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第二十一話「欠乏」

「足りない……」

 虚ろな意識のまま、宵闇をさまよう銀は呟いた。

 今こうして自分が歩いて行動しているということにもまるで現実味がない。

 喉が渇いている。

 たまたま立ち寄った公園で水をがぶ飲みしたが、渇きは全く癒えない。

 体が冷えきっている。

 純粋に体温が気温以下まで低下しているらしく、周囲の空気は熱くすら感じる。

 何か、本来あるべきものが、圧倒的に足りない。

 そう、「足りない」のだ。それくらいしか、今の状態を表す言葉がない。

 不意に。どこからか硬質な足音が聞こえてきた。当然、それは誰か人が歩いていることを示す。

――獲物。

 そんな形容しかできない認識が脳裡に浮かび、今までにも増して猛烈な渇望が湧き上がる。

「……足りない」

 足りない。なら、どうすればいい?

 簡単だ。補えばいい――奪え。

 何か、底冷えのするモノに思考を後押しされ、銀は歩き出した。


 深夜ゆえ人通りが少なく、他の音自体皆無に等しかったため、獲物――足音の主は、簡単に見つかった。

 スーツ姿の女。

 若い――が、せいぜい老いていないという程度の若さ。充分ではない。あの女と比べれば、砂塵にも等しい。

 妥協するしかあるまい。今は選り好みしている場合ではないのだ。一刻も早く、この不足を補わなければ。

 自分を納得させ、物陰から足を踏み出す銀――そのすぐ目前のアスファルトを突き破り、氷の剣山が現れた。

「これ……は……」

 見上げた先には――白い異形があった。

「……エンキ」

 白いフォルティスは、銀を見下ろしたまま沈黙を守っている。

――不快。

「邪魔……だ……」

 何の疑いもためらいもなく、銀は脳裡をよぎった不快感に従い、障害を排除すべくエンキの立つ電信柱の頂上へと跳躍した。

 対して、構えた右手から以前見せた『槍』を生み出しかけたエンキだったが……不意にそれを途中で止め、銀をかわして地上へと降り立った。

「……感じる。……おまえの方が……いい」

 エンキを追い、着地しざま襲いかかる銀。

対するエンキは、なぜか積極性を欠いていた。自ら攻勢には出ず、散発的な反撃しかしない。

 銀が変身していない状態でのエンキとの身体能力の差は明らかだったが、姿勢の違いがそれを埋め、エンキは銀が懐に入り込むのを許してしまった。

 両手を伸ばし、牙を剥き、エンキの肩をつかもうとする銀――その体が、不可視の力によって大きく吹き飛んだ。

 もとより夢遊病のような状態の銀には解らなかったが、エンキの影が二又に分かれたかと思うと、その片方が銀の影を薙ぎ払ったのである。

 その一撃が効いたのか、銀は、落下先のアスファルトで一回弾んだきり、動かなくなった。

 気絶した銀の元に歩み寄り、その顔を見つめるエンキ。

 しばしの沈黙の後、エンキは銀の足をつかみ、引きずるようにして飛翔した。


 (にび)色の空。漆黒の大地。

 鋼鉄の草花を()き流れる風は、乾いた血の匂い。

「あれ? ここ……は?」

 我に返るなり、以前ヴァルターたちと戦った異界の中に自分がいるのに気付き、銀は目を丸くした。

 つい今までのおぼろげな意識の中、エンキと戦っていたような気がしたのだが。

 見下ろしてみた自分の手は、生身――人間――のままだ。

「変身しなくてもできたのか――って、あれ? だったら、さっきまでのは、夢?」

 さっきまでのぼんやりとした、今や薄れかけている記憶は、夢と呼んでも差し支えない。むしろそう判断した方が妥当だ。

「ううん、違うよ。こっちの方が夢なんだ」

「え」

 不意にかけられた声に驚いて振り返ると、さっきまでは誰もいなかったはずの草原に、いつの間にか一人の少女の姿があった。

「イリ――違う。……誰だ?」

 思わず呼びそうになった名を呑み込み、問う。

 長い白金の髪、澄んだ藍の瞳。輪郭は似ているが、よく見てみると違う。

「わたしに名前はないよ。……ごめんね、勝手に入って」

「え……え?」

 事情を呑み込めずにいる銀に対し、名無しの少女は腕を左右に広げてみせた。

「ここは、銀さんの夢の中。わたしはそこに外から入ってきただけ。だから、わたし自身は銀さんの夢じゃないよ」

「そりゃまた……器用な奴だな」

「わたしの原型にその力があったからね」

「?」

「あ――ううん、気にしないで」

 首をかしげた銀に手を振ってごまかすと、少女は真顔になった。

「それより、ダメだよ。人襲っちゃ」

「え……」

 信じたくないことをずばりと言われ、銀は絶句した。

 あれが事実だったとすれば……エンキには感謝せねばなるまい。

「そういう体なんだから仕方ないけど――きゃっ!」

「どういうことだ! おまえ、何か知ってんのか!?」

 驚いてひるむ少女の肩をつかみ、銀は噛みつかんばかりの勢いで問い詰めた。

「し……知ってるよ。断片的に、だけど」

「何でもいい。教えろ――じゃない、教えてくれ」

 そうすれば、この体に訪れている変調の原因も解るかも知れない。

「うん……解った」

 顔を赤らめ――銀がそれに気付く由もなかったが――つつ、少女は頷いた。

 銀の腕から解放され、一息つくと、口を開いた。

「フォルティスには、何か……闇の因子を、生まれつき持ってる人だけがなれるんだけど、なることは危ないの。本人にも、周りの人にも」

「どういうことだ?」

「フォルティスの力は、元々ヒトの限界を超えた力。使うたびに、命も魂もすり減っていっちゃう。それを継ぎ足すために、限界の近付いたフォルティスは他のヒトを襲って血を吸い始めるの」

 自然、イリスの首筋に喰らいつき、血をすすっている、自分の姿が脳裡に浮かぶ。

「……いやだ……」

 思わず呟きがこぼれる。

 いやだ。自分がどれだけ浅ましい吸血鬼に堕しようとも、イリスだけは。殺したくない。

「いやって、何が?」

「ほっとけ。それより、実際に行動しといてなんだけど、おまえの言うとおりならオレは吸血鬼まんまじゃねーか。獣人の類いじゃなかったのか?」

「両方なの」

「へ?」

「フォルティスは元々最古の吸血種の一つ。吸血鬼と獣人の祖先なんだよ」

「どういうことだ?」

「知ってる? 吸血鬼に咬まれた人間は吸血鬼になるけど、獣人に咬まれた人間も獣人になるんだよ。どっちも本質は同じだと思えない?」

「小難しい考察なんざいいからさっさと話進めろよ」

 憮然と遮る銀。

「もう……。フォルティスを生み出したのは、『嫦娥(じょうが)』って呼ばれる、古代の吸血種なの。イリスさんは、それの最後の生き残りなんだよ」

 口を尖らせつつも、少女は一気に説明した。

「嫦娥……」

「後はあんまり解らないけど、人間をやめることを選んだフォルティスは、自分を変えた主人を吸収して『真祖』って呼ばれる魔王として完成するみたい」

 少女は一旦言葉を切り、銀を見つめた。

「銀さん、気を付けてね。一気に闇の存在として成長した反動が来てるんだと思うけど、力さえ使わなければ大丈夫。イリスさんに少し分けてもらって――」

「ちょっと待てーい!」

「な、なに?」

「何だって吸血鬼の血を吸わなきゃなんねーんだよっ! そ・れ・に! オレが吸う分だけ、あいつがどっかで人様に迷惑かけることになるだろーがっ!」

 少女の提案した、根本的な解決にならない対症療法に、大声でまくし立てる銀。

 要するに、イリスの血は吸いたくない。

ちなみに、その考えの内訳はというと、吸血鬼と化した自分に対する嫌悪よりも、イリスの血を吸うことで彼女に精神的な負担をかけたくない、という思いの方がより強い。

「あ、それは大丈夫だと思うよ」

 少女はあっさり銀の懸念を否定した。

「あの人『神の欠片』の加護を受けてるから、よほど消耗しない限り、補給自体必要ないみたいなんだ」

「あーそーかい……って、あれ?」

 ふと、気がかりになったことがある。

「どうしたの?」

「あいつは……エンキは?」

「エン……ああ、あの子。あの子なら、人工的な真祖化手術で嫦娥に近いモノの血が直接体を巡ってるから、逆に安定してるみたい。吸血鬼としては覚醒してないよ」

 エンキと聞かされ、一瞬怪訝そうな顔を見せたものの、すぐさま誰のことか理解したのだろう、少女は答えた。

「……ふーん」

 釈然としないながらも頷く銀。

 なぜ心配してしまったのかは自分でも判らないが、それを聞いて安心した。多分、自分と同じ存在だからだろう。

「銀さん、優しいね。……じゃあ、そろそろ話は終わりかな?」

 鈍色の空を見上げ、呟く少女。その声とほぼ同時に、夢の世界が揺らぎ始めた。

「あ、おい!」

「なに?」

「おまえ、何者なんだ?」

「……研究コード『合成有機体(ホムンクルス)イリス=ノクティス五号体』。イリスさんのコピーのようなものだよ。直接話せて嬉しかった。じゃ――ばいばい」

 揺らぐ視界の中で、少女の姿が次第にぼやけ――消えた。

「待っ――」

 跳ね起きたときには、現実に戻っていた。

 割れた窓ガラスを透かして差し込む日光。

コンクリートの地肌が剥き出しの床。

 廃ビルだった。日の高さから見て、もう昼を過ぎているらしい。

「……おかわり……」

 間近で、丸くなっていた鉄が寝返りをうった。

 なんとものどかな目覚めだった。



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