>風を歩く恐怖<
風を歩くもの...いやあ、どんな存在なんでしょ?
改めて、氷を観察する。
自分と比べた時、多分4~5倍ほどの大きさの氷塊。高さだけでそうであるから、実際はもう数倍は大きいのだろう。
外の光が弱いとはいえ、中に光が通らず暗いのは、氷の厚さがとてつもないことを意味している。この場は極寒地帯、氷河の氷ならいざ知らず、ただの氷ともなればその異質さが伺える。
…その異質さは厚さだけに留まらない。噴き出し溢れる魔獣の血は、まるで吸い込まれるかのように氷塊へと向かっていた。
床が中央に向かって下り坂になっているとも思ったが、そうでは無い。1段高い木の床も登っている、粘性の液体あるいは<スライム>のように。
血はそのまま氷塊の底部に接触し、氷塊を覆うように氷へと変わっていった。少しずつ、中は見えなくなっていく。
となると、この<儀式>は<召喚>系のものか。ここにいた数十もの魔獣の血を使う特大規模の<儀式>、現れる魔獣は<ダンジョンボス>相当だろう。
「念の為...いや」
開いた<インベントリ>を閉じる。バフ系のポーションはまだあるが、この<ダンジョン>に<ダンジョンボス>は別にいる。
このタイミングで使えば、そこで使う分が無くなってしまう。重要なものは3つ確保しているがその程度であれば長期戦だと足りなくなる可能性だってある。
ここで使わずに死ぬかもしれないが...その時はつまり、俺はその程度の存在だったということだ。
バキバキッ
ヒビが入る音。氷はついに血で覆われ、中は見えなくなった。ヒビは見えないが、となると内部の氷にヒビが入っているのか?
コルセットのように強く締め付けているということなのだろうか。その音はどんどん強くなっていく。
アルカマを構え、様子を伺う。今の俺にできることはそれしかない。
...ビュオオオオ!
風が吹く。それも強い風が。
氷は、その身にまとった血をも削られ、段々となにかの形へと変わっていく。
「くっ!」
風の強さは留まるところを知らず、自分が吹き飛ばされるほどに強まっていく。
何とかアルカマを地に突き立て事なきを得ているが、このまま地面が抉れていけば突風に吹き上げられるだろう。
この場所は屋内のはずなのにあまりにも天井が高い。天井に叩きつけられ地面に落ちればひとたまりもない。
"ソルス、離さないで!"
「ぐ、うぅ...!」
耳を吹き抜けていく風に意識を失いそうになりながら、アルカマの声と共に耐える。人間の俺がそうなのだ、ただ地面のヒビに突っ込まれただけのアルカマは、必死にそのヒビを掴んでいるはず。
と、急に吹き飛ばされそうな感覚が弱まった。何故...いや、<ライトポーション>の効果が切れたのか。
風はドンドン強くなるが、その勢いは先程よりも弱まって感じる。今のうちに、アルカマを地面に深く刺しておこう。
...現状、この風を耐えることが出来ても、恐らく来るであろう魔獣に対し何も出来ていない。しかし、そもそもその姿を視認するどころか、気配がない。
風が察知を遮断しているのかもしれないが、殺意のひとつも感じられないというのは何かがおかしい、そう昔は思っていたが今は違う。何事にも例外はあり、それは主に2つ。
銃。殺意を不要とする、ただ引き金を引くだけで魔獣を、生き物を殺せる武器であり…<神話生物>、いや神話生物からの贈り物。
...そう考えると、とある可能性が頭をよぎる。あってはいけない可能性が
ドクン!
心臓のはねる音。今まで感じたことの無い、第六感の警報音。
正面を向く。圧縮され、削られた氷塊は、人のような形をしていた。
だがそれを人と形容することが難しいほどの奇形。異様に腕と脚が細長く、それに見合わないくらい胴は小さくと手足は大きい。
何より全長は自分の数倍、<タイタン>の系譜なら魔獣でも大きくはなるが、<タイタン>であればもっと大きいはず。<タイタン・キッズ>でもそれの数倍は大きい...
「■■■■■■■■■■■」
それは叫んだ。風の音が聞こえなくなった。
苦しく、嗚咽する。声は聞こえず、呼吸がしにくい。
視界がチカチカして、頭が震え、思考が鈍った。
...それが、5秒前の話。確かにあの時に、暴風は叫びによって止まった。それはつまり、あの風を目の前の存在が操れることを意味している。
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>الخوف من المشي في وجه الريح<
500/500
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HPはかなり少なく、いや待てあの文字は...
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「アラビア語?」
「はい」
「って何だ?」
聞いた事のない言語だ。
「アラビア語は、こことは別の世界、異世界の地球という星にある言語です。どうやら、この世界では神話生物は全てこの言語で表記されるようなんです」
「例外はあるのか?」
「恐らくは。確証はまだ持てませんし、調べきっていないのですが...」
「ま、カミラが言うんだったらそうなんじゃねえか?」
「どんな文字なの?」
「ええっと、そうですね。全体的に曲がりくねっているんです。多分、一目見ただけでは読むことも難しいと思いますが、他の言語と見分けるのは容易なはずです」
「なら、覚えるのは俺とソルス以外だな。前線じゃ、解読なんでする余裕はねえよ」
「学ぶのなら今すぐにでも始めた方がいいですね。いつまた神話生物に会うか分かりません」
「なら明日にでも覚えやすそうな単語をピックアップして...
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「アラビア語...神話生物か」
可能性が確信へと変わる。冷や汗を拭い、アルカマを地面から抜く。
周囲を確認。近くに<魔王>はいない、となればこいつは...?
まさか、野生の神話生物がいるのだろうか。だがティンダロスの猟犬のような群れをなす存在もいるとカミラから聞いた。居たとしてももおかしくは無い。
「気になるか?」
「!?」
声は目の前から。すると、氷像に変化が起きる。
外側で固まっていた血、ーーーこれを書き換わるというのか裏返るというのか分からないがーーーそれが氷と混ざり、肉として成っていく。
木の枝のように細く、痩せた大地のように乾燥した、おそらく生物。それが、それが...
「そも、我らは何者かに操られることなどない。ましてや人間になど。冗談も甚だしい」
顔と思われる部位を回転させている。周囲の確認か?
「ああ、我が信奉者達よ。お前たちが、我を呼び出したか」
信奉者...魔獣らの事か。
「...風が泣いている。どうやら、お前が理由のようだ」
目線。そしてそれ以上の、圧力。
ブン!
「何!?」
消えた!?予備動作もなく、動きもなく、ただ最初からそこにいなかったかのように!
どこに行った?まずいぞ、奇襲でもされたら...
そう考えた途端、風が吹いた。
勢いのある風は不気味なほど肌寒く、およそそれが攻撃であるということを理解するのに時間は要らなかった。
だがそれだと遅すぎた。
風は、まるでそこに自分がいないかのように吹き抜けていく。障害物ではなく、空気かなにかとして。
その感覚はあまりにも...うっ、また吐き気が...
「うえぇぇ...」
骨を、神経を、筋肉を、眼球を、内蔵を、直に触れられているような、言い難い感覚に襲われる。
鎧やアルカマが、吐瀉物で汚れてしまう。だが我慢などできない、その感覚は、今まで感じたことの無いものだったからだ。
"気をしっかり!また来ますよ!"
「ぐう...」
前に倒れ込む。そのまま地面にぴったりとくっつけば、風を少しは軽減できる。
はずなのに。
「おええぇぇ...」
上から降ってくるような風は、胃を絞るように動いて行った。既に中身はなくなっていて、胃液と<ポーション>が吐き出されるだけだった。
体力も持っていかれている。嘔吐によって、身体中の水分が体外に出てしまった。
今すぐにでも水を飲みたいが、体が震えて動かない。嘔吐の余韻に加え、深刻な脱水症状にも陥っている。
体は動かないと言うだけでかなりまずい状況なのに、それに拍車をかけてしまっているというのは、正直かなり絶望的だ。
「うぐっ!?」
追い打ち...どうやら情け容赦はないらしい。
もはや吐き気を感じても苦しいだけ、この世の地獄のような状況。
...突破、できるのか?いや、するしかない...
戦闘(一方的な蹂躙)




