14. 後始末
しばらくその場に座り込んだあと――
俺は拠点の中を、足を引きずるように歩き出した。
東側の花壇が目に入った。
朝、桜さんが水をやっていた緋鈴花が、赤い花を揺らしていた。
横たわる遺体は、どれも見知った顔ばかりだった。
門付近で倒れていた人たちは、強く抵抗したのだろう。
損傷が激しく、血だまりも多かった。
目を背けたくなる気持ちを抑えて、一人一人、顔を確認して回る。
拠点は、早朝と同じように静まり返っていた。
建物には、不思議なほど傷が少ない。
遺体さえなければ、襲撃された場所とは思えないほどだった。
ポイント八王子は広くない。
確認しながらゆっくり歩いても、すぐに一周することができた。
見知った顔ばかりだった。
それでも、ALPHAチームの姿は見つからなかった。
ほんのわずかな望みにすがりかけたところで、顔を歪めた愛花さんに声をかけられた。
「結人くん……こっち」
ああ、そっちだったか。
その望みは、そこで静かに折れた。
歩き方を忘れてしまったかのように、足が重い。
頭の中は薄く靄がかかったようで、何も考えることができなかった。
愛花さんが立ち止まったのは、ALPHAチームの宿舎の前だった。
中に入る。
ここで顔合わせをした。
ここで任務について会議をした。
ここで夜遅くまで話したこともあった。
ここで、朔真さんとひよりさんの喧嘩を見て、みんなで笑った。
ほんの少し前まで、ここには声があった。
様々な思い出が、一気に溢れ出してきた。
精鋭チームのメンバーが立っていたのは、会議室の前だった。
「結人くん、辛いなら中に入る必要はない」
その声を無視して、俺は会議室に足を踏み入れた。
返答する元気も、足を止める勇気も、残っていなかった。
「……隊長、ひよりさん」
部屋には二つの遺体があった。
外のものに比べると、損傷が少ない。
隊長は扉の近くで倒れていた。
片手は、扉の外へ伸びている。
最後まで、誰かを外に出そうとしていたのかもしれない。
眉間に深い皺が刻まれ、唇がわずかに開いていた。
俺は近づいて、震える指で、開いたままだった瞼をそっと下ろした。
「ひよりさん、もう夕方ですよ」
いつものように、眠そうな声で返事が返ってくる気がした。
ひよりさんは椅子に座ったまま、背中を刺されたようだった。
傷は少ない。
眠ったように綺麗な顔で、今にも目覚めそうに見えた。
「ひよりさん、起きてください」
桜さんに揺すられ、眠そうに文句を言っていた。
いつものように肩を揺すろうと触れて――
指先に、冷たさが返ってきた。
そこでようやく、どうしようもなく理解してしまった。
「……ごめんなさい、ごめんなさい」
再び涙が溢れているのが分かった。
何に謝っているのか、自分でも分からない。
体から一気に力が抜けて、その場に崩れ落ちた。
どれくらい泣いていたのか分からない。
喉が痛くなって、涙が出なくなって、それでも胸の奥だけは苦しかった。
しばらくして俺は、広場に集合した精鋭チームの輪に加わった。
精鋭チームの隊長は、こちらを申し訳なさそうに見てから話し始めた。
大丈夫。
話を聞くと言ったのは、他でもない自分自身だ。
「半分ほどの遺体が見つからない。おそらく、食糧として集落に持ち帰られたんだろう」
結局、ALPHAチームに限ると、二人の遺体以外は拠点から見つからなかった。
残酷な話だ。
だが、スタンピードの発生原因を考えれば自然でもある。
魔物も生きている。
生きている以上、食糧がいる。
「私は拠点が綺麗なことが気になります。オーガの群れが襲撃してきたなら、建物は破壊されていてもおかしくない」
「なら――襲ってきたのは変異種か」
「はい。それも強力な……あれ?」
愛花さんが突然話をやめた。
愛花さんは隊長に視線を送ってから、右手を上げる。
視覚共有の合図――すぐに彼女の目が薄く濁り始める。
精鋭チームの面々が戦闘態勢をとる。
使い魔がオーガか変異種を発見したのかもしれない。
だが、愛花さんから焦りの感情は読み取れない。
彼女は一分ほど経たずに視覚共有を解除し、その後、俺のほうを向いて、こう言った。
「どうやら、森の方に生存者がいます」
時間が止まったように感じた。
疲れが吹き飛んだかのように、足が軽くなった。
先導する愛花さんに続いて、森へ向かう。
できることなら、ALPHAチームの誰かであってほしいが、誰だっていい。
一人でも生き残っている、ということが希望になる。
――――――
通い慣れた森。
相変わらず薄暗く、肌寒い。
先に行きたがる俺を抑えて、精鋭チームは慎重に進んだ。
この森は視界が悪い。
オーガは巨体だが、隠れようと思えば、隠れられないこともない。
それでも森に入って十分ほどで、地面に横たわる人の姿が見えた。
攻略者にしては小柄だ。
目を凝らして見て、気づいた。
特徴的なピンク色の髪。
ポイント八王子にピンク髪は一人しかいない。
間違いなく、桜さんだ。
そう分かった瞬間、心臓が嫌な音を立てた。
俺は大急ぎで駆け寄った。
「桜さん!」
桜さんは仰向けに横たわっている。
目立った怪我はない。
嫌な記憶がよみがえる。
俺は右手を伸ばして、慎重に身体に触れる。
温かい。
桜さんは生きている。
その事実だけで、膝から力が抜けそうになった。
俺は思わず、息を吐いた。
いつの間にか、息を止めていたらしい。
愛花さんが、桜さんに触れて状態をチェックする。
彼女はダンジョン医学の知識も豊富なようだ。
「能力の使いすぎ、ですね。しばらくすれば目覚めると思いますが……」
怪我はない。
ただ目の充血がひどく、視覚共有の使いすぎによって力尽きた、というのが愛花さんの見立てだった。
彼女にも同じような経験があるらしい。
桜さんが限界を超えて視覚共有を続けていたとしたら、目覚めるのは数日後か、一週間後か。
愛花さんは、そう診断した。
心配はあるが、生きていることが何よりも大切だ。
俺は桜さんをおぶって、拠点まで戻った。
桜さんは軽かった。
でも、その軽さの中に、確かに命の重さがあった。
背中越しに伝わる温かな体温が、沈みきった俺の心をじんわりと温めてくれた気がした。
――――――
二日後。
ポイント八王子は襲撃前以上の賑わいを見せていた。
集まったのは、ポイント中野をはじめ、全国から集められた、選りすぐりの攻略者たちだ。
攻略者なら誰でも知る有名人がたくさんいる。
戦力は十分だが、これでは遅すぎる。
一瞬、憤りを覚えるが、すぐに思い出す。
そもそも、俺ですら遅かった。間に合わなかった。
俺が彼らを責めるのは、お門違いだ。
桜さんは依然、目を覚まさない。
精鋭チームも必要以上に関わろうとはしない。
今の俺には、吐き出す場所がなかった。
遺体はすでに、拠点から運び出されていた。
俺は緋鈴花を、拠点の入口とALPHAチームの宿舎前に生けた。
朝夕に二度、そこに手を合わせるのが、唯一のルーティンだ。
「結人くん。明朝、我々は集落の攻略に向かう。行きたい気持ちは山々だろうが、私としては今の結人くんを連れて行きたくはない」
午後、精鋭チームの隊長にそう告げられた。
隊長は気まずそうだったが、不思議と素直に受け入れることができた。
桜さんは、優秀な回復術師がいるここに留まっている。
今は何よりも、桜さんとこの場所から離れたくない。
俺が肯定の意思を示すと、隊長はホッとした表情で頷いた。
次の日、攻略隊は予定通りに出発し、予定より早く帰還した。
精鋭チームの偵察は入念で、一方的な戦いだったらしい。
攻略隊は数人の遺体を持ち帰ったが、その中にALPHAチームの姿はなかった。
「桜さん、起きそうにありませんね……」
攻略隊が戻ってすぐ、愛花さんが宿舎を訪れた。
最も警戒していた変異種は、見つからなかったらしい。
逃げたのか。
それとも最初から、群れを捨てるつもりだったのか。
変異種が見つからなければ、このエリアは安定したとはいえない。
襲撃は終わった。
だが、原因はまだどこかで生きている。
攻略隊にとって、生き残りである桜さんは唯一の手がかりだった。
数日後。
攻略隊のほとんどが引き上げるのに合わせて、俺と桜さんもポイント八王子を離れることにした。
結局、発見に至らなかった変異種の捜索は、ベテラン攻略者たちが引き継ぐようだ。
俺は誰とも話すことなく、馬車に乗り込む。
結果的に俺と眠ったままの桜さんが一台の荷馬車を占領することになったが、誰も何も言わなかった。
荷馬車が出発して――
俺は後ろを振り返った。
日常は襲撃によって、どす黒く塗りつぶされた。
正直、ここの記憶は、もう穏やかなものではない。
俺は再びここに戻ってくることがあるだろうか。
そんなことを考えた。
ここに初めて来たとき、俺はどんなことを思っただろうか。
誰も死なせないなんて、ダンジョンでは幻想だった。
前線では、得られるものより、失うものの方が多い。
それでも俺は、生きている。
胸を張って言えるのは、それだけだった。
なら、せめて。
生き残った俺が、何を失ったのかだけは忘れずにいよう。
この場所で笑っていた人たちの声を。
朝、赤い花に水をやっていた時間を。
全部、抱えたまま前に進もうと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回で第一章は完結です。
第二章もすでに執筆を進めており、準備が整い次第、更新を再開します。
続きも見届けていただけましたら幸いです。
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