拠点へGO
新しい拠点へ向かうための準備が進む中、ニコラの家では小さな騒動が起きていた。
「……で?」
マドカは目の前に並んだ三人を見る。
トーイ、チティ、カーン。
まだ幼い三人の子供たちだ。
「なんで君たち、ここにいるの?」
「決まってるだろ!」
トーイが勢いよく顔を上げる。
「俺たちを連れてってくれ!」
「……どこに?」
「お前らが行くところだよ!」
トーイは拳を握りしめた。
「修行でも雑用でも何でもする! だから連れてってくれよ!」
その隣で、チティは俯いたままだった。
さっきから一言も喋らない。
「チティ?」
「…………」
返事がない。
マドカが不思議そうに顔を覗き込む。
すると――
ぐぅぅぅ……。
「…………」
チティの顔が真っ赤になる。
「……ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいけど……」
マドカが少し驚いた顔をする。
「お腹空いてるの?」
「…………」
チティは答えない。
けれど、その小さな手がお腹を押さえていた。
「……朝から、何も食べてなくて」
「朝から?」
「昨日の夜も……少しだけで……」
声がどんどん小さくなる。
「でも、トーイが……」
「俺はいいんだよ!」
トーイが遮る。
「俺はまだ平気だから!」
「……平気じゃないでしょ」
カーンが静かに言った。
「昨日も半分、チティに渡してた」
「カーン!」
「事実だから」
チティは俯いたまま、唇を噛んだ。
「……ごめんなさい」
また謝る。
マドカは何も言わず、キッチンを見る。
そしてニコラを見る。
「……何か食べるものある?」
「あるよ~。パンならあるけど」
「持ってきて」
ニコラがパンを持ってくる。
それを見た瞬間だった。
チティの目が、そのパンに吸い寄せられた。
「…………」
じっと見ている。
手を伸ばしかけて――止める。
「……食べていいの?」
「もちろん」
マドカが頷く。
「……本当に?」
「うん」
チティは恐る恐るパンを受け取った。
「……いただきます」
一口。
二口。
最初は小さく齧っていた。
けれど、三口目からは止まらなくなった。
小さな口で必死にパンを食べる。
「ゆっくり食べて」
マドカが声をかけても、チティは頷く余裕もない。
飲み込んでは、また齧る。
途中で涙が落ちた。
「……おいしい……」
その一言だけが、かすかに漏れる。
そしてパンを食べ終えると、空になった手をじっと見つめた。
「……もう、ない……」
その呟きがあまりにも寂しくて、マドカは少し黙った。
すると、ニコラが追加のパンを差し出した。
「まだあるよ~」
「……!」
チティの目が大きく開く。
「……食べても、いいんですか?」
「いいよ~」
「…………ありがとうございます」
今度はゆっくり食べようとする。
けれど、やっぱり空腹には勝てない。
少しずつ、けれど確実にパンがなくなっていく。
その様子を見ながら、マドカは考えていた。
この子たちは、本当に食べるものにも困っている。
ただ生活を変えたいというだけじゃない。
今日を生きることそのものが大変なのだ。
「……マドカ」
リゼットが静かに声をかける。
「私はいいと思うわ」
「私も~」
ニコラも頷いた。
「この子たち、ちゃんと働く気もあるみたいだし~」
「私も賛成です」
アリシアも三人を見る。
「少なくとも、ここに置いていくよりは……」
「そうだな」
ヒナタも頷く。
マドカは三人を見た。
そして――
「……待って」
三人が顔を上げる。
「連れていくって、そんな簡単な話じゃないよ」
空気が少しだけ変わった。
マドカは三人を真っ直ぐに見つめる。
「私たちは王都を出る。新しい場所に行く。そこには今みたいに、すぐ助けてくれる人がいるとは限らない」
「…………」
「途中で嫌になっても、王都に戻してあげられるとは限らない」
マドカは一人ずつに視線を向ける。
「それでも行くの?」
トーイが拳を握る。
少しだけ迷ったような顔をした。
だが――
「行く」
はっきりと答えた。
「俺、ここにいたくない。何でもするから、連れてってくれ」
「……チティも?」
チティは少し震えながら、それでも頷いた。
「……ご飯が食べられて、屋根があって……」
小さな声で続ける。
「私も、ちゃんと働けるなら……」
「カーンは?」
「僕は分かっています」
カーンは三人の中で一番静かだった。
「ここに残っても、今までと同じです」
一度、トーイとチティを見る。
「僕たちは三人で生きていくしかない」
そして、マドカを見る。
「でも、あなたたちと一緒なら、違うことを覚えられる」
カーンは少しだけ頭を下げた。
「だから、お願いします」
「…………」
マドカは黙って三人を見た。
助けるだけなら簡単だ。
今日の食事を用意することもできる。
今夜寝る場所を用意することもできる。
けれど、この先ずっと面倒を見るとなれば話は違う。
子供を三人連れていく。
それは善意だけで決めていいことではない。
マドカはリゼットたちを見る。
誰も口を挟まない。
ただ、受け入れる準備はできている。
最後に決めるのは、マドカ自身だった。
「……分かった」
マドカが長く息を吐く。
「私たちと一緒に来て」
「!」
三人が顔を上げる。
「ただし、約束して」
「うん!」
「自分たちだけで無理しないこと。困ったらちゃんと言うこと。勝手に危ないことをしないこと」
「分かった!」
トーイが元気よく返事をする。
「それと――」
マドカは少しだけ笑った。
「働くのはいいけど、子供なんだから、ちゃんと遊ぶこと」
「……遊んでいいのか?」
トーイが驚いた顔をする。
「当たり前でしょ」
「……そっか」
カーンが小さく笑った。
「じゃあ、お駄賃もお願いします」
「お駄賃?」
マドカが目を丸くする。
「はい」
カーンは真顔だった。
「働いたら、もらうものです」
「……お前、そこはちゃっかりしてるな」
グレタが呆れたように言う。
「働くなら当然です」
「まあ、そうだな」
グレタは少しだけ口元を緩めた。
マドカも苦笑する。
「……分かったよ」
「本当か?」
「うん。ちゃんと払う」
その瞬間だった。
チティの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「……よかった……」
その言葉は、喜びというより。
ようやく、今日を心配しなくていい場所が見つかったことへの安堵だった。
マドカはそんなチティを見て、優しく笑った。
「これからは、ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝て、それから頑張ればいいから」
「……うん!」
三人が揃って頷いた。
こうして。
新しい拠点へ向かう一行に、三人の子供たちが加わることになった。
まだ彼らは知らない。
この小さな決断が、自分たちの人生を大きく変えることを。
そしてマドカたちもまた、知らなかった。
この三人が、これから先どれほど大きく成長していくことになるのかを。




