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海はやがて帰るのだろう

平原に

 波は途絶えることなく、途絶えるわけがなく、まるで本物の永遠のように水面の上を踊り続けている。


 ルーフは風に慣れてきた視界をこらして、涙を堪えながら崖の側面から海原を観察してみる。


 柔らかく、しかし遠目で見ても人の力が及ばないであろう、そんな液体の流れ。

 表面のすぐ下に一切の自己主張をせず、音をたてることもなく潜んでいる水の塊たち。多様に変化する、右だと思えば左だったりと不規則な運動が何故か一定のリズムを予感させ、外側にいる人間の目に唯一無二の瞬間に限定された模様らしきものを見せつけてくる。


 初めて、現代人の平均的な人生の長さで測ればまだまだ初めての範疇に入ることになるのか。

 そうだとしても、それでもすでに一回はじゅうぶんにそれを見たであろうルーフなのだが、しかしどうしてもその不動で限りなく普遍な自然現象に心を直に撫で付けられるような感覚を抱かざるをえなかった。


 海苔おにぎりと似た感じの要領で自身の体を包む、毛布をうっかり風に飛ばされて波にさらわれて紛失、なんてしなくてもいいする必要もないお粗末を防ぐためにルーフは両の指でしっかりと、がっちりと毛布を握りしめる。


 そのままの姿勢でゆっくりと、慎重に崖の淵にまで足を進めてみる。

 剥き出しの皮膚が少し湿っている地面の水分を吸い込み取り込み、毛布では覆い隠せない外の冷たさがルーフの感覚を侵略していく。


 気温の低さで体が震えだす、そうなるより先に彼は何かしらの強迫的な感覚に突き動かされて、ルーフは崖の上ギリギリの落ちるか落ちないかの所まで歩を進め、その場でじっくりとしゃがみこんでみる。


 そうすることでほんの少し、自分の視覚器官を海へと近づけることが出来た。


 少しだけ近くに来た海は少年の思惑や行動などに全く関係なく動きを続けていて、しかし先程よりは格段とでも言うべきなのか、気のせいにしてもその潮のにおいはより濃厚に鼻腔を包み込んできた。


 内陸地方に暮らしていた自分が、自分にしてみれば大仰なまでに海へ興味を抱くことは、まあまあ納得できることとして。

 そうだとしてもどうにも不思議なものであると、彼は自分自身の思考に疑問を抱きたくなった。


 こんなにもたくさんの水がどうしてこんなにも、さも当たり前のように存在を確立できているのだろうか? 

 水溜まりのようにいつかすべての水が地面に吸い込まれたり、あるいは空へと蒸発してしまわないのだろうか。その現象自体は既に、今この瞬間にも実際に起きていて、それがあるとしてもそれ以上の水の量があるのかもしれない。


 見れば見るほど、考えれば考えるほど、自分の内側には疑問が湧き水のように溢れて留めようもなかった。


 その思考イメージがルーフをさらに遠くへ、この場所この時間ではない過去の情景へと誘う。


 あれは何時の、自分が何歳の時の事だったか。子細なことは思い出せそうにない、しかしあの時は確かに珍しく家族全員で外出をした日の事だった。


 自分と妹と、そして祖父。三人で何処へ………、ああそうだ、山へ湧き水を見に行ったんだ。


 何で湧き水? その理由はもはや自分に破壊することは出来ない。しかし滅多に出かけることのなかった祖父と、あまり外に出ることのできなかった妹と一緒に外出していたことが、自分には何かこれ以上の幸せなどないと、そう思えていたのだった。


 実際、もうだいぶ記憶は薄れてしまったが、見に行った湧き水は美しかったような気がする。

 しかしなぜ海を見て山の事を?


 理由はすぐに連結できた。ああそうか、そういう事になるんだろうな、ルーフは一人で微かにうなずきを繰り返す。

 この海には、きっとあの日見た湧き水も含まれているのだろう。流れゆく途中で様々なものと混ざり合いながら、あの水は最終的に海へと辿り着くのだ。


「海の匂いは死体の香り、水の生き物が死んで腐った臭い」


 ルーフの唇から、ごく自然な動きで童謡の一節のような台詞が紡ぎだされた。湧き水を見に行ったあの日に、祖父が呟いていたであろう言葉を引用してみたのだ。


 声に出してみて、彼はいつか抱いたものと同様の疑問を心の中に一滴たらす。

 どうして祖父は湧き水をみて、山の中にいて自分たちに海の事を話したのだろう。

 そもそも何であの時、わざわざ山へ湧き水を?


 過去へと抱く疑問は尽きることなく、解決も納得も見出すことが出来ず、やがてそれは身近な後悔へと。


 ルーフはかぶりを振って勢い良く立ち上がる。

 このまま海について、海だけを眺めてそれ以外の思考を捨てられたら、それはきっととても甘美な現実逃避になるのだろう。


 そうに違いない、だからこそ、そうする訳にはいかなかった。自分には、まだかろうじてやるべきことが残されているのだ。

 この場所で、この灰笛と言う都市でしかできないことが、きっとあるはずなのだ。


 まずはそれを果たさなくては、果たした後の事は考えたくない、だけど言われたことはきっちりとやらなくては。

 そうでもしないと、していないと。


「それは正解に近いのでしょう」


 足を真っ直ぐのばしたルーフの、彼のすぐ近くで低い男性の声が聞こえてきた。

 トゥーイの声だ、と少年はすぐに察する。


「彼らは一生を終えるそのことで同化するのです」


 青年が音声を発しながら少年の横に、ギリギリ顔が見辛い位置へと移動してきた。

シュークリームを舐め回します。

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