9:逆さまの月と愚者
翅を毟られた蝶を、何と呼べばいい?
芋虫の様に地べたを這いずり、死を待つだけの存在に、どんな名をもって憐れみを捧げればいいのだろう
唯、いたずらに散るそれを蝶と呼ぶのなら、私を蝶と呼べばいい
9:逆さまの月と愚者
「おはようございます」と、元気な笑顔で挨拶をするタクミ君がまぶしすぎて目が眩む。あたりを見渡すと、そこは水上コテージのベッドの上だった。前日は結局午前2時を過ぎ、クジラ群島の前線基地のあるギャリソン島に付いた途端に睡魔の限界が来て、意識が遠のいていく所までは覚えている。
「あれ?今何時?」
「朝の7時ですよ」と言われ、急いでヘッドギアを外して時計を見る。そして思い出した。今日は、日曜日。仕事は無い。
ヘッドギアをかぶり直す。
「もしかして、ずっと起きてたの?」と、タクミくんに尋ねると、「まさか」と彼は笑った。
「ジルさんが寝ちゃったあと、アリスと一旦落ちようって話し合って、ちゃんと寝ました」
「え?まだ7時だよね」
「はい、なんかわくわくしちゃって、6時くらいに目が覚めたのですぐにログインしたら、まだジルさんが同じところで寝ていたので起きるのを待ってました」
「そっかぁぁあふぁあああ~・・・」
返事と一緒に伸びをすると立ち上がり窓の外を見てみる。容赦なく照らす太陽と白い砂浜。陸には南国の木々が生い茂っていて、興奮する。
「ワクワクするね!タクミくん」
「ですよね!」
元気に返事をするタクミくん。
「じゃあ冒険にいこうか!」
元気な返事を期待したけれど、帰ってきたのは絶望だった。
「・・・でも、アリスが先に行ったらダメって」
結局、あの女は昼を過ぎるまでログインして来なかった。
「何そのふくれっ面。キモイんだけど」
と、アリスが悪びれもせずに言う。
「誰の所為でしょうね」
皮肉交じりに、パンを口に運ぶが、アリスが聞く耳など持つはずもない。
食事は重要だ。空腹で死ぬことは無いが、自動回復の速度に影響が出る。食べられる時は食べておくに越したことはない。昨日、どこかの誰かさんにカツアゲされた所為で、、この開放的なリゾートのレストランで、僕たちは黒パンに噛り付いていた。
ここ、ギャリソン島は、クジラ群島の前線基地ではあるが、水上コテージの並ぶその見た目は、まるでリゾートの様だ。
「これからどうします?」と、タクミくん。
「そりゃ冒険だよ。ね、アリスちゃん」
「海水浴」
うん、もちろん予測はしていた。ここに着く前に水着を買っているのだから、もちろんそうなる事は、当然の帰結だ。だからこそ、対策もある。
「じゃあ、こういうのはどうかな」
「嫌よ」
と、即答だ。
「タクミくぅん!アリスちゃんになんとか言ってやって!」
泣き付かれて、慌てるタクミ君。
「あのね、アリス。せめて話だけでも」
「絶対に嫌」
それでも、取り付く島はまだある。
「でも、タクミくんの為になることなのになぁ」と、タクミくんをダシにすると、アリスの表情が少しだけ変わった。眉間にしわが寄り、口がへの字に曲がる。
「何よ、タッキーの為になることって」
この隙を、待っていたのだ。
「ここの群島って、島によって敵の強さが変わるんだ。だから、タクミくんに合った敵のいる場所で海水浴をしながら訓練するってのはどうかな」
アリスがログインするまでの間に、この島の生物は、全て図鑑に収めてある。どうしても、僕は次の島へ行かなければならない。
アリスはそっぽを向いて「・・・チッ」と舌打ちをした後に「じゃあいいわよ」と、苦虫を嚙みしめたようにな顔で言った。ざまぁみろ。
島と島の間の潮は穏やかで、手漕ぎのボートでも簡単に渡ることが出来る。そのボートもあっちこっちに放置されている為、目的地のバナナビーチ島には、簡単に辿り着いた。
「沢山バナナがなってますね。だからバナナビーチって言うんですかね」
タクミ君の推測は、半分だけ当たっている。
「そうだよ。あとね、このビーチが三日月形をしていて、それがバナナに似ているからなんだ」
砂浜にボートを引っ張り上げながら答えた。
「あー、たしかに上から見たらバナナみたいに見えるの・・・か・・・も?あれ?」
ビーチを走り回っていたタクミくんが、足を止めた。
「どうしたの?」と、尋ねると、タクミくんが心配そうな顔でこちらを見つめてきた。
「なんだか、体が重い感じが」
傍から見ると、真っ赤な顔をして、汗をだらだらと掻いている。
「あっ!あー、そうだった。そういえば忘れてた」
そう、大事なことを伝え忘れていた。
「それ、多分、熱中症」
「え?ゲームなのに?」
そう、このゲームでは環境による状態異常が発生する。
「そうだよ。熱い所で熱そうな格好をしていたり、寒い所で寒そうな恰好をしていたり、あと、出会ったと時みたいに雨に打たれ続けていると、状態異常が発生するんだよ」
ただでさえ暑そうなローブを着ているし、そもそもエルフ種のエンシェントエルフは暑い所が苦手なはずだ。
「その斧で雨を降らせてあげれば?」
アリスが、そう言った。
「え?」
不意を突かれて、間抜けな声が出てしまった。
「だってそれあの斧でしょ。悪い魔女の首を刎ねて、その魔女が泣くから雨が降るとかいうオカルトの・・・、名前なんだっけ」
「・・・ラルムだよ。知ってたんだ、アリスちゃん」
ラルムはS級のアーティファクト。
「それ、雨を降らすくらいしか能が無いダメダメ武器でしょ。私は欲しかったのに、いつのまにか誰かが先に取ったのよ」
その能力は、雨を降らすことが出来る。屋外でも室内でも、広くても狭くてもどこでも。だけど、それにはひとつだけ条件がある。
「丁度いいから降らしなさいよ。タッキーの為に」
「無理なんだ。ラルムは指輪が無いと雨が降らせないんだよ」
対となる指輪がなければ、この銀のハルバードは泣いてはくれない。
「何それ、ただでさえ弱いのに雨も降らせないなんて、役立たずすぎない?」
攻撃力はB級武器並みには高いし、この武器・・・というか、S級のアイテムには、ほぼ全てに神性という効果が付与されている。これは、死んだ場合でも所有権が無くならないといったものだ。一応、役には立つが、アリスにとっては意味を為さないだろう。
「ごめんね」と、笑って見せるが、実は少しだけムカついている。この武器には、自分なりの思い出というものがある。ほとんどのS級アイテムをオーバーテイカー共に占領された中、昔の仲間と、やっとの思いで手に入れたものだからだ。
それでも、そんな僕の思い入れを知らないアリスに、何を言っても無駄だし、そんなことは最初から期待していない。そう、アリスに期待なんて、欠片もしていなかった。
「アリス、ジルさんに謝って」
タクミくんも、僕の思い出なんて、知らない筈だ。
アリスは、何も答えない。だけど、その表情は、怒りではなく、困惑を表していた。
「アリス」
と、タクミくんがアリスの名を呼ぶ。
「なんで?」
アリスが、縋る様にタクミくんを見つめる。「なんで?」は僕の言葉だ。タクミくんは何故、それを、見透かしてしまったのだろうか。
「そのアイテムは、ジルさんにとって大切なものだよ。ダメじゃ無いよ」
アリスが、無言で僕の方を見た。
情けなくも、目を逸らす僕。
「目を逸らしたわよ。絶対大した事ない」
いや、大した事はある。大した事あるが、それよりもアリスを信じたタクミくんの為にも、僕は目を逸らすべきでは無かった事も、分かっている。
「ジルさん・・・」
タクミくんが、僕の名前を呼ぶ。とても悲しそうな声で。
「わ、わかったよ」
アリスと目が合う。何だか知らないが、目頭が熱い。
「アリスちゃん、ラルムは大事なものなんだ」
そう、アリスに伝えると、アリスは、すごく悔しそうな顔をした。アリスを信じられなかった僕の所為なのだろうか。いや、あんなに恐ろしいアリスを信じられる、タクミくんが、絶対におかしい。
アリスが、今までに見たことが無いほど悔しそうな顔をしながら、口をモゴモゴとさせている。
「い、いいよ!いいんだよ!アリスちゃんは知らなかっただけだし!ね!タクミ・・・くん?」
砂の上に突っ伏すタクミくん。忘れていた、彼は熱中症のバッドステータス絶賛継続中だった。急いで日陰へと運び服を脱がす。
「どうすんのよ!バカ!」
と、慌てふためく役立たずのダメダメアリスを横目に、持ってきていた飲み水をタクミくんに掛けた。
「ステータス異常でしゃべれないだけだから心配しないで。アリスちゃんは泳いでいれば?」
「タッキーを放っておいて、そんなこと出来るわけないでしょ。バカ!」
「大丈夫だよ、アリス」
放射熱で体温が下がったのか、タクミくんが答えた。
「急に体が動かなくなるし、声も出ないし、びっくりしました」
「俺も、このバッドステータスを放置するとこんな風になるなんて初めて知ったよ」
タクミくんは、汗だくの真っ赤な顔でえへへと照れ笑いを見せた。もう大丈夫だろう。
「アリスは涼しそうでいいなぁ」
「恰好もエッチだけど、種族特性もあるからね」
「エッチじゃ無いわよ!」
怒るアリスをスルーして、タクミくんが続ける。
「アリスの種族特性ってなんですか?」
「アリスちゃんは初期のホーネスのままだからね。ホーネスは敵味方全ての種族の中で一番人口が多く、色んな地域に進出している種族だから環境耐性が高いんだよ。あとは、死亡時のペナルティーが低いんだっけ?」
アリスに尋ねると「私、死なないから関係ないけどね」と、自慢げに言った。たしかに色んな意味で死ななそうだし、いろんな意味で一回死んだ方がいいと思う。
「ホーネスって、アリスやジルさんみたいな人間の事ですか?」
タクミくんはキャラをお姉さんから譲り受けているからか、初期の種族を知らないらしい。
「実際はエルフやオーガやドワーフなんかも含めて人族なんだ。それで、初期種族の人間のことは、正式にはホーネスっていうんだよ」
「へー」
顔色が元に戻り始めたタクミ君が、感嘆の声を漏らす。得意げになって、僕は続けた。
「たしか、ホーネスって言葉は、エルフ語で角無しって意味なんだよ。エルフが人間のことを、角無しオークって呼んでいたのが語源かな。つまり、アリスちゃんは・・・」
と、言いかけたところで、アリスが、僕の首当てを掴んで持ち上げる。
「だれが、オークですって?」
「ごめんなさい」
つづく