仕方なしにルーフのふくらはぎを握り締めていた。


「ほらほら、ほら、ミッタさん駄目ですよ」


 明らかなる拒否の意を向けられて、それでもキンシは姿勢の低さを崩すことなく、また実際に物理的にも腰を低くしてミッタと視線を交わそうとした。


「そんなに強く握りしめたら、仮面君が痛くて泣いちゃいますよ」


 そんな大げさな、とは言い切れない。この場合における魔法使いの言葉は、珍しくルーフの信条に即しているものであった。


「ほら、放して」


「……、…… (‣₋‣)」


 依然魔法使いと視線を交わそうとはせず、だがそれでもミッタは少年のことを掛け合いに出されると意外なほど素直に従いの意を見せた。


 小さく細やかな詰めがルーフの皮膚から離れる。隙間の内にこもっていた熱の解放と、ささやかに滞っていた血液の流れによって、名残惜しさのような熱が毛穴から密やかに放出される。


 ようやく交渉の感覚を仄めかせてきた相手を怯えさせないよう、それでいて目的を逃さぬよう、キンシは確実に相手との距離を近づけていく。


 ズリズリと、膝が汚れるのもいとわず幼児に近づく、魔法使いの顔面をルーフは何となく見下ろしてみて。

 

 そして何故か、背筋がまるでキンキンに冷却した水でも垂れ流したかのような、おぞましき悪寒に震えた。

 

 どういう、これは? ルーフは感覚の正体をつかむためにもう一度魔法使いの顔を窺おうとした。


 したのだが、しかし、もうその感覚は跡形もなく消え去り、わずかに残る嫌悪の湿り気も現実で繰り広げられているやり取り、平和的交渉の空気によって忘却の彼方へと塗り潰されていった。


「ほら、ここだけの話、灰笛駅構内のバームクーヘン屋はとても、それはもう美味しくてですね……」


「……! (・-・)」


 どうやらキンシは何かしらの報酬による手段を選んだらしい。それまでうだうだとしていたミッタの雰囲気が、その食品の名称を耳にした途端ガラリと態度を変えてきた。


 その反応を逃すことなく、魔法使いは極めつけの言葉を次々と畳み掛けていく。


「バームクーヘンは、知っていますか? 棒ををぐるぐる回しながら生地をぐるぐる焼いていく、くるくると真ん中に穴が開いている甘いお菓子ですよ」


「ん (・ー・)」

 

 ミッタはわずかに口角を上に曲げる。知っている単語、言葉、「それに対して見るからに好意的な感情を抱いているようだった。


 キンシはいよいよ休日に放送しているテレビ番組のレポーターのような口調で、自分側の情報をいくらか脚色を加えて展開していった。


「美味しいんですよー。僕も一回しか食べたことがないのですが、それはもうとてもとても甘くてふわふわモッチリしっとり、まろやかクリーミーなんでございますよ。そういう訳ですから、ね?」


 丸々とつぶらな、鈍色の瞳孔をキラキラと輝かせて聞き入るミッタへ、もうすでに抱きかかえてしまえそうなほどに距離を詰めて、キンシはその小さな耳元で吐息をたっぷりと含ませて相手に要求する。


「今日一日、僕らのもとで大人しくしていれば、仕事の帰りにそのバームクーヘンを食べに来ましょう」


 少しだけ身を切るような、しかしその苦しみを甘んじて受け入れながら、キンシはミッタの前で胸を張って見せる。


「僕のおごりで、ぜひともミッタさんにベリーデリシャスなバームクーヘンをごちそういたしましょう!」


「わー! (○∀○)」


 いつの世も現物に勝る報酬はないというのか、それを体現するかのごとくミッタは驚くほどあっさりと魔法使いのほうへついていく決心をつけた。


「そうと決まればお話はスキップを駆けますよ、トゥーさん背中をお借りします」


 覚悟を決めていながらも、想定外の出費に予想外のダメージを受けているのかキンシはやや言葉を乱して、それでも気分を暗くしないよう明るい声を出してトゥーイに背中を向けることを要求する。


「了解しました」


 それまでの、ぬるく繰り広げられていた取引現場を無言で観察していたトゥーイは、キンシの言葉に従ってくるりと体を回転させ、自ずから膝を曲げて姿勢を前のめりに低くした。


「さあミッタさん、こちらへ」


 キンシは赤い、ところどころ網目のように黒味が強くなっているタイツにくるまれた膝小僧を地面から離し、中腰の状態でそっとミッタの体を軽々と抱え上げる。


 そしてそのまま、幼い生き物を青年の背中も元へと運んでいく。


「このお兄さんにくっついていれば、たぶん、とりあえず、命と血液は大丈夫だと思いますから」


 恐る恐る、貴い鉱石の粒を金属にはめ込むような手つきで、幼児の体を青年の背中へと落ち着かせようとした。


「……っ (@ @;)」


 ひきつった呼吸の音、それがルーフに事態の失敗を予期させた。


 だが彼の想定は外れ、ミッタはその先にある甘く柔らかい報酬を胸に灯らせながら、決意を決めて他人の体に身を任せることにした。

くだらない威勢ばかりでした。

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