1. 初任地
――パカラッ、パカラッ。
蹄の音に合わせて、荷車が緩やかに揺れる。
荷車を引いているのは、額に一本の角を持つ『一角馬』。
気持ちのいい風、美味しい空気。
ずいぶんとのどかな風景だが――ここは、多くの人の命を奪ってきたダンジョンだ。
「――いよいよ、か」
「天城くん、拠点が見えてきたよ!」
独り言に重なるように、前方から御者の明るい声が響いた。
俺は荷台から身を乗り出し、御者が指差した方を確認する。
土塁に木柵、木造平屋建ての建物がちらほら。
「あれ、ですか?」
前線拠点とだけ聞いて、ずいぶん立派な場所を想像していた。
しかし、見えてきたのはどうだろうか。
「思ったよりも立派だろう!」
「まぁ……、はい」
御者は自信を持った口調で言う。
どう見ても立派とは言いがたい。
しかし、彼の表情を見ると、冗談で言ったつもりではなさそうだ。
俺――天城結人も、何の知識もないまま前線へ来たわけではない。
難関といわれる養成学校に四年間通い、その後、一年間の研修期間を経て、国に雇われる官属攻略者となった。
見た目こそ中肉中背で、どこにでもいそうだが、自分で言うのは恥ずかしいくらい、経歴だけなら正真正銘のエリートである。
だからこそ、目の前の拠点が、養成学校の教本で見た標準拠点とは違うことくらいは分かる。
防壁が低い。
見張り台の数も少ない。
堀も、ここから見る限り深くはなかった。
もちろん、それには理由があるのだろう。
しかし、新人である俺の目には、守りの薄さばかりが先に映る。
良く言っても砦、といった見た目は――戦国時代かそこらまで、時代が逆行したようだった。
胸の奥が、少しだけ冷える。
何しろ、ここは東京の地下に広がる、東京地下ダンジョンだ。
地下ダンジョンと呼ばれているが、実際には地上の入口から地下方面へ繋がる、広大な異空間に近い。
ダンジョンが地球に現れて、約三十年。
最初の十年で、人類は多くのものを失った。
都市の一部、資源の流通、そして数えきれない命。
それが今では、ダンジョンは国に管理され、攻略者が魔物を間引き、地上ではダンジョン産の資源が当たり前のように使われている。
そして俺も今日から、その歯車の一つになる。
(ここに半年……)
最前線での任務は、半年の交代制だ。
よほどのことがない限り、地上どころか、通常拠点に戻ることすらできないと聞いている。
養成学校で学んだ標準と、実際の前線は違うらしい。
教本はあくまで教本、ということか。
住めば都になることを信じるしかない。
ブルルルッ。
考えを遮るように、前方の一角馬が嘶いた。
ダンジョン内の荷運びには欠かせない存在だが、大きな動物が苦手な俺としては、できれば近づきたくない相手でもある。
少し体を伸ばして、一角馬の様子を見る。
黒鹿毛の綺麗な毛並みだ。
怒っているようには感じられないから、お腹が減ったという合図の嘶きだろう。
御者がなだめるように声をかけ、手綱を軽く引いた。
御者とは、ここへ来るまでの二日間をともにして、そこそこ仲良くなった。
冗談が多くて信用ならないところはある。
だが、初対面の相手にも気まずさを感じさせない、気のいい男だった。
拠点を見ながら渋い顔をしていると、御者がこちらを振り返ってニヤリと笑ってみせた。
俺の反応は、新人あるあるらしい。
ちぇっ……。
「心配しなくても、これくらいの拠点ならオークの襲撃くらいは簡単に防げるさ」
「オーク、ですか……」
ドヤ顔で語る御者。
攻略者なら誰もが、オークかよ! と突っ込むはずだ。
なんたってオークは、一般攻略者でも簡単に討伐できる魔物である。
御者は励ますつもりだったかもしれないが、今の俺には何を言っても焼け石に水。
やる気十分で前線まで来たが、当然、死にたくはない。
荷車がさらに進むと、少しずつ拠点がはっきり見えるようになってきた。
近づけば近づくほど、その頼りなさが際立って見える。
「おっ、迎えがいるみたいだぞ」
御者に言われて、俺は目を凝らした。
唯一金属製の門の上部には、見張り台がある。
その門の前には、確かに人影があった。
女性だ。
茶色の髪をてっぺんで結んだ女性が、片手で剣の柄を軽く叩きながら、こちらへ手を振っている。
拠点が近づき、荷車が速度を落とし始めた。
『ポイント八王子』。
東京地下ダンジョン西部にある最前線拠点。
中野のダンジョン入口からは、移動だけで丸二日。
かなりの長旅だった。
——————
「時間通りっ!さすがは吉彦ですね!」
荷車の前に立ち止まった女性。
聞こえてきたのは、ハツラツとした明るい声だった。
顔いっぱいに笑みを浮かべているが、賢そうな顔だ。
「まぁな!だが今日はいつもと違う荷物があるぞ!さぁ、行ってこい」
御者に促された俺は、慌てて荷車を飛び降りる。
荷物は、大きめのリュック一個だけ。
自分でも驚くほどの軽装だった。
女性がニコニコ笑って、俺を見る。
歳は三十代半ばくらいだろうか。
「初めまして。今日からこちらのALPHAチームに所属することになった天城結人です」
頭の中で練りに練った挨拶をする。
軽すぎても重すぎても良くない。
初対面の印象が今後の関係性を決めるといっていい。
「はい、聞いていますよ!私は朝凪雫。ALPHAチームの副隊長にして、攻略者始まって以来の神童です!」
まさかの副隊長。俺の上司だった。
素早く彼女の立ち姿を確認する。
服は上下とも、白い布と茶色い革でできたダンジョン服。
軽装に見えるのに、剣の柄に添えた手や足運びには隙がない。
養成学校で嫌というほど見せられた、実戦慣れした攻略者の立ち方だ。
明るい声とは裏腹に、たぶんこの人はかなり強い。
「……神童って歳じゃないだろうに」
「吉彦くん、何か言いました?」
副隊長の声が一気に低くなる。
鋭い視線を受けて、吉彦さんが軽く咳払いした。
吉彦さんが突っ込まなければ、俺が突っ込むところだった。
年齢は地雷かもしれない、っと。
危ない、危ない。
それにしても――
副隊長と吉彦さんはずいぶんと仲が良さそうだ。
「副隊長ですか……!よろしくお願いします」
「下の名前で構わないですよ。ま、とりあえずポイント八王子へようこそ」
雫さんが俺の荷物をひったくるようにして担いだ。
大して重くはないはずだが、男前だ。
うーん、惚れそう。
「吉彦くん、荷車の荷物はいつもの場所に。結人くんは私がここを軽く案内しますから」
「あいよ〜」
吉彦さんは気怠げに返事をして、軽く手綱を操った。
話を聞く限り、ここ専属の運び人といったところだろうか。
終始気怠げで冗談ばっかり言っていたから舐めていたが……。
もしかしたら、優秀な人?
なら、恩は売っておいたほうがいい。
「あの、吉彦さん、ありがとうございました!」
感謝の言葉。
この世で一番大切なものだ。
「おう。せいぜい、早死にしないことだな」
これまでのように冗談みたいな口調。
だが、その言葉だけ妙に重さを感じた。
何人も運んできた人間の声だ、と直感した。
「えぇ、もちろん死ぬつもりはありませんよ!」
俺は気づかなかったふりをして、軽口で返した。
いつもの目に戻った吉彦さんが、荷車に乗って去っていく。
周りに誰もいなくなる。
俺は小さな声で付け加えた。
「ここでは、誰もね」
――死なない。
そして誰も死なせない。
これが綺麗事だと笑われるのは分かっている。
それでも、目の前で誰かが倒れるのを、黙って見ている人間にだけはなりたくない。
唯一譲ることのできない、俺の攻略者としての信念だ。
――――――
荷物を宿舎に運んだ後、三十分ほどかけて雫さんに拠点を案内してもらった。
見た目通りというか、広さも雰囲気も、まるで戦国時代の砦だった。
防御は心許ないが、雫さんによると、どうやらここは魔物の出現が少ない平和なエリアらしい。
ただし、それはあくまで“現時点”での話。
地図の空白に近い場所まで拠点を伸ばしている以上、何が出るかは誰にも分からないはずだ。
「今度はこっちを運べー」
宿舎の近くでは、作業員が資材置き場に積み上げられた木材を、数人がかりで運んでいた。
「活発ですね」
「そうでしょう!まぁ、期間限定ではありますが」
ポイント八王子はできて二ヶ月ほどの新しい拠点だ。
雫さんの話では、あと数ヶ月は工事が続き、その間は建築担当の作業員が激しく出入りするらしい。
普段の前線拠点は出入りがほとんどない。
そのため攻略者は、こういう時期を冗談交じりに「フィーバータイム」と呼ぶらしい。
なんじゃそりゃ。
「今はどこに向かっているのでしょう?」
俺たちはすでに拠点を一周し、二周目に入っている。
てっきり目的があってもう一周し始めたと思ったのだが、雫さんはニコッと笑いながら歩くだけだった。
「もちろん時間潰しですよ!」
「は、はぁ……」
真面目に聞いたつもりだったが、一気に気まずくなった。
時間潰しって……。
俺は思わず俯いた。
まだ出会ったばかりだが、雫さんの人となりは何となくわかってきた。
真面目で、かなり正直な人。
たまに冗談は言うが、雑談はほとんどない。
俺のコミュニケーション能力は、自己評価で中の下だ。
そんな俺と雫さんだから、会話が長続きしないのだろう。
「他のALPHAチームの隊員はどちらでしょう?」
気まずさを振り払うように、俺から話題を振った。
沈黙が続くのは気まずい。
それに確かに俺は会話が苦手だが、つまらない男とは思われたくない。
「皆、任務中ですよ。よし、そろそろですかね!」
「……そろそろ?」
雫さんが足を止め、拠点中央の立派な建物――偵察作戦棟と教えてもらった建物のほうをじっと見つめる。
「雫さーーーーーーん!!!」
「来ましたっ!」
大きな声とともに、桜色の髪を揺らした小柄な女性がこちらへ駆けてくる。
ぱっと見は少女のようだが、ここに子どもがいるはずはない。
つまり、成人女性だ。たぶん。
女性は勢いそのまま、雫さんに突っ込み――
いや、雫さんが避けると、女性は急ブレーキをかけて立ち止まった。
「任務の時間です!!!」
「分かってる、分かってる。落ち着いてください、桜さん」
桜さんと呼ばれた女性は、息を切らしながら、引き続き大きな声で叫んだ。
恐らく地毛ではない桜色の髪、ツインテール。
顔立ちは整っていて、目はくりくり。
身長は140センチほどしかなく、体型もスレンダーだ。
歳は分かりづらいが、たぶん俺と同じくらいだろう。
コンビニでお酒を買ったら間違いなく年齢確認される見た目だ。
「だって雫さんが時間通りに来ないなんて珍しいじゃないですか!!!」
「桜さんを知ってもらいたかったんですよ。こちらは――」
雫さんが俺を紹介しようとした瞬間、桜さんは飛び上がるように驚いた。
いや、実際に三十センチは飛び上がった。
なんだ、なんだ。
言葉もうるさいが、動きもいちいち落ち着きがないときた。
「天城結人さん!養成学校を次席で卒業した、七年ぶりに前線配属された成績優秀者!お噂はかねがね!!!」
「よ、よろしくお願いします」
勢いがすごい。
一言挟むのが精一杯だ。
「金丸桜です!!!」
「結人くん、彼女は偵察作戦班のメンバーで、我々ALPHAチームに関する情報収集と作戦立案を一手に担っています」
勢いだけなら完全に騒がしい人だった。
だが、彼女が抱えている作戦資料には、細かな地形図と魔物の出現記録がびっしりと書き込まれている。
きっと優秀な参謀役なのだろう。
自己紹介とともに、右手がスルッと差し出される。
俺はおそるおそる桜さんの手を握った。
女性慣れしていない俺だが――
うん、小さい手だ。
いや、失礼なことを考えるな、俺。
「ムキーッ。今、小さい手と思いましたね?!」
彼女はエスパーだった。
いや、冗談だ。
これは彼女なりのコミュニケーションの取り方なのだろう。
と、思ったが――
「桜さん、どうどう」
顔が真っ赤になって沸騰しかけた桜さんを見て、すぐさま雫さんが背中をさすり始めた。
どうやら、冗談ではなかったらしい。
やっぱり、彼女はエスパーなのかもしれない。
しばらく桜さんの機嫌が直るのを待つ。
彼女の愚痴タイムはしばらく続く。
想像していた前線とのギャップに、俺は思わず天を仰いだ。
そして、数分後。
ようやく落ち着きを取り戻した桜さんが、本来の目的である任務の説明を始めた。
一転して、拍子抜けするほどの真面目な口調だ。
「新人だろうが初日だろうが関係ありません。前線は常に人手不足。雫さんと結人さんにはゴブリン討伐に向かってもらいます」
「またゴブリン、ですか」
任務内容を聞いて、雫さんが顔をしかめる。
ゴブリン――初心者御用達の最弱級の魔物だ。
どこにでもいるな、こいつは。
気になるのは何体か、ということ。
ゴブリンは最弱だが、群れると厄介だ。
「規模はどのくらいでしょうか?」
「二体、です」
「――え?」
驚きかけて、閃いた。
きっと変異種だろう。
二体でも変異種なら脅威度は高い。
「通常個体が二体、です。ただし、昨日の夕方から同じ地点を離れていません」
「……同じ地点に?」
「はい。ゴブリンにしては動きが鈍い。だから確認を兼ねた討伐です」
俺の質問を先読みするように、桜さんが重ねた。
確かに普通のゴブリンは、同じ場所にとどまり続けることはしない。
とはいえ――、所詮は最弱のゴブリンだ。
「冗談ではないですよ、結人くん。私たちの任務はこんなものばっかりです」
やれやれといった感じで、雫さんが呟いた。
こんなものばっかり――。
強敵と戦う、俺が思い描いていた前線の様子とは、もしかすると違うのかもしれない。
「通常拠点と違ってここには一般攻略者がいない。ゴブリンでも群れれば厄介です。塵も積もれば山となる。結人さん、これも非常に重要な任務なんです」
真面目な口調で放たれた桜さんの言葉は、妙に説得力があった。
テンションの寒暖差で風邪をひきそうだが、話を聞けば任務の重要性を理解できた。
俺は改めて任務内容について考える。
《死なない、死なせない》という信念からすれば、この初任務は決して悪いものではない。
初日から強敵と戦うよりはるかにマシだ。
俺と雫さんは、桜さんから詳しい説明を受けてから、宿舎へと戻り、装備の準備を始めた。
簡単すぎる。
そう思った瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。
前線で“簡単”という言葉ほど、信用できないものはない。
教本にも、教官にも、何度も叩き込まれた言葉だ。
ゴブリン二体。
誰も死なせないと誓った俺の、最初の任務。
そのあまりの軽さが、どうしようもなく不気味だった。
お読みいただきありがとうございます。
続きが気になったら、ブックマーク・評価で応援していただけると励みになります。




