第5話「最初のステージ」
第5話です。
バンドとしての最初の大きな一歩、初ライブが決まります。
不安と期待が入り混じる中で、それぞれの想いが動き出していきます。
ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
「で、いつライブやる?」
はじめの一言で、スタジオの空気がぴたりと止まった。
さっきまで鳴っていた余韻が、壁に吸い込まれていく。アンプの小さなノイズだけが、じりじりと耳に残っていた。
「……は?」
最初に反応したのは、ふたばだった。
思わず間の抜けた声が出る。
はじめはドラムスティックをくるくる回しながら、まるで昼ごはんのメニューを決めるみたいな軽さで言った。
「いや、バンド組んだんだし。出るでしょ、ライブ」
「出るでしょって……」
ふたばは言葉に詰まる。
ライブ。
その言葉だけで、急に足元がぐらついた気がした。
歌うことは好きだった。
でも、それはひとりで口ずさむとか、誰もいない場所で声を出すとか、そういうものだった。
人前で歌う。
しかもバンドのボーカルとして。
考えただけで、胸の奥がきゅっと縮まる。
「まだ早いだろ」
れいじが静かに言った。
その声はいつも通り淡々としている。
けれど、完全に否定しているわけではない響きだった。
はじめはすぐに顔をしかめる。
「えー? でもさ、やらないと始まんなくない?」
「それはそうだけど」
れいじは短く返す。
スタジオの中央に、少しだけ沈黙が落ちた。
美月はベースを抱えたまま、床に視線を落としていた。何かを考えているようだった。
やがて、ぽつりと口を開く。
「……出るなら、早い方がいい」
ふたばは目を丸くした。
「美月さんまで……?」
「だって、いつか出るんでしょ」
美月は軽く弦を鳴らした。
低い音が、短く響く。
「だったら早い方がいい。今の自分たちがどこまで通用するのか、知っておいた方がいいじゃん」
「でも……」
ふたばは喉の奥で言葉を飲み込む。
通用するかどうか。
そんなことを試される場所に、自分が立てるとは思えなかった。
今だって、れいじの前で歌うだけで緊張する。
はじめや美月が加わって、少しずつ楽しくなってきたところだった。
それなのに、いきなりライブ。
早すぎる。
怖すぎる。
「確かに」
れいじが小さく頷いた。
「じゃあ、決まりだな!」
はじめが明るく言う。
「えっ!?」
ふたばだけが、完全に置いていかれていた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
三人の視線が一斉に向く。
ふたばは思わず肩をすくめた。
「私、まだ全然……」
その先が続かなかった。
下手です。
自信がありません。
迷惑をかけます。
言いたいことはいくつもあった。
でも、どれを言っても、ただ逃げているだけのように聞こえてしまう気がした。
れいじがふたばを見る。
まっすぐな目だった。
「だから出るんだろ」
「え……?」
「できてから出るんじゃ遅い」
その言葉は少し冷たく聞こえた。
けれど、不思議と突き放された感じはしなかった。
むしろ、背中を押されたような気がした。
「できるようになってから、完璧になってから、怖くなくなってから。そんなこと言ってたら、たぶん一生出られない」
れいじはギターのネックに手を添えたまま続ける。
「最初は、最初でしか出せない音がある」
ふたばは黙った。
胸の奥に、その言葉が落ちていく。
最初でしか出せない音。
そんなものが、自分にもあるのだろうか。
「大丈夫大丈夫!」
はじめが笑った。
「最初なんてみんなそんなもんだって! 俺なんか初ライブでスティック飛ばしたし!」
「えっ」
「しかも客席に飛んだ」
「危ないじゃないですか!」
「いやー、あれは伝説だったな」
はじめはなぜか誇らしげだった。
美月が呆れたように息を吐く。
「伝説じゃなくて事故でしょ」
「でもウケた!」
「ウケたで済ませるな」
そのやりとりに、ふたばは少しだけ笑ってしまった。
緊張で固まっていた胸が、ほんの少しゆるむ。
美月がふたばを見た。
「怖い?」
「……はい」
ふたばは正直に答えた。
怖い。
それだけは嘘をつけなかった。
美月は目を細める。
「じゃあ、ちょうどいいじゃん」
「え?」
「そのまま出れば」
美月は軽く肩をすくめた。
「変に慣れてるより、そっちの方が刺さることもあるし」
「刺さる……?」
「うん。上手いだけの歌って、意外と忘れる。でも、必死な声って残ることあるから」
ふたばは息を止めた。
必死な声。
今の自分にあるとしたら、それだけかもしれない。
上手く歌える自信はない。
ステージで堂々と立てる自信もない。
でも、必死に歌うことならできるかもしれない。
この人たちと一緒なら。
れいじが言った。
「無理なら断っていい」
その言葉に、ふたばは顔を上げる。
れいじは淡々としていた。
けれど、その目は真剣だった。
「無理やり出すつもりはない。お前が歌うんだから、お前が決めろ」
急に、胸が苦しくなった。
選ばせてくれている。
逃げ道を残してくれている。
だからこそ、逃げたくなかった。
ふたばは両手をぎゅっと握った。
声が震えないように、ゆっくり息を吸う。
「……やります」
自分の声が、思ったよりはっきり響いた。
はじめがぱっと笑う。
「決まり!」
パン、と手を叩く音がスタジオに響いた。
「よし、初ライブだ!」
その瞬間、スタジオのドアが少しだけ開いた。
「日程は任せろ」
カウンターの方から、店長が顔を出していた。
いつから聞いていたのか、にやりと笑っている。
「来週、ちょうど空いてる枠がある」
「来週!?」
ふたばの声が裏返った。
さっき覚悟を決めたばかりなのに、いきなり現実が目の前に置かれた。
来週。
あと七日しかない。
「ちょうどいいだろ」
れいじが平然と言う。
「準備する時間はある」
「いや、全然足りないです!」
「足りないくらいがいいんだよ」
美月がぼそっと言った。
「考えすぎる時間がない方が、余計なこと考えなくて済む」
「余計なこと……」
ふたばは小さく呟く。
たしかに、時間があればあるほど、自分は不安を育ててしまう気がした。
失敗したらどうしよう。
声が出なかったらどうしよう。
笑われたらどうしよう。
そんなことばかり考えて、きっと動けなくなる。
はじめがドラムセットの前に座り直した。
「じゃあさ、曲決めようぜ。初ライブなんだから、何やるか大事だろ」
その言葉で、空気が少し変わった。
遊びの延長ではない。
本当に、ステージに立つのだ。
れいじはギターを持ち直した。
そして、迷いなく言った。
「一曲目は決まってる」
ふたばは顔を上げる。
「え?」
れいじは静かに続けた。
「“今日が吉日”」
その瞬間、スタジオの中の音が、すべて遠くなった気がした。
今日が吉日。
ふたばは、そのタイトルを聞いたことがあった。
れいじがずっと大切にしている曲。
まだ完全な形では聴いていない。
けれど、何度か断片だけを耳にした。
優しいのに、強い曲。
諦めかけた人の背中を、もう一度そっと押すような曲。
「俺がずっとあたためてた曲だ」
れいじは少しだけ視線を落とした。
その声はいつもより低く、慎重だった。
「これでいく」
はじめが真顔になった。
美月も、ベースを鳴らす手を止めた。
ふたばだけではない。
この曲が、れいじにとって特別なのだと、全員がわかった。
「……いいの?」
美月が静かに聞いた。
「その曲、出すんだ」
「ああ」
れいじは短く答える。
「今だと思った」
その言葉に、ふたばの胸が熱くなる。
今だと思った。
まだ結成したばかりのバンド。
まだ何者でもない自分たち。
まだ自信も実績もない。
それでも、れいじはその大切な曲を、このバンドの最初の一歩に選んだ。
「ふたば」
名前を呼ばれて、ふたばは背筋を伸ばした。
れいじがこちらを見る。
「この曲、お前に歌ってほしい」
一瞬、息が止まった。
「私が……?」
「そうだ」
「でも、そんな大事な曲……」
「だからだ」
れいじの言葉は短い。
けれど、そこに迷いはなかった。
「上手く歌おうとしなくていい。お前の声で歌えばいい」
ふたばは何も言えなかった。
嬉しいのか、怖いのか、自分でもわからない。
ただ、胸の奥が震えていた。
自分の声を必要としてくれる人がいる。
それだけで、泣きそうになる。
はじめがにっと笑った。
「いいじゃん。バンドの始まりにぴったりだな」
美月も小さく頷く。
「うん。悪くない」
「悪くないって、最高って意味だろ?」
「調子乗らないで」
「えー」
いつものやりとりに、また少し空気がやわらぐ。
店長はドアのところで腕を組みながら、満足そうに笑っていた。
「来週の枠、押さえとくぞ。出演時間は短い。三曲くらいだな」
「三曲……」
ふたばは小さく繰り返した。
三曲。
たった三曲。
でも、今のふたばには、ものすごく大きな数字に思えた。
れいじが言う。
「“今日が吉日”は一曲目。残り二曲は今日中に決める」
「今日中!?」
「時間ないからな」
「本当に来週なんですね……」
「本当に来週」
はじめが楽しそうに言う。
「うわー、燃えてきた!」
美月はベースのチューニングを確認しながら、ふたばに視線を向けた。
「不安なら、毎日練習すればいい」
「毎日……」
「もちろん、喉は壊さないようにね」
れいじがすぐに補足した。
「歌は根性だけじゃ続かない。休むのも練習のうちだ」
その言い方が少しだけ優しくて、ふたばは頷いた。
「はい」
怖い。
逃げたい。
でも、歌いたい。
その気持ちが、今は一番大きかった。
ふたばはマイクの前に立った。
まだ誰もいない客席を想像する。
暗いライブハウス。
照明。
ステージ。
見知らぬ人たちの視線。
足がすくみそうになる。
けれど、その隣にはれいじがいる。
後ろにははじめのドラムがある。
横には美月のベースがある。
ひとりじゃない。
そう思えた瞬間、少しだけ息がしやすくなった。
「……やります」
ふたばはもう一度、はっきりと言った。
れいじが小さく頷く。
はじめがスティックを構える。
美月がベースを抱え直す。
店長が静かにドアを閉めた。
スタジオの中に、四人だけの時間が戻ってくる。
れいじがギターを鳴らした。
まだ未完成のイントロ。
けれど、その一音だけで、ふたばの胸は強く揺れた。
今日が吉日。
それは、ただの曲名じゃない。
きっと、今の自分たちそのものだ。
何かを始めるのに、完璧な日なんてない。
自信がある日もない。
怖くない日もない。
それでも、踏み出すと決めた日が、きっと吉日になる。
ふたばはマイクを握った。
心臓がうるさい。
指先が震える。
それでも、目をそらさなかった。
まだ何者でもない。
まだ始まったばかり。
でも、この一歩が、すべてを変えるかもしれない。
ふたばは息を吸った。
そして、最初の声を出した。
今日が、吉日になる。
第5話を読んでいただき、ありがとうございます。
ついに初ライブが決定しました。
そして、れいじがあたためてきた楽曲「今日が吉日」が、物語の核として動き出します。
次話はいよいよライブ本番。
ふたばがどんなステージを見せるのか、ぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいです。
よろしければ、感想や評価もいただけると励みになります。
引き続きよろしくお願いします。




