プロローグ
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を得て、滅せぬもののあるべきか。
――後に、戦国の覇王が好んで舞ったと伝わる一節である。
室町から戦国の世にかけて、武士たちの間で広く愛好された芸能があった。名を、幸若舞という。
それは、豪華絢爛な衣装を纏うわけでも、囃子の賑やかな音色を伴うわけでもない。ただ一人、烏帽子に直垂を纏った太夫が、時に扇をかざし、時に力強く足拍子を踏み鳴らしながら、朗々とした声で物語を語り、謡い、舞う。その演目は軍記物語に取材したものが多く、武士たちの心を捉えて離さなかった。栄枯盛衰の理、武人の意地と悲哀、そして人の世の無常観。幸若舞は、常に死と隣り合わせに生きる彼らにとって、自らの生き様を映し出す鏡であり、魂を慰める鎮魂歌でもあった。
数ある演目の中でも、ひときて人々の心を打ち、涙を誘った物語がある。
その名を、『敦盛』という。
舞台は、とある戦国大名の居城、その大広間。
夜の帳が下り、揺らめく篝火の光だけが、板張りの舞台と、固唾をのんで見守る屈強な武者たちの顔を照らし出している。静まり返った広間に、太夫の張りのある声が響き渡った。
物語は、源平合戦のハイライト、一ノ谷の戦いから始まる。
義経の奇襲を受け、総崩れとなった平家一門。我先にと海上の船へ逃げ惑う者たち。太夫の舞は、その混乱と阿鼻叫喚の様を、扇一つで見事に描き出す。
その中に、ひときわ目を引く武者が一人。紅の錦の直垂に、萌黄匂の鎧を纏い、金作りの太刀を佩いた、優美な姿。しかし、彼は退却する軍勢から離れ、一人、波打ち際に馬を佇ませている。平家の若武者、平敦盛である。
太夫の声が、源氏の老武者・熊谷次郎直実のそれへと変わる。
「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。敵に後を見せさせ給ふは、卑怯でこそ候へ。返させ給へ」
(あれこそ大将軍に違いない。敵に背を見せるなど、卑怯であろう。戻られよ!)
呼び止める声に、敦盛は馬首をめぐらす。そこから始まる、浜辺での一騎打ち。太夫の足拍子が、馬の蹄の音となり、打ち合う太刀の響きとなる。やがて、歴戦の猛者である直実は、若武者を馬から組み伏せた。
さあ、首を掻かんと、その兜を押し上げた、その時。
太夫の舞が、ぴたりと止まる。声の調子が、猛々しい武者のものから、驚きと戸惑いに満ちた囁きへと変わる。
「見れば、年は十六、七ばかり。薄化粧をして、鉄漿黒々(ぐろぐろ)とつけたるが……」
(見れば、年は十六、七歳ほど。薄化粧をして、お歯黒を付けているが……)
兜の下にあったのは、我が子・小次郎と年の変わらぬ、気品に満ちた美しい若者の顔。あまりのことに、直実の腕は止まる。
「御辺は、誰にて御座候ふぞ。助け参らせん」
(貴殿は、何というお方か。お助けいたそう)
しかし、若武者は凛として首を振る。
「汝がためには、良き敵ぞ。名乗らずとも、首を取って人に問へ。見知り置きたる者もあらん」
(そなたにとっては、良い敵だ。名乗らずとも、この首を取って人に尋ねるがよい。見知った者もいるだろう)
その潔さに、直実は涙する。しかし、背後からは源氏の軍勢が迫る。ここで見逃せば、他の者の手にかかるだけ。ならば、せめて我が手で……。
「……あないとほしや。熊谷が手をかけ参らせて、後世を弔ひ参らせん」
(ああ、なんとおいたわしい。この熊谷の手でお討ちし、後の世を弔ってさしあげよう)
太夫はそう言うと、閉じていた扇を、パッと鋭い音を立てて開いた。それが、太刀を振り下ろす合図であった。
広間は、水を打ったように静まり返っている。物語が終わっても、誰も口を開こうとしない。篝火の光に照らされた武者たちの目には、光るものが滲んでいた。
――これが、世に伝わる平敦盛の物語。
一ノ谷の露と消えた、笛の名手として知られる、悲劇の貴公子。その若く美しい最期は、敵将である熊谷直実をも出家に導き、こうして後世にまで語り継がれる不朽の物語となった。
しかし。
もし、この物語が、人々の心を打つあまりに美しく整えられた、一片の「伝説」に過ぎないとしたら?
もし、須磨の浦の波間に散ったその命が、歴史が記すものとは、全く別の人間のものであったとしたら?
そしてもし、敦盛という名の若武者の悲劇が、実は、誰にも知られることのない、あまりにも深く、切ない愛と、究極の自己犠牲の上に成り立っていたとしたら……?
これは、幸若舞では語られることのない、もう一つの物語。
「平敦盛」という名の鎧の下に隠された、一人の少女の数奇な運命と、彼女を愛し、その名を継いで死んでいった、一人の男の真実の物語である。
さあ、時を遡ろう。
伝説が生まれる、その以前へ。平家一門の栄華が、まだ都を照らし出していた、あの頃へ――。




