#5
二階の胡内が泊まっている客室は良い意味で生活感があって、でも綺麗に整頓されていた。 お湯のポットがテーブルにあるが、湯呑みは使った形跡がない。お茶うけのお菓子も手付かずだ。布団は自分で敷くスタイル。
この部屋には人のにおいがしない。多分、それより強い獣のにおいがかき消してしまっている。
胡内は壁に掛かった時計に視線を向け、もう二時か、と呟いた。
「今日は特に月が綺麗だね」
二階のベランダからは浴場で見たものより遥かに大きい月が浮かんでいた。
青白く、時に太陽より大きいのでは、と思ってしまう。そして彼の言うとおり、今は月が綺麗な季節だ。人ではないモノに力を与える季節。普段は見えないモノが見えてしまう、特別な時間。
胡内が故郷に帰ろうと帰るまいと、自分もこの時期が終われば誰にも認知されなくなる。ただの生き物として、あるべき場所へ帰る。
毎年この時期は山の神様が見回りして、弱い自分達に力をくれるという言い伝えがある。北の方の山はまた時期が違うんだろうけど、この土地の神様はそういうものみたいだ。
「耶神くん。俺ちょっと予定を早めて、明日にはこの町を出ようと思うんだけど」
胡内は隅で佇んでいる耶神の前に来て、片膝をついた。
分かっていた言葉なのに胸が痛む。寂しいけど、引き止める力もないので頷く。
しかしその後に続く彼の言葉は意外なものだった。
「もし嫌じゃなかったら……今度は俺の故郷に遊びに来ない?」
そっと頭を撫でる手。へ、と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「胡内さんの、っていうと……えっと、京都ですか?」
「そう! 良いところだよ。それに俺の仲間っておかしいぐらい優しいから大丈夫。耶神くんなら喜んで歓迎するよ」
たまに彼の影が歪な形に揺らめく。自分と同じで人には見えない。すらっとした脚と首、それに尾が印象的だった。
彼は……そうか。
あんまり良い噂は聞かないけど、それは自分も同じだったと思い直して反省する。
化かし合っていたのはお互い様だから仕方ない。
「行き……ます。この町を出るのはちょっと怖いけど、ここ以外の場所も見てみたいから」
恐る恐る言うと、彼は嬉しそうに「良かった」と手を握った。
この町を出るということは、本当の自分を知られるということ。耶神は本当のことを話した。
本当はこの町のどこにも勤めてないことを。彼も同じように謝った。本当は年齢も職業もでたらめだということを。
「でもこの町の女の人に親切にしてもらったのは本当だよ。彼女は俺の正体に気付いてないみたいだったけど、俺は彼女の正体に気付いていた」




