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辺獄の王  作者: 笑う閑古鳥
序章
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プロローグ

  死にたく、ない。



 闇の中で、己の存在が消え去る恐怖に苛まれる。

 死は、ある人にとっては救いだ。

 だが、ほとんどの場合そうではない。

 ”彼”は今まさにそのときを迎えようとしていた。


 しかし、無限に広がるような闇の中。するすると糸のようにほどけかけていた彼の意識が、その闇の先で再び形を成していく。



  死にたくない。このまま消えるなんて、嫌だ。



 それは強い、強すぎる意志の成せることだっただろうか。消えゆく魂が等しく無へ還る闇の中を、しばしば崩れそうになりながらも、その魂は進み続けた。



  もう誰にも、奪われてたまるか。



 無数の穴が闇の中にある。

 それらは全て、この無へ通ずる別の入口だろうか。

 本来、ここに出口などはない。

 しかし、”入れたのならば、出られる”のだろうか。



  むしろ。そうだ。むしろ全てを…



 彼はもうありもしないはずの手をのばして。



  手に入れてやる───!!



 掴んだ。

 

「グ、ゥゥ!!オ゙オ゙オ゙…ッ!!」


 次の瞬間、彼の”聴覚”が唸り声を認識した。

 おおよそ人間のものとは思えない、地獄の底から響くようなそのひび割れた音に、曖昧だった意識が色を取り戻していく。

 驚いたことに、それは自分自身の発したものであるらしかった。


「ココハ、ドコダ…!!」


 ままならない思考のまま、とにかく声を発する。

 やはりその恐ろしげな音は、自身の声だ。



  見え、ない…灯りを…!



 腕、脚、身体を起こし、よろよろと起き上がりながらそう考えた。

 そしてその瞬間、目の前が光に包まれた。森だ。眼前に広がったのは、青々とした自然だった。

 なぜ自分はこんな所にいるのか、視界が開けたのか、この景色を視界に入れて眩しくないのか。

 疑問は尽きないが、彼にそれを気にしている余裕はなかった。

 なぜなら次の瞬間には、耐え難い飢餓が彼を襲っていたために。



  腹が減った!!喉が乾いた!!



 その飢餓感はかつて味わったことの無いほど強烈なもので、気付けば視界が赤く染っていた。動くのもおぼつかなかったはずの身体に、力がみなぎっていく。そうしようと考えるまでもなく、彼は前に駆け出していた。


「オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙!!!!!」


 凄まじい咆哮をあげ、前に、前に脚が出る。

 この飢餓感を埋めるものを探して、本能のままに。

 倒木を蹴り飛ばし、立木をなぎ倒し、障害物などないかのように、ひたすら直線に飛んでいった。


 やがて、澄んだ泉が目の前に現れる。

 びたり、と立ち止まった彼は、その静かな水面に頭を押し込み、思い切り飲み下した。


「ヴヴヴ!!!!!ヴオオオ!!!!!」


 水の中に魚が泳いでいる。

 突然現れた脅威を前に、遠くや岩の隙間へ散っていく。

 彼は飢餓感の赴くままそれらに手を伸ばして、掴み取っては口へ運んだ。遠くへ逃げようとも見えない手が届き、岩は砕くか、あるいは放り投げ、見える範囲全ての魚を食い尽くした。


「ガハッ!!グ、ヴゥゥ…!!」


 ようやく飢えが満たされたのを感じ、彼は止まった。

 荒い息をつき、視界が元の色を取り戻す。

 森の静けさが再び辺りを包む。



  これを、俺がやったのか…?



 彼が見渡すと、放り投げられた岩や砕け散ったその破片で、泉は荒れ果てていた。背後には木々が失われた、不自然に直線的な道が続いている。



  俺はなんだ?これはなんだ!?



 恐る恐る眺めた己の腕は、人間のものではなかった。

 黒く、硬い殻に覆われ、まるで鱗のような肌。

 不自然に長い指は、爪もないが、細く尖っている。そもそもからして、腕自体ひどく長い。腕のみならず脚もそうだ。

 見下ろしながら触れてみると、体もその黒い皮膚に覆われ、ところどころに殺意を感じさせる棘が突き出している。


 最後に、静かになった泉を覗き込んだ。

 そこに映っていたのは、人間などではなかった。

 おぞましい顔は、体と変わらず黒い肌に覆われている。横幅の細い頭部に、兜のような甲殻。顔の横まで開いた口には、ずらりと並び立つ牙。目は見当たらない。表情などないに等しい。

 こんなものを目にすれば、人間は腰を抜かすだろう。


 しかし、彼は自分でも分からないが、不思議と穏やかだった。


「ハ、ハハ…マルデ、アクマミタイダ…」


 顔を撫でながら、彼は呆然と呟いた。

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