第1話 千年ぶりの鬼退治
二月がそろそろ終わるという頃になって、薄暗くなりはじめた空の下を歩いていると、手袋もしていないので、寒風にさらされて手が悴む。
三ツ石シグルはイヤホンから流れてくるファンクだとかR&Bだとかを聴きながら、足が痛んできた頃、ようやく立ち止まった。
黒いモーターサイクルジャケットの表面には風が当たって、冷気が戸惑っている。
しばらく足を止めていた後、また歩き出した。
前髪が風にかきあげられる。
そして、ようやく目的地にたどり着いた。
盛岡駅前にある喫茶店〈星の月〉である。
ドアを開いてみると、カランカラン‥‥‥と音がする。
そして、珈琲の香りや音、ローカルの情報番組が来月に卒業式を控える中学生や高校生に取材をしている様子。
「あっ、あれ! サンちゃん久しぶりじゃないのォ!」
「どうも」
「元気してた? お仕事大変だったの?」
「あー、ちょっと‥‥‥バイクで事故っちゃって、入院してました」
「やっ、だ‥‥‥大丈夫なのそれ!」
マスターの石割マツヨが忙しなく動いている。
「まぁ、ちょっと全身の骨にヒヒがね。退院祝いなんです」
「大丈夫じゃなさそうねぇ。いつものでいい?」
「はい。ありがとうございます」
「ちょっと、そこ、ちゃっちゃと座っちゃって」
〈星の月〉には、ピザ窯がある。
初めて来た際に、喫茶店にピザ窯なんてのがあるからたいそう驚いた記憶がある。
今から焼いてくれるので、その間に身体を温めておくことができたのが、シグルにとってありがたかった。
座って。
「一ヶ月見なかったねぇ」
「仕事で北海道行ってました」
「其処で?」
「事故っちゃいました」
「あちゃー」
「土産とか買う暇なかったっす」
「あなたの命が一番なのよ」
「やさしい」
「あなたのお命いただくわ」
「こわい。飛行機乗る前に食ったラーメンなら出せます」
「ゲロじゃねェかそれ!」
わはは。
笑った。
ピクルスとバジルのピザが一枚丸ごと。そして、コーヒー。
「今度の仕事も疲れましたよ。北海道の廃ホテルなんですけど、其処に幽霊が出るとか言われて」
「あらこわい」
「でもこちとら幽霊とか云々じゃなくて仕事で行ってるんですよね。いろんな点検とかして、そうしてると夜なんですよ。したら、なんか怖いじゃないですか。急ぐんですよ。コケました」
「コケたか〜」
「マジでもう岩手から出ないことにしました。岩手なら何となくで生き延びられるんです。そんな長期入院なんてさあ今までありませんでしたもん。北海道は旅行だけにします」
「北海道は行くんだ」
「雪おいしかった」
「こいつに飯食わすの嫌だわ〜」
シグルの職業というのは‥‥‥少し説明が難しい。
不動産屋かと言われれば、そうでもなく、警察に呼ばれれば捜査協力をする。
たとえば、殺人事件があったとして、それに彼の力が必要になる場合、捜査班に彼が組み込まれることもあるし、警察と同等の権力を与えられることもある。
比較的フットワークも軽い。
仕事中に怪我をすることもそれなりにあるので、そのたびに「こんなんなるくらいならさぁ!」と嫌に思わなくもなかったが、ウダウダ言ってても仕方ないので、仕事は続けている。
実際、シグルにとって一番都合のいい仕事というのは、こういう不思議な、明確に名前もついていないようなものであった。
〈星の月〉で食事を終えたあと、しばらく談笑をして、シグルは店をあとにした。
そのままの足で事務所に向かう。
シグルの事務所は盛岡駅から徒歩で十分ほどのところにあり、外観はコンクリートで塗り固められた二階建て。
黒ずんだ木製の戸を開けて、八帖ほどの室内を満たしている冷気を押し出すように、反射式ストーブを点灯させた。
棚から酒を出して、身体の中に流し込み、それからソファに寝転がりその日は眠りについた。
翌日、目を覚ます。
ピルルル‥‥‥ピルルル‥‥‥。
どうやら電話がかかってきており、その電話機が赤いので、仕事の依頼だということがわかる。
私用であれば、携帯電話のほうにかかってくるだろうし、この赤いのが鳴ったときは仕事である。
一日くらいゆっくりしておきたかったが、相手方は相当待ったのだろうと考えると、受話器はとらなければならなかった。
「はいもしもし」
「二戸だな。起こしたか?」
「二時間前には起きてましたよ」
寝起きのやや低い声で答える。
二戸。二戸ヒデリ。これは、警察用に使っている身分である。
職業柄いろいろな人間に迷惑をかけて、最悪恨まれ呪われるケースというのもあり、本名を使うのは大変危険なのだ。
なので、身分は色々と用意している。
「相手をしてほしいんだ」
「あいよ。今回はどちら様で?」
「市内だ。そして、組織。どうも自分たちで集落を作ろうというつもりらしい。そのれんじゅうがやらしいことをやろうとしているので、君にはそれを邪魔してほしい。君のいない内に警察でどうにかできないかと色々やってみたんだが、どうも結束が強くてならない」
「ほかはあたったんで?」
「ああ。しかし‥‥‥」
「ハハァ。まぁ構いませんよ。ちょうど昨日の晩で酒も切れたんだ。働きましょう」
「そうか‥‥‥あ、ありがとう‥‥‥!」
「どうも」
背を伸ばし、パキ‥‥‥パキ‥‥‥という音が鳴る。
シャワーを浴びてスーツを着替えて、仕事用の金属ベルトの腕時計に付け替え、革のバッグを持ち事務所を出る。
教えてもらった住所までタクシーに揺られる。
どうやらほんとうに何らかの組織が自己で集落を作ろうとしているらしい。
土地の所有者はその組織の関係者なのだろうか、とか‥‥‥そういう事を考えながら、獣道のようなところを歩いていると、老爺が見えた。
「なんだ、オメェ‥‥‥」
岩手の方言ではない。
外部からやってきたか? 標準語‥‥‥東京弁だ‥‥‥。
「もっし、僕ァ警察です。四十四田カンクといいます。よろしく、えー、どうもよろしくお願いします。ちょっと良いですかねえ、おじいちゃん。最近ン‥‥‥ここいらでね、なんか怪しいれんじゅうが動いてるゥ‥‥‥みたいな、そういう話がありましてねぇ。なんか知んねぇかなァ?」
偽物の警察手帳を提示してから、その老人に近づいていく。
「んだっけね。んでも、おらわがんね。そったなれんじゅう見たこともね。見つけたら、警察さんに電話すっからね」
「ソですか。いや、時間貰っちまってすまねがった。ハハァ。電話、ありがたい」
「寒いのに、偉いことで」
「どうも。おじいちゃんもね。風邪引かんようにね」
去り際になって、背中を見せたとたんに、老人は腰に下げていた道具袋からブリーフに包まれた包丁を出した。
「警察はもうコリゴリだ‥‥‥消えろ。そして‥‥‥忘れるんだよ。ここにあるものをすべてさ‥‥‥そうしなくちゃあ、貴様のような若者ですら、この包丁がバッサリだ‥‥‥命もボトボト‥‥‥命がボトボト!」
「ハハァ。そりゃあタイヘンなこって」
シグルは懐から高性能消音装置のついた拳銃を取り出すと、両足に二発、両肩に二発‥‥‥撃ち込んで‥‥‥「ハハァ」と笑う。
「アア、アアーッ、アアアア‥‥‥アア‥‥‥ヒギィ‥‥‥」
「あんなクソ方言いまどき誰も使ってねぇよ。田舎モン舐めすぎだ、東京モンめ‥‥‥夢の島に帰るんだよ‥‥‥」
叫ぼうとする老人の口を手拭いで押さえて、頭を掴みながら、木の幹に叩きつけ、眠らせると、先に進んだ。
山あいに、プレハブの建物がたくさん見えてきた。
作成途中の畑まで見えて、夏にはなにか作物でもしばいてやろうとしているのがわかると、シグルは革のバッグからカメラを取り出して、それを撮影した。
それから、集落を散策していると、公園のようなところで中学生か高校生ほどの子供が固まって何かを話し合っているのが見えた。
革のバッグから葉っぱの形をしたのを取り出して、風が吹いているのを確認して、それを風に飛ばす。
それから自分は音楽プレーヤーを出して、イヤホンを耳につける。
すると、葉っぱ型の収音装置から子どもたちの会話が響いてくる。
『でも、問題は警察だぜ。今日も来るかな‥‥‥!?』
『来るでしょ、ここ最近ずっと来っ放しだったんだし』
『警察がさ、来たら保護してもらうとしても‥‥‥俺たちの話信じてくれるか!? 鬼を作ろうとしてるなんて』
『其処だよね』
『でさ、俺、いい案があるんだ。最初っから鬼を作ろうとしてるから来てくださいなんて言っても信じてもらえないんだから不発弾を見つけたって言って、案内すれば良いんだよ!』
『それナイスアイデアだろ! 採用!』
『でも、警官の人、殺されちゃわないかな?』
『あっ‥‥‥そうか‥‥‥で、でもな‥‥‥』
『‥‥‥‥‥‥』
シグルはグ‥‥‥グ‥‥‥と音楽プレーヤーのツマミを回して、マイクのボタンを押す。
「そこの君たち」
『え!?』
『なんだ!?』
『何もないところから声が‥‥‥』
「滑り台の階段にある葉っぱを持ち上げてみなさい」
『ウ‥‥‥!? なんだこりゃあ』
『収音装置だよ。音を拾う隠しマイクだ』
「御名答」
シグルは物陰から姿を現し、彼らに警察手帳を提示してみせた。
「君たちがお求めの警官様だ」
「え‥‥‥あ‥‥‥じゃあ」
「鬼を、作っているって‥‥‥?」
子どもたちは困惑したような顔をしながら三人揃って顔を見合わせた。
「信じてくれないと思いますけど」
「いや、信じるさ」
「エ‥‥‥!?」
「こう見えてそういう話には詳しい方だ。自己紹介していなかったね。俺は四十四田カンクという。年齢は二十二だから、君たちとあまり離れてはいない。君たちが先ほど話していた、その『鬼』っていうの、俺にも見せてもらえるかな?」
少年たちは顔を見合わせていた。
シグルは多少目を細ませて、「どうか?」と試すように言った。
少年のうちの一人‥‥‥稲庭ハナオは「四十四田カンク」と名乗ったその男が「嘘をついている」というのをなんとなく分かった。
ハナオは良くそういう勘が働いた。
そしてその勘というのは、いやな宗教に入れ込んでいる両親すら怖がってしまうような、レベルで当たってしまう。
「明日死ぬな」と思った人は死ぬし、「ああ、事故が起こるな」と思った場所では事故が起こる。
そういう勘が「この男は本名を名乗っているわけではない」と語っていた。
そういう時に、シグルの携帯電話が鳴り、メールらしい。それを読みながら眉間が動くので、怪しさは増していく。
この男が信用に値する人間かどうかを見極められるような、従順な直感能力はハナオにはなかった。
ハナオはしばらく黙っていることにした。
「わかりました。み、みせます」
「どうもありがとう。助かるよ」
三人は「鬼」のところまでシグルを連れて行った。
それは、プレハブが並ぶ中、唯一のコンクリートの建物だった。
「へぇ~。ここだけやけに立派じゃないか。なんだい? ここは‥‥‥やっぱり、鬼を作るってなるとどいつもこいつもコンクリートて囲みたがるものなのかね。まぁいいけど」
「監視の目があるよ」
「でしょうね。君たちの親はここにいるか?」
「い、いや‥‥‥でも‥‥‥親の友達がここに‥‥‥」
「じゃあ別に心は痛まないね」
革のバッグから何かを取り出すと、扉に貼り付ける。
携帯電話を動かして、何をするのかと思えば、ボンと爆発。
「気づかれますよ!」
「もう気付かれてるよ。君たちが俺を案内したのもね」
「やばいですよ!」
「やばいですね」
「せ、切羽詰まらないタイプ!?」
「離れしてるタイプだ。どいていな、チビ助」
白装束の男が飛び出してくると、シグルは心を動かすこともなく、右肩を撃ち抜いた。
「ギャア!」
発砲までの判断が早すぎる──やはり、とハナオは確信する──この男は普通ではない!
背後から襲いかかってくる主婦に拳銃を地面に叩き落とされると、主婦はその拳銃を踏みつけるが、シグルは消音装置を踏みつけ擦るようにして、それを外して足の甲に乗せるように飛び上がらせると、顔面に蹴りと一緒にたたきつけた。
消音装置が顔面に突き刺さり、主婦が叫んで地面を転がった。
「ハナオォォ!」
主婦は叫び、ハナオを睨んだ。
「姫神なのに、鬼を殺そうとするのか!」
「姫神」
姫神というのは知っていた。
「独自設定だと思ってたけどそうでもないのか」
ハナオはその姫神という言葉が嫌いだった。
岩手には姫神山というのが存在すると知ったときは、少し複雑な気持ちになったりもした。
姫神というのは鬼の子を妊む為に身体を特殊な理屈で改造された者の事である。
たとえば不妊に悩む女性であっても姫神であると認められれば鬼の子のために妊娠可能状態になるし、それが例えば死にかけの老爺であっても、姫神に認められれば妊娠可能状態にされる。
ハナオという少年は。
「‥‥‥‥‥‥」
シグルはハナオの微細な表情の変化を見逃さなかった。しかと記憶に刻み入れて、次に視線を移す。
「まぁどうって事はないよ。姫神は君だけじゃない」
「なにを‥‥‥」
「恐ろしいほどに勘が働くなら感じてみろ」
ぎょっとした。
「なんでそれを‥‥‥」
「百景種は君だけじゃない。死にたくないなら俺に付いてくるのが吉だよ」
「こ、こうなりゃ乗りかかった船じゃなくてポリ公だい。何処までも行ったらーって気持ちで!」
「ハハ。その意気だ」
建物の中に入ると違法に作られただろう不細工な拳銃が口をシグルの方に向けて、発砲音が辺りに響き渡った。
シグルはそれらすべてを地面に落ちていた鎖で受け止めて、自分は確実に弾丸を当てていった。
気持ちが上下していないような顔で、だんだんと鬼の方に近づいていくので、このままだったらほんとうに鬼でさえもやっつけてしまえそうな気がして、三人は少し嬉しくなった。
「そ、こ、ま、でだ‥‥‥!!」
「ン?」
男が現れた。これまての白装束という感じてはなく、白衣を身にまとった黒いセーターの男。
「この世界の神性怪奇をすべて手に入れる。月の神ラフ‥‥‥太陽の神ジョウゴン‥‥‥怪奇の男・島澤伴内‥‥‥姫神ゼロ号・横井志津子。‥‥‥それらを手に入れるための、我々の神聖な計画をお前のような警察組織に‥‥‥法律の犬ごときに邪魔をされるのは‥‥‥もう、コリゴリだ」
「え、犬ごときに今まで邪魔されてたんだ‥‥‥お猿さんかな?」
「殺すぞ」
「ハハァ。君はまた無茶を言いなさる‥‥‥」
「殺す」
「やってみなさい」
男はライターのような物を取り出し、カチッと火を灯す。
すると、身体を何かが覆いはじめ、筋骨隆々の異形が現れた。灰色の強化皮膚、黒い複眼、まるでそれは、鬼のようだった。
いや‥‥‥。
「ハハァ‥‥‥鬼か。まったくもってめんどくさいけど、約束だものな。それに仕事だ。‥‥‥チビ助ズはさがっていなさい。ここからは‥‥‥千年ぶりの鬼退治だ」
シグルはライターのような物を取り出し、カチッと火を灯す。
すると、身体を神経が覆いはじめその神経を中心に外骨格と強化筋肉・強化皮膚がスーツのように形成されていく。
黒い薄い強化皮膚の上に、白い硬い生体装甲。
青い複眼がギラ‥‥‥ギラ‥‥‥と光り、輝きは増していく。
「余所者が岩手で鬼を作ろうとするから‥‥‥本物に、やられる。ハハァ‥‥‥悪いけど、俺もお前も鬼で‥‥‥俺もお前も怪奇‥‥‥そして、お前は悪で‥‥‥俺は‥‥‥この子達の味方、正義の使者‥‥‥」
「お前は、何者だ!?」
「セカイダー」
鬼が拳を振るう。だいたいいつもはここで死んでしまうが‥‥‥しかし、そのセカイダーと名乗る異形は違う。
鬼よりもはるかに細身で‥‥‥しかし、明らかに‥‥‥パワーの桁が違う。軽々拳を受け止めると、蹴りで巨体を跳ね飛ばした。
「ウ、ウゥ‥‥‥!? そ、そんなはずがない‥‥‥我々の努力の結晶なんだ‥‥‥頑張って作った鬼の身体が、どうしてきかない!?」
「お前、鬼の血を引いてないもの‥‥‥」
可哀想になって、答え合わせをしてやるつもりでそう言うと、鬼は怒り狂い、「見てわからないかあっ」と叫びながらセカイダーの方に突っ込んでいった。
セカイダーはそれを見切っており、顔面に蹴りをめり込ませた。
「こんな時代に、ほんとうなら、お前のような鬼のまがいものも、俺のような神のまがいものも‥‥‥必要ないんだ。これから先の未来っていうのは、ちゃんとした人間が作り出していくものなんだ。それを、わざわざ体を化け物に変えてまで、何かしてやろうっていうのは、余計なお世話でしかないことを‥‥‥」
連発。攻撃。
セカイダーの攻撃で意識が朦朧としている鬼の顔面に拳がめり込み、地面に倒れ込み、かんたんに変身は解けた。
「‥‥‥‥‥‥」
「や、やっつけちゃったのか‥‥‥!?」
「ご覧の通りKO勝ちだよ」
「やった‥‥‥やったぁ!」
「でも、まだ終わってないらしいな」
「エッ!?」
ハナオもそれは感じていた。
鬼はまだ至る所に存在している。
「君たちの親が入れ込んでいる組織とやらが、だいぶやらかしているらしいな。‥‥‥俺の仕事が増えるんだ、困るんだ、それ‥‥‥」
「迷惑なんですか」
「やりたくてこんな事、やるでないもの」
「こんな事‥‥‥?」
セカイダーは拳を強く握りしめた。
「さて。君たちの保護は県警に任せようか。まず村から出なくちゃな。姫神の君、俺に抱えられなさい。あとの二人はそうだなぁ‥‥‥適当にそのへんの縄でも腹につけて」
「なんかこの縄くっせぇ」
「我慢しろよ。もー‥‥‥うわ、くっさ。しょうがない、なんとなくそれっぽい顔をして俺の前を歩くんだ」
「なんでです?」
「なんとなくそれっぽいから」
そうして、集落を出ると、先に読んでおいたパトカーの群れが見えて、「ワンちゃんの群れ」と言って、シグルは笑っていた。
「‥‥‥‥‥‥」
自分を抱え上げるシグルを見おろしながら、じぃっと見つめる。
「俺は鬼だけど、そうポンポンと手は出さんよ」
「‥‥‥僕のほかにも姫神はいるんですか」
「いるよ。クソ生意気な奴が一人」
「一人‥‥‥」
「心細い? 紹介しようか、あのアホを。あのクソうんちバカバカマン。同じ境遇がいれば‥‥‥多少は考えやすいだろうしさ」
電話。
「はい。しもしも」
「え、なんすか。わ、悪口? なんすかそれ、エッ!? え、え、あ、あの、言ってないっす。な、なんすか‥‥‥言うわけないじゃないっすか、嫌だなぁ。エヘエヘ、エヘ‥‥‥エ? あ、ストーブ‥‥‥? あっ、つけっぱなし‥‥‥? えっ、なんで‥‥‥あっ、いや、なんでもないっす。はい、はい、ごめんなさい。まじでごめんなさい。ほんとうに、あの、すいません。え? いや、なん‥‥‥いや‥‥‥はい、ごめんなさい‥‥‥もう二度とそのようなことは‥‥‥はい‥‥‥」
しょんぼり。
「あんまり立場強くないんですね」
「や、やめろよ‥‥‥」
警官の一人が声をかけた。
「今回もご苦労だった、変身したらしいな。県警のレーダーがお前の変身時の生体パルス、キャッチしたよ」
「鬼モドキがいたんだ。れんじゅうは‥‥‥あっ、その子達の保護どうも‥‥‥れんじゅうは、どうやら鬼を作って、何かを企んでいるらしい。それと、東京の訛りがあるから、もとはそっちからかな?」
「らしいな」
「これから大変になっていくぞ〜。俺に休みはあるのかな?」
「本当にすまない」
「かまわないよ、仕事だものな。互いに」
警官、早池峰ジョーは自分の髪を撫でながら、「ああ」と微笑みで返した。
「姫神がひとりいた」
「エッ?」
「丁重に扱っておくれよ。なんだったらうちで保護するのもできるけど‥‥‥うちのアホアホおバカちゃんが何か嫌な勘ぐりをしそうだからそれは避けたいな」
「姫神か‥‥‥ベースは男?」
「おそらく、例に漏れずね」
「ふーむ‥‥‥どうしてこう、姫神になってしまう男は、女の子のような見た目をしているのかね」
「鬼が発情せんと意味がないものな。こういう下衆の話題、嫌いだな。なぁ、俺もうそろそろ帰っていいかい?」
「あ、ああ。すまなかったね」
「構わんよ」
警官に保護された少年三人に「じゃあ達者で暮らせよ」と手を振りながら、山を降りていった。
それから麓でバスに食らいついて、事務所に帰る頃には、空は夜の色に染まりきっているので、「昼メシ食いそびれたなあ」「〈星の月〉で食っていこうかなあ」「でもなんか、あいつ事務所で待ってそうだなあ」だとかなんとか考えながら事務所のドアを開ける。
「よっ」
「やっぱり居た。お腹へったよ〜いしえもーん」
姫神の青年・石神ルイに飛びついた。
ルイはそれを躱してから、握り飯を投げ渡す。
「誰がいしえもんか。ほらよ、軽食」
「やったー! ガチで嬉しいっす」
渡された握り飯を喜んで食いながら、今日の仕事について飯のお供に話しだした。
姫神の事を聞くと、あまりいい顔はしなかった。
「早池峰の事だから嫌な扱いにはせんだろうけど、あまりいい気分にはならないな」
「だからさ、言うの迷ったよ〜」
「なんで言うんだよ」
「君は、ホラ‥‥‥俺が鬼の血を引いて生まれたばっかりに姫神というだけで女の子になったじゃないか。そういう、俺のせいで人生ねじ曲げられてしまった責任感じてんだナ!」
「ハハァ、立って食うと詰まらせるぞ」
詰まらせた。
「言ったそばから‥‥‥なんでお前はそう、馬鹿なんだ」
「苦しいよ〜」
水を飲みながら、生死の境を彷徨った恐怖で背中に汗をかいていたのを感じつつ、赤い電話機が鳴らないのを願ってみる。
「その姫神はどうした?」
「体内に発信器を埋め込んであるからいつでも追跡可能だよ」
「趣味の悪いやつ」
体内にしまい込んである追跡確認用のデバイスを全部──計十八個出して、全部ルイに渡した。
「何処に隠してたんだよ」
「職業柄隠すのはうまいんでっす」
「なんか腹立つなぁ。お前そろそろ本名教えろよ」
「三ツ石シグル」
「嘘つけ。‥‥‥いまはなんだろう? おい、ここどこ?」
「県警本部。怪異系の被害者というのもあってね、君もやっただろうけど、身体検査をしてから、戸籍に特別な細工をする」
「ハハァ‥‥‥。なんだか、もやもやするなぁ」
「本当にごめんよ」
「お前にじゃねぇよ。なんで、鬼なんてのがいて、姫神なんてのがあるんだろうな。そんなもの、今の時代に必要ないだろうに」
「‥‥‥‥‥‥」
「そういや、俺聞いたんだよ。カズキから」
カズキというのは、同業者の天拝坂カズキのことであり、そして、ルイの幼馴染でもある。
というのも、カズキという男はルイを取り巻く怪奇を除くためにあんな仕事をしているのだ。
「怪奇の世界の人間である島澤伴内なら、怪異を破壊する能力があるから、鬼も姫神も消してくれるかもしれないって」
「でも都市伝説みたいなもんでしょう、誰も見たことないじゃない」
「あいつもそう言ってたな。本当に存在してるのかも分からない伝説みたいなやつだって」
「本当にいるといいね」
「ン? ああ‥‥‥まぁ、そうだなぁ」
その日の晩、事務所でひとり眠っていると夢を見た。
その夢は残酷で、変身したシグルは死にかけているあの鬼もどきに馬乗りになって、顔面を何度も殴っているというものだった。
次第にその鬼もどきの息はなくなっていき、最後は死んでしまう。
しかし、シグルは殴るのをやめず、そして、自分の変身が解けても、なおも殴り続けていた。
次第にシグルの口角は上がっていき、目が開いていく。
自分が殺しを‥‥‥暴力を‥‥‥心の底から楽しんでしまえるような、化け物になってしまう夢だった。
目が覚めると、汗をびっしょりとかいていて、シグルは洗面所に向かっていくと、つぶやきはじめる。
「俺は、三ツ石シグル」
その言葉には心を落ち着かせてくれるような魔力なんてものはいっさいなかった。
「俺は、三ツ石シグルだ」
けれども。
「俺は、三ツ石シグル‥‥‥」
それでもほとんど癖のようなもので。
「おれは、三ツ石シグル‥‥‥‥‥‥」
何度もつぶやく。
「おれは、みついししぐる‥‥‥」
何度も、何度も‥‥‥。
「お、おれは‥‥‥」
何度も‥‥‥何度も‥‥‥何度も‥‥‥何度も‥‥‥何度も‥‥‥何度も‥‥‥何度も‥‥‥何度も‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「俺は‥‥‥三ツ石シグルだ‥‥‥その、はずだ‥‥‥」
震える手で、ファンクだとかR&Bだとかが流れるイヤホンを耳につけて、ソファにゆっくり腰を下ろした。
「岩手県‥‥‥盛岡市‥‥‥猪去‥‥‥昭和六十一年七月二十日生まれ‥‥‥二十二歳‥‥‥身長百八十センチメートル‥‥‥体重八十キログラム‥‥‥視力左右ともに一・〇‥‥‥趣味はゴルフ‥‥‥」
手を見る。
ついていないはずの血が見える。
吐き気が込み上がってきて、シグルは「ごめんなさい」と謝りながら、クッションを頭に押し付けて、泣きながら、嘔吐した。
「こ、こういう心の弱さがあるから‥‥‥俺はいつまでたっても‥‥‥落ち着く場所を見つけられないんだ‥‥‥だ、誰かを愛したって‥‥‥そ、そんなものは‥‥‥俺のものじゃないんだから‥‥‥く、くそ‥‥‥精神が衰弱してるんだ‥‥‥俺の神経が衰弱しているに違いないんだ‥‥‥男のくせに情けない‥‥‥軟弱者だ‥‥‥か、かあさんがおれをみすてたりゆうがわかってくるんだ、なみだがでてくるんだ‥‥‥」
震えながら、シグルは頭のなかに響き渡る、「おまえはでき損ないだ」という声を遠ざけるために、耳を塞いで、吐瀉物まみれのソファに顔を押さえつけて、ワーワーと叫んでいた。
せめて自分のなかで声が響いてくれれば、それが一番良いと思っていたからだ。
「はやく、どうにかしなくちゃ‥‥‥さっさと‥‥‥『エナシ』を祓って‥‥‥日本から出ていかないと‥‥‥いつまでもここにいたんじゃ‥‥‥俺が俺でなくなる‥‥‥」




