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第100話「今日が吉日」

第100話、最終話です。


武道館という大きな夢を叶え、ふたばとれいじもようやく互いの想いを伝えることができました。


けれど、物語は夢が叶った瞬間だけで終わるものではありません。


夢を叶えた翌日にも、いつもの朝がやってきます。


同じ場所で笑い、同じ仲間と過ごし、また新しい一歩を踏み出していく。


今回は、そんなFirstDayの「その先」を描きました。


ここまで彼らの物語を見守ってくださった皆さまに、最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。

武道館ライブの翌朝。


 ふたばは、目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。


 窓から差し込む朝の光が、静かな部屋を優しく照らしている。


 昨日までの熱気が嘘のようだった。


 それでも、目を閉じれば鮮明に思い出せる。


 武道館を埋め尽くした観客。


 鳴り止まなかった拍手。


 ライブが終わったあと、誰もいなくなった客席で伝えた想い。


『初めて会った日から、ずっとれいじさんが好きでした』


 そして返ってきた言葉。


『俺から言うつもりだったんだけどな』


 思い出すだけで頬が熱くなる。


「……ほんとに付き合ってるんだよね」


 誰もいない部屋で小さく呟き、自分で照れ笑いを浮かべた。


 その時、スマートフォンが震える。


 画面には、れいじからのメッセージが表示されていた。


『起きたら一階に来れる?』


 いつもと変わらない短い文章。


 それが、れいじらしかった。


『今から行きます』


 返信を送り、身支度を整える。


 リビングへ出ると、美月がソファでコーヒーを飲んでいた。


「おはよう」


「おはよう」


 美月はふたばを見るなり、少しだけ口元を緩める。


「朝からお出かけ?」


「ちょっと一階まで」


「ふーん」


 それだけ言ってコーヒーを口に運ぶ。


 からかうわけでもなく、妙に意味深な笑顔だけを残した。


「もう……」


 ふたばは苦笑しながら部屋を出た。


 三階から一階までは、エレベーターですぐだ。


 扉が開くと、朝のコンビニ特有の慌ただしい空気が広がっていた。


 出勤前の会社員。


 学校へ向かう学生。


 レジには数人が並んでいる。


 カウンターの中では、れいじの母親が朝番のスタッフへ引き継ぎをしていた。


「じゃあ、あとはお願いね」


「はい、お疲れさまでした」


 夜勤を終えたばかりらしく、少しだけ疲れた表情をしている。


 それでも、ふたばに気付くと柔らかく微笑んだ。


「あらおはよう、ふたばちゃん」


「おはようございます。夜勤、お疲れさまです」


「ありがとう。さすがに今日は眠いわ」


 二人が話していると、常連らしい年配の男性が新聞を持ってレジへやって来た。


「あれ? ふたばちゃんじゃないか」


「おはようございます」


「昨日、武道館だったんだろ?」


「はい」


「おめでとう。いやぁ、この店でよく見かけてた子が武道館なんて、何だかこっちまで嬉しいよ」


「ありがとうございます」


 少し照れながら頭を下げる。


 男性は会計を済ませると、母親へ向かって笑った。


「店長さんも自慢の息子さんたちだね」


 母親は少し照れくさそうに笑う。


「みんな本当によく頑張ってます」


「これからも応援してるよ」


 そう言い残し、常連客は店を出ていった。


 その背中を見送りながら、母親は小さく息をつく。


「こういうふうに声を掛けてもらえると嬉しいわね」


「はい」


 ふたばも自然と笑顔になる。


 その時、店の奥にある従業員用エレベーターが開いた。


「おはよう」


 れいじだった。


 ラフな服装のまま、眠そうに髪をかき上げている。


 その後ろから彩乃も顔を出した。


「お母さん、夜勤お疲れ様」


「ありがとう。もう限界」


「今日はゆっくり寝てね」


 彩乃が笑う。


 母親も安心したように頷いた。


「二人とも起きてきたならちょうどよかった」


 そう言ってふたばへ視線を向ける。


「せっかくだし、みんなで朝ご飯食べましょう」


「私、何か作るよ」


 彩乃が言うと、れいじが小さく首を振った。


「簡単なのでいい」


「パンくらいなら俺が焼く」


 その一言に、母親と彩乃が顔を見合わせる。


「珍しい」


 二人の声がぴったり重なった。


「お兄ちゃんがキッチンに立つなんて、今日は雪かな」


「降らないから」


 れいじが即座に返す。


 ふたばは思わず吹き出した。


 武道館の翌日。


 恋人になった翌日。


 それでも流れているのは、いつもと変わらない穏やかな朝だった。


「じゃあ行こうか」


 母親が制服を脱ぎながら言う。


 四人は店の奥へ向かう。


 関係者用のエレベーターの前に並ぶと、れいじが十階のボタンを押した。


 静かに扉が閉まり、エレベーターはゆっくりと最上階へ向かって動き始め


 エレベーターが静かに十階へ到着する。


 扉が開くと、大きな窓から朝の陽射しが差し込むリビングが迎えてくれた。


 昨日まで武道館という特別な場所にいたとは思えないほど、穏やかな空気が流れている。


「ふぅ……」


 母親は靴を脱ぐなり、大きく息を吐いた。


 れいじはあくびしながら食パンをトースターへ入れた。


 ふたばも自然とキッチンへ入り、食器を並べ始める。


「ふたばちゃん、ありがとう」


 母親が微笑む。


「いえ、これくらい」


「昔からよく手伝ってくれるものね」


 そう言われると少し照れてしまう。


 いつの間にか、この部屋でも自然に動けるようになっていた。


 彩乃はサラダを盛り付け、コーヒーを淹れる。


 キッチンには四人の穏やかな時間が流れていた。


 やがて、トーストの香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。


「できた」


 れいじが皿を並べる。


 トースト。


 目玉焼き。


 サラダ。


 シンプルな朝食だった。


「いただきます」


 四人の声が重なる。


 夜勤明けの母親は温かいコーヒーを一口飲むと、ほっとしたように肩の力を抜いた。


「生き返る」


「大げさ」


 彩乃が笑う。


「夜勤明けは本当に眠いのよ」


 れいじも苦笑した。


「今日はゆっくり寝ろよ」


「そうする」


 母親はトーストを一口食べる。


「そういえば昨日、彩乃が写真をいっぱい送ってくれたの」


「楽屋の写真ばっかりだけどね」


 彩乃が笑う。


「それが良かったのよ」


「ライブ中の写真も素敵だけど、終わったあとのみんな、本当にいい顔してた」


 ふたばは昨日のことを思い出す。


 ライブを終えて、みんなで笑い合った時間。


 あの瞬間の写真だったのだろう。


「衣装も最後まで無事だったし」


 彩乃が少し得意そうに言う。


「あれだけ動いて誰も破かなかったんだから、奇跡だよ」


「確かに」


 れいじも頷いた。


「本番中、何回かヒヤッとしたけど」


「私はずっと袖で見てたからね」


 彩乃は笑う。


「最後まで何事もなく終わって、本当に安心した」


 母親は三人の話を嬉しそうに聞いていた。


「昨日ね」


 少しだけ優しい表情になる。


「写真を見て、一番思ったことがあるの」


 三人が母親を見る。


「れいじ、本当にいい顔してた」


 れいじの動きが止まる。


「そうかな?」


 彩乃がすぐに頷いた。


「それ私も思った」


「今までライブ終わっても、あんな顔してるお兄ちゃん見たことないもん」


「……気のせいだ」


「気のせいじゃない」


 彩乃は笑いながらふたばを見る。


「理由も何となく分かるし」


 ふたばは一気に顔が赤くなる。


「彩乃ちゃん……」


「何も言ってないよ?」


「言ってるのと同じだから」


 母親もくすっと笑った。


「何にしても、幸せそうで安心したわ」


 れいじは照れくさそうにコーヒーへ手を伸ばす。


「もう、その話終わり」


「はいはい」


 彩乃が笑う。


 ふたばも思わず笑ってしまった。


 こうして笑い合える時間が、とても心地よかった。


 朝食を食べ終える頃には、母親の目は少しずつ閉じかけていた。


「もう限界」


 大きな欠伸を一つ。


「今日はもう寝るから」


「お疲れさま」


 彩乃が食器を重ねる。


 母親は立ち上がり、ふたばの前で足を止めた。


「ふたばちゃん」


「はい」


「またいつでもご飯食べにおいで」


「ありがとうございます」


「十階と三階なんだから、遠慮しなくていいのよ」


 ふたばは嬉しそうに微笑んだ。


「はい」


 母親は満足そうに頷くと、自分の部屋へ戻っていった。


 彩乃も食器を持ちながら立ち上がる。


「片付けは私がやるから」


「手伝うよ」


「いいよ」


 彩乃は笑う。


「昨日の主役は休んでなさい」


「主役はみんなだよ」


「そういうところ、ふたばちゃんらしい」


 れいじは玄関で靴を履く。


「送る」


「三階までだよ?」


「まあな」


 ふたばは小さく笑った。


 二人でエレベーターへ乗り込む。


 静かな箱の中。


 昨日までと同じ沈黙。


 でも、不思議と居心地は悪くない。


「今日は何するんだ?」


 れいじが聞く。


「美月と買い物かな」


「そうか」


「れいじさんは?」


「午後から打ち合わせ」


「もう仕事なんですね」


「ありがたいことにな」


 ふたばは嬉しそうに頷いた。


 夢だった武道館は終わった。


 でも、FirstDayは止まらない。


 エレベーターが三階へ到着する。


 部屋の前まで歩き、ふたばが鍵を開けた。


「じゃあ、またあとでね」


「わかった」


 ドアを開けると、美月がソファで雑誌を読んでいた。


 二人を見るなり、ゆっくり顔を上げる。


「おかえり」


「ただいま」


 美月はれいじを見る。


「ちゃんと送ってきたんだ」


「ついで」


「はいはい」


 美月は肩をすくめる。


「じゃあ私、部屋探さないとな」


 ふたばが驚いて振り向く。


「えっ?」


「邪魔でしょ?」


「そんなことないって!」


 慌てるふたばを見て、美月は吹き出した。


「冗談」


 そして、れいじへ視線を向ける。


「彼氏さんはどう思う?」


 れいじは少しも迷わず答えた。


「今まで通りでいい」


「急に変える必要ない」


 その一言に、美月は満足そうに笑う。


「うん。その答えが聞きたかった」


 ふたばは胸をなで下ろし、小さく笑った。


 恋人になった。


 夢だった武道館にも立てた。


 それでも、帰ってくる場所は変わらない。


 そんな”いつもの日常”が、二人には何より大切だった。


 武道館ライブから、三か月が過ぎた。


 FirstDayの毎日は、目が回るほど忙しくなっていた。


 雑誌の取材。


 ラジオ出演。


 レコーディング。


 ライブの打ち合わせ。


 武道館公演をきっかけに、以前とは比べものにならないほど多くの仕事が舞い込んできていた。


 それでも、メンバーの表情は明るい。


 忙しさの中にも、充実した時間が流れていた。


 そして、その日はやってきた。


 映画『The Words I Couldn’t Say』完成試写会。


 都内でも有名な映画館。


 ロビーには出演者や関係者、報道陣の姿があり、独特の緊張感が漂っていた。


「なんか、ライブとは違う緊張だな」


 はじめが周囲を見回しながら呟く。


「今日はドラム叩かないもんね」


 美月が笑う。


「そういう問題じゃないって」


「じゃあ何?」


「映画館で自分たちの曲が流れるんだぞ?」


 はじめは胸に手を当てた。


「考えたら急にドキドキしてきた」


「武道館の方が緊張しそうだけど」


 ふたばが笑う。


「武道館は演奏すれば終わるじゃん」


「今日は逃げられない」


「最後まで聴くしかない」


 その言葉に、美月も小さく笑った。


「確かに」


 紬が受付を済ませ、メンバーのもとへ戻ってくる。


「皆さん、席はこちらです」


「ありがとうございます」


 一行は劇場の中へ入った。


 広いスクリーン。


 ゆるやかな傾斜の客席。


 上映前の静かな空気が広がっている。


 それぞれ指定された席へ座る。


 ふたばの隣は、れいじだった。


「緊張してる?」


 れいじが小声で聞く。


「少しだけ」


「俺も」


 短いやり取り。


 それだけで、ふたばの肩の力が少し抜けた。


 ほどなくして照明が落ちる。


 スクリーンに映画会社のロゴが映し出された。


 物語が始まる。


 劇場は静まり返っていた。


 ふたばは少しずつ映画の世界へ引き込まれていく。


 誰かを想う気持ち。


 言えなかった言葉。


 すれ違い。


 それでも前を向こうとする主人公たち。


 何度も読んだ脚本。


 それでも映像になると、まったく違って見えた。


 いつの間にか、ふたばの目には涙が浮かんでいた。


 隣を見ることはしなかった。


 きっと、れいじも同じように映画を見つめている。


 それだけで十分だった。


 やがて物語はクライマックスを迎える。


 主人公が、胸にしまい続けた想いを伝える。


 静かな余韻を残しながら、映像がゆっくりと暗転した。


 劇場は静まり返る。


 誰も動かない。


 誰一人、席を立たなかった。


 黒いスクリーンに、白い文字で出演者の名前が流れ始める。


 その瞬間だった。


 静かなピアノの旋律が劇場いっぱいに響く。


 ふたばは息をのんだ。


 れいじが書き上げたメロディー。


 何度も二人で話し合い、何度も録り直したあの曲。


 ギターが重なる。


 そして、ふたばの歌声。


『The Words I Couldn’t Say』


 エンドロールとともに、優しく流れ始めた。


 劇場全体が、その歌声に包まれていく。


 誰も話さない。


 誰も立ち上がらない。


 映画の余韻と、音楽だけがそこにあった。


 ふたばは静かに目を閉じた。


 レコーディングの日のことを思い出す。


 何度歌っても納得できず、悔しくて涙が出たこと。


 れいじが何度でも付き合ってくれたこと。


 その時間が、この一曲へつながっている。


 歌い終わる頃には、自然と涙がこぼれていた。


 やがて最後の音が消える。


 エンドロールも静かに終わり、劇場に照明が戻った。


 それでも、しばらく誰も席を立たない。


 数秒後。


 客席のどこからともなく、小さな拍手が聞こえた。


 その拍手は少しずつ広がり、やがて劇場全体を包み込んでいく。


 映画への拍手。


 出演者への拍手。


 そして、主題歌への拍手でもあった。


 はじめは何も言えなかった。


 口を開こうとしても、言葉にならない。


「……すげぇ」


 ようやく出たのは、その一言だけだった。


 美月も静かに笑っている。


「いい映画だったね」


「うん」


 ふたばは涙をぬぐいながら頷いた。


 紬も目元を押さえていた。


「本当に……素敵でした」


 れいじはスクリーンを見つめたまま、小さく息を吐く。


 ようやく終わった。


 いや。


 ここから始まる。


 そんな気がしていた。


 ふたばがそっと隣を見る。


 れいじも、同じタイミングでこちらを見た。


 一瞬だけ目が合う。


 何も言わない。


 言葉はいらなかった。


 二人は小さく笑い合う。


 その笑顔には、「ここまで来られてよかった」という想いが、静かに込められていた。


 完成試写会から数日後。


 映画『The Words I Couldn’t Say』はいよいよ全国で公開された。


 同時に、主題歌『The Words I Couldn’t Say』も発売される。


 朝から取材やラジオ出演が続き、FirstDayのメンバーは慌ただしい毎日を送っていた。


 それでも、不思議と疲れは感じなかった。


 夢だった武道館。


 映画主題歌。


 どれも、ずっと憧れてきた景色だったからだ。


 仕事を終えた帰り道。


 ふたばたちは駅前のCDショップへ立ち寄った。


 店の入り口には映画の大きなポスターが飾られ、その横には『The Words I Couldn’t Say』が大きく並べられている。


「すごい……」


 ふたばは思わず立ち止まった。


 自分たちの名前が、一番目立つ場所に並んでいる。


 昨日まで夢だった景色が、今は目の前にあった。


 店内では、主題歌が静かに流れている。


 買い物をしている学生が足を止める。


「この曲、映画で流れたやつだよね」


「最後、泣いたなぁ」


 そんな会話が耳に入る。


 ふたばは少しだけ照れながら微笑んだ。


 隣では、はじめが落ち着かない様子で店内を見回している。


「俺、なんかまだ実感ないんだけど」


「武道館でも同じこと言ってたよね」


 美月が笑う。


「だって全部急すぎるんだよ」


「そういう運命だったのかもね」


 紬も優しく笑った。


 その日の夕方。


 れいじのビルへ戻ると、一階のコンビニにも変化があった。


 店内の有線から、『The Words I Couldn’t Say』が流れていた。


 レジの向こうでは、夜勤前の母親が商品の整理をしている。


「あら、おかえり」


「ただいま」


 ふたばが店内を見回す。


「流れてますね」


「そうなの」


 母親は嬉しそうに笑った。


「さっき初めて流れた時、お客さんが『この曲好きなんだよね』って話してたの」


 れいじは少し照れくさそうに頭をかいた。


「偶然だろ」


「そうかもしれない」


 母親は頷く。


「でも、そういう偶然って嬉しいものよ」


 その言葉に、誰もが自然と笑顔になった。


 発売から数日後。


 いつものスタジオ。


 メンバー全員が集まり、次のライブの打ち合わせをしていた。


 ガチャッと勢いよく扉が開く。


「皆さん!」


 紬だった。


 珍しく息を切らしている。


「どうした?」


 れいじが立ち上がる。


 紬はスマートフォンを握りしめたまま、大きく息を吸った。


「ランキングです!」


 その一言で、部屋の空気が変わる。


 全員が紬の周りへ集まった。


「週間ランキングが発表されました」


 紬は画面を開く。


 少しだけ震える指でスクロールし、静かに画面を見せた。


 そこには、大きくこう表示されていた。


 週間ランキング 第一位


 FirstDay


 『The Words I Couldn’t Say』


 誰も声を出せなかった。


 時間が止まったような静寂。


「……え?」


 最初に口を開いたのは、はじめだった。


「一位……?」


 何度見ても変わらない。


 本当に一位だった。


「やったぁー!」


 はじめが勢いよく飛び上がる。


「一位だ! 本当に一位だ!」


 美月も大きく笑った。


「おめでとう」


 ふたばは画面を見つめたまま動けなかった。


 目の奥が熱くなる。


 武道館へ向かって必死に走り続けた日々。


 ライブハウスで誰も立ち止まってくれなかった頃。


 悔しくて泣いた夜。


 全部が頭の中を駆け巡る。


 涙が一粒、頬を伝った。


「ふたば?」


 れいじが声を掛ける。


「……嬉しくて」


 それ以上は言葉にならなかった。


 紬も目元を押さえながら微笑んでいる。


「本当に、おめでとうございます」


 れいじは静かにランキング画面を見つめていた。


 少しだけ笑う。


「みんなで取った一位だな」


「うん!」


 ふたばは涙をぬぐいながら、大きく頷いた。


 その夜。


 十階のリビングでは、夜勤へ向かう準備をしていた母親がスマートフォンを見つめていた。


「一位だって」


 彩乃も画面を覗き込み、嬉しそうに笑う。


「やったね」


「本当に」


 母親は静かに頷く。


「ほんと、よくここまで来たわ」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。


 数日後。


 FirstDayはいつものスタジオに集まっていた。


 ランキング一位のお祝いをした翌日。


 もう次の仕事が始まっている。


 はじめが大きく伸びをした。


「次は何を目指そうか!」


「気が早い」


 美月が笑う。


「ドーム!」


「海外!」


「夢は大きい方がいい!」


 相変わらず騒がしい。


 その声を聞きながら、れいじはギターケースを開いた。


 一本のギターを取り出し、静かに弦を鳴らす。


 優しい音が部屋に響いた。


「れいじさん?」


 ふたばが首を傾げる。


「もう次の曲ですか?」


「ああ」


 れいじは笑った。


「昨日、少し思いついたんだ」


「早いですね」


「思いついたなら忘れないうちにな」


 ふたばも笑う。


「思い立ったが吉日、ですね」


 れいじは頷いた。


「そうだな」


 そして、優しくギターを鳴らした。


「今日が吉日。」


 その一言に、部屋のみんなが笑った。


 ふたばは新しい歌詞ノートを開く。


 白いページ。


 まだ何も書かれていない。


 でも、不思議と迷いはなかった。


 きっとまた、ここから新しい歌が生まれる。


 新しい夢が始まる。


 初めてライブハウスで歌った日。


 初めてバンドの仲間と出会った日。


 初めて武道館を目指そうと決めた日。


 初めて「好き」と伝えた日。


 その一歩一歩が、今日へとつながっていた。


 だから、きっと明日も歩いていける。


 FirstDayは、新しい夢へ向かって歩き続ける。


 今日も。


 そして、これからも。


 今日が吉日。

最終話まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


FirstDayの物語は、武道館ライブの翌朝から始まる、いつもの日常へと戻っていきました。


夢だった武道館に立っても、ふたばとれいじが恋人になっても、急にすべてが変わるわけではありません。


一階のコンビニ。


十階の家族との朝食。


三階のふたばと美月の部屋。


そして、いつもの仲間たち。


そうした変わらない居場所があるからこそ、彼らは新しい夢へ向かって進み続けられるのだと思います。


後半では、映画『The Words I Couldn’t Say』が公開され、主題歌がついに多くの人へ届きました。


映画館のエンドロールで、自分たちの曲が流れる。


街や店の中で、知らない誰かがその曲を口にする。


そして、FirstDayにとって初めての週間ランキング一位。


ライブハウスで震えながら歌っていた頃を思えば、本当に遠くまで来ました。


けれど、彼らはそこで立ち止まりません。


れいじが新しい曲を思いつき、ふたばが真っ白な歌詞ノートを開く。


夢を叶えたその日が、また次の夢を始める日になる。


作品タイトルの『今日が吉日』は、ことわざの「思い立ったが吉日」から生まれました。


何かを始めようと思った日。


誰かに想いを伝えようと決めた日。


夢へ向かって一歩を踏み出した日。


その日こそが、新しい未来の始まりです。


FirstDayの物語は、ここで一区切りとなります。


けれど、彼らの音楽も、夢も、これから先へ続いていきます。


100話という長い物語に最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


今日が、皆さまにとっても吉日になりますように。

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