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エピローグ


皆様、御機嫌よう。先日まで悪役令嬢をしていた、イザベラ・ハムレットでっす。


現在、旅に出てから四か月、王都に戻ってきてから三か月が経ちました。


王都に戻ってきてからあった出来事をお伝えします。ちょーーっと長くなるけれど、よろしければお付き合いください。最後なので!


これまで、ありがとうございました!!






エリックとの離縁も私の勘違いだったので、一念発起して、貴族同士の社交をしてみよう、と思い立ち、まずは、私・王太子妃主催で、王宮でちょっとしたお茶会を開いてみることにした。


しかし、私が気兼ねなく誘えて、王太子妃の社交といえる相手は、エリック、エマ、ソフィア様くらい。辺境伯嫡男のメルヴィン、公国の神官の縁者であることが分かったクレアさんやサラも来てくれるかな。

あ、この世界のヒロインであるリリーは、公国の神官と築き上げた信頼関係から、この国で初めて、平民として外交官になったんだけれど、リリーも呼んでもいいだろうか。


でも、それって、いつものメンバーに、辺境伯領で仲良くなった人達が増えただけ……。




そんなことを考えていたら、どこから話を聞きつけたのか、アルフレッド様が王宮にやって来た。そして、人前で呼び止められ、「お茶会を計画しているなら、是非、参加させてほしい」と参加表明をいただいた。そんなの断れるわけないよね……。


私主催で、人が集まらなくて寂しいお茶会になるのが避けられるのは有難いが、アルフレッド様は、先日まで王家と争っていた公爵家派筆頭のレイモンド公爵家の嫡男で、公国に誘拐(ということになった)されかけたという話題の人。そんなアルフレッド様に、真っ先に参加表明いただくと、お茶会の持つ意味が全く変わってくる。


レイモンド公爵家が、誘拐されそうになった嫡男を助けた王家に恩義を感じ、和解を求めたと解釈され、他のレイモンド公爵家の派閥にいた貴族家も続かないわけにはいけないと思ったようで、次々と公爵家派の貴族から参加したいと、内々に相談された。

そうなると、王太子妃が主催しようとしているお茶会に、王家派が遅れを取るわけにはいかないと、王家派の貴族からも参加の申し入れがあった。

更に、派閥争いに加わっていない貴族家でも、こんな話題のお茶会なら行きたいとか、そもそも久しぶりの王族主催のお茶会だしとか、人が集まるところに、ますます人が集まる事態となった。


新米王族の私が、お茶会への参加を希望してくれる人を断るのも難しく、エリックに「何で、何の行事でもないのに、国中の貴族家を集めているの……」と呆れられ、私自身、ブルブル震えながら、かなり大規模なお茶会を計画することになった。


開催場所に困っていると、まだ公国との敵対関係は続いているから、国内外に、国の結束を示しておくのは悪いことではないというエリックの口添えで、王宮の広い庭を使わせてもらえることになった。


王宮の庭は広いから、ガーデンパーティーにすれば、大人数でもなんとかなりそうだった。あれ、王宮の広い庭でガーデンパーティー? ちょっとしたお茶会じゃなかったっけ……?


ま、まあ、食べ物を準備して、人を集めるということで、することは一緒でしょう!


なんか、どんどん引っ込みがつかなくなるこの感じ、今の人生でやたら縁があるような……。




こうなってくると、みっともない姿は見せられないので、サボっていた社交界のあれこれを、エリックとエマに改めて徹底的に教えてもらい、最新の貴族家と派閥について、勉強し直した。


そして、パーティーで話題になるかもしれないので、王立学院での同級生や学園生活について色々教えてもらおうと、リリーに王宮に来てくれないか連絡したところ、外交官の仕事で王都に行くことがあるということで、快く辺境伯領から王宮に来てくれた。出迎えると、騎士団長の息子であるダニエルも一緒で驚いた。


王立学院の学園生活を教えてくれた後、リリーは、仲が良かったという同級生を何名も教えてくれた。そして、彼ら彼女らならいつでも紹介するし、彼ら彼女らも私に会いたいと言ってくれていることを教えてくれた。乙女ゲームの攻略対象や登場人物もたくさん含まれていた。ヒロインの力を見せつけられる思いだ……。敵にならなくてよかった……。


そして、ダニエルは、ダニエルのお姉様を紹介してくれると言い出した。そういえば、ダニエルは騎士団長の息子であるだけでなく、南の名門侯爵家の嫡男だった。ダニエルのお姉様は、そんな名門侯爵家出身で、今は裕福な伯爵家に嫁いでいて、子供の頃から貴族の付き合いに馴染んでいるらしい。今もパーティーもお茶会も大好きで、切り盛りのノウハウもあるとのこと。

ダニエルは、本当に私と友達になってくれる気だったのか……。騎士に二言はなかった。感動した!


エリックやエマの貴族情報も、リリーの学園情報もとっても参考になって、ダニエルが紹介してくれたダニエルのお姉様は、場の切り盛りを助けてくれて、パーティーは盛況のうちに終了した。


「ついでに我々の不仲説も取っ払おう」と笑うエリックが、人前でやたらイチャイチャしてきて、私はその度に顔から火が出そうだったのも、良いかは分からないけれど、思い出だ。






そして、エリックの提案で、数年ぶりにアームストロング侯爵領に里帰りした。エリックも一緒だった。


ずっと私が侯爵領に帰れていなかったことを、エリックは気にしてくれていたようで、なるべく早く帰ろう、と無理やり公務を詰め込んで時間を作ろうとしてくれた。気持ちは嬉しいけれど、公国の問題も完全には片付いていなかった上、急な話で、あまりに忙しそうだったのに申し訳なくなり、「また今度でも……」とか「せめて一人で帰ろうか?」とか聞いたところ、苦笑して言われた。


「イザベラを待っている人がいると思うから、一度、早く帰ろう。私は、ずっとイザベラを独占していたから、今回は、そのことに対する侯爵領の人間の不満を受け止めに行こうと思って。次からは一人でも帰るといいよ」


それから、少し間を空けてから、エリックは続けた。


「今回は、侯爵に話したいこともあるし」

「父に?」

「ああ」






そして、少しして、二人でアームストロング侯爵領に帰った。アームストロング侯爵領に着くと、まずは国境沿いに建てられた慰霊碑に向かい、先の戦争で犠牲になった人々に祈った。

ここで戦って、守ってくれた人がいたから、私はこうしているのに、何年、ここに来ていなかったのだろうと、と頭をぶたれたような衝撃を受けた。


国境沿いの村の人達や、国境を守る騎士団や兵団の人は、温かく私を迎えてくれたけれど、目の前のことばかりしか考えられない、自分自身が情けなかった。






その後、侯爵家の屋敷に帰り、侯爵家で働く懐かしい面々に会った。皆、王太子であるエリックを前に、王家を陰から支える『王家の影』としての凛々しい顔をしていたけれど、エリックの「今日は、昔、ここにいた時と同じように接してくれ」という一言で、一転、昔に戻ったような朗らかな出迎えに変えてくれた。


私に対しても久し振りの再会を喜んでくれたが、侯爵家の皆にもみくちゃにされていたのは、エリックだった。


「イザベラ様が侯爵家から去って、王家に嫁がれると聞いた時は泣きましたよ!」

「王太子とアームストロング侯爵家の跡取りの結婚など無理だと思っていましたが、初恋を叶えられましたね! 執念ですね!」

「我々、殿下が現実を知って諦めるか、イザベラ様にフラれると思って見守っていたんですよ?! 何、本当に嫁にしているんですか……!!」

「愛娘を堂々と置いておけるのに、嫁に出す侯爵も侯爵ですよ……」


皆、私が侯爵家を去ったのを惜しんでくれていたようだということを、今更になって知った。

そして、何だか不穏な話になってきた。


「殿下と一戦交えておかないと、納得できなかったんですよね。表に出てくださいよ」

「無礼講なのですよね、殿下?」

「騎士団と兵団からも一番強い人間を連れて来い!」

「あ、エマ様も参加されますか?」


思っていなかった事態に、「昔、ここにいた時と同じだって言ってもやり過ぎだ」「エリックの本職は戦うことじゃない」と止めたけれど、侯爵家の皆は全然話を聞いてくれなかった。やはり、この屋敷で、私の威厳はない……。悪役令嬢なのに……。


エリックは笑って、侯爵家の皆を抑えようとする私を止めた。


「ここで勝負を受けておかないと、皆の気持ちも収まらないんでしょう」


そして、ぞっとする笑顔で不穏な一言を加えてきた。


「それに、勝てば、もう文句は受け付けなくていいということだし」


エリック、怖……。もともと能力もあるし、努力をしているのも知っているけれど、この人数差で、負ける気ないの、怖過ぎる……。

そして、ふと、私がプレイしていたゲームに出てくる攻略対象の王太子は、もう少し、穏やかなキャラクターじゃなかっただろうか、と思い出した。今、目の前にいるエリックのような、こんな好戦的な性格ではなかったような……。

そうそう。だから、私の知る乙女ゲームのエンディングの一つでは、隣国のスパイになったイザベラを許せなくて、これまで穏やかだった王太子が、本気で怒って断罪するところが、見せ場になっていた。


というか、エリックだけでなく、私の周りは何だか、色々、凄すぎて怖い人が多いような……。


まあ、皆、好きだけれどね!




そして、急遽、侯爵家の騎士団の演習場で、エリックと侯爵家の精鋭十人の試合が開催されることになった。侯爵家の皆は武闘派で、らしいというか、何というか……。

人数差があるので、エリックが摸擬戦闘用の長剣、侯爵家の人間は摸擬戦闘用の短剣で戦うことになった。ルールは全て不問の乱戦形式……。改めて確認したいのだけど、ここは本当に乙女ゲームの世界なのよね……?


エリックは、九人を長剣で倒したが、最後に登場したエマが、しばらく剣を交えた後、短剣をエリックに向かって投げて、エリックが怯んだところに体術を繰り出し、膝をついた。


エマが淡々と言った。

「剣捌きが、短剣の相手に慣れていないようにお見受けします。実戦だと、長剣と長剣での戦いになるとは限りません。長剣以外と組む鍛錬をされるといいかもしれないですね」


エマは、膝をついたエリックに手を差し出して、とびきりの笑顔で言った。


「でも、私の前に殿下が九人と戦っていないか、長剣と長剣の戦いであれば、私が負けていたかもしれません。強くなられたのですね。ご結婚おめでとうございます」


格好よくて、笑顔が可愛いエマに、結婚を祝ってもらえたことが嬉しくて、私はエマに飛びついた。私の親友は本当にすごい。


その後、すぐに、エリックと私は別室に連れられ、正装に着替えさせられ、侯爵家の面々に、結婚を祝ってもらった。そして、宴会が始まった。


「王太子殿下、今日は無礼講でいいですよね!」

「侯爵、殿下の命だから、仕方ないですよね!」

「殿下、イザベラ様、遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます!」


エリックの方を見ると、エリックも驚いていたから、知らされていなかったらしい。




ひと騒ぎして、夜も深くなり、徐々に脱落者が出てきた頃、エマに呼ばれ、エリックとエマと私で、月を眺めながら、お茶をした。その景色は幼い頃と何も変わっていなくて、ここに三人で戻って来られたのが、嬉しかった。






翌日から、アームストロング侯爵領の孤児院や救護院を回った。整えられた施設で、嬉しそうに沢山の人たちが出迎えてくれた。小さかった子供たちが大人になって、自分の子供を抱いていたりもしていた。医者になったローガンとか、遠くから、駆けつけてくれた人もいた。


もうこんなの泣かずにいられないよね……! 何処の孤児院に行っても、救護院に行っても、「大きくなって……!」とか「元気で良かった……!」とか言いながら、ずっと泣いていた。


ぐしゃぐしゃの顔で泣く私を見て、皆は笑っていた。


「何でなのよ。一緒に泣いて、再会を喜んでよ」なんて言ったけれど、本当はこんな不義理をしていた私を笑って迎えてくれただけで嬉しい。笑顔を見せてくれて、ありがとう!




とある救護院に寄る途中、母と暮らしていたスラムの近くを通りかかった。今ではスラム何て呼べないくらい、街は整備されていて、昔のような暗い雰囲気はなくなっていた。母と暮らしていたアパートは取り壊され、噴水のある美しい公園になっていた。


そして、明るい表情で人々が暮らしていた。






王都に戻る日、父が私を呼び出した。何処に行くか分からないけれど、エリックに、一緒に行かないか、と聞いたら、屋敷で待っている、とだけ言われた。エリックは、父と私の行く先を知っているらしい。そういえば、侯爵領についてすぐに、エリックと父で何か話していた。


何だろうかと思いながら、父に促されるがまま馬車に乗ると、屋敷から少し離れた小高い丘の麓に辿り着いた。そこから、二人で丘を登った。丘を登りながら、父が私に聞いた。


「王太子殿下とはつつがなく過ごしているのか?」

「もちろん!」

「そうか。何故かお前のことを本気で想っているようだからな。奇特なことだ」

「そこは『良かった』の一言でよくないですかねえ、父様?」


私に毒しか吐かない父に舌打ちしたい気持ちを堪えながら、連れられるまま、丘を登り切った。すると、アームストロング侯爵家代々の墓が見えた。そして、その少し離れたところを父が指し示すと、大輪の花に囲まれた小さな墓があった。父から、私の母の墓だ、と教えられた。


「アームストロング侯爵家の墓と離れているのは……」

「彼女とは結婚できなかったからだ」


私が聞こうとしたことに、先んじて回答された。そして、少し間を空けて、言い辛そうに、こうも言った。


「それに、彼女が、アームストロング侯爵家の墓に入りたかったとは思わない」


墓の前に、大きな色とりどりの花が咲き誇っている。美しく、プライドが高かった母がそこにいるようだった。

二人で、しばらくその光景を眺めた後、父がポツリと言った。


「私も死ぬときは、彼女の近くに墓を建てようと思う。許してくれると思うか?」


その一言で、今でも父は母を愛しているのだと理解した。母が死んでから十数年、母が父の前から去ってからだと二十年以上経っているというのに。

そして、そんな母が眠るこの場所に私だけ連れてきたということは、父は私のことも好きなのかな。まあ、変わらない仏頂面で言葉足らずだから、何を考えているかなんて、ちっとも分からないけれど。

あ、それは、父から見ると私もなのか。


さて、父から質問はされたものの、答えが分からなかった。私は、母が何を考えていたのか知らない。だって、母は何も話してくれなかった。


だから、母を思い出す時は、私では母をこの世に留める重しにはなれなかったのか、とか、厳しい顔ばかりしていた母の生は幸福だったのだろうか、とか。つい考えてしまって、否定できなくて、胸を掻きむしりたくなるような衝動が呼び起こされる。

もしくは、厳しい教育を受けたのは、私を愛してくれたからだったからだったならいいな、とか、母が最期に、父に私の存在を伝えたのは、私に生きてほしいと願ってくれていたのかな、とか、私を産んだことが母を不幸にしていませんように、とか。ただ、そうであって欲しいという祈るような私の願望があるのを思い知らされるだけ。


思い出しては胸が苦しくなるばかりで、母の真実の姿は、今となっては掴むことも望めない、遠い存在だ。


だから、母の墓を見つめたまま言った。


「母様が許すかは分かりませんが、いいのではないでしょうか。あのプライドの高い母様が、心を許していない相手と関係を持ったとは思いませんので、父様のことは何らかの形で想っていたのでしょう。でも、個人的には、母様のことは忘れて、素敵な女性を迎えて再婚するなんていうのもいいと思いますよ」


私の言葉に、父が戸惑った気配を感じたが、構わず続けた。


「それが嫌なら、ちゃんと生きて主張しなきゃ。父様に私のことをきちんと伝えて養育費を請求したり、母様が受け継いだ宝石を然るべきところに売ったりすれば、母様は生きることができたかもしれないのに。母様は生きる努力を怠った。

死後、近くに父様の墓を建てられるのが嫌だったとしても、父様が他の誰かと一緒になるのが嫌だったとしても、死んでしまっては伝えることもできない。全力を尽くさず、先に死ぬ方が悪いので、母様の意向なんて全部、無視で、父様の好きにするのがいいと思います」


父は顔を歪めて笑った。


「お前、母親には辛辣だな……」


フンと鼻を鳴らして言った。


「だって、酷いと思いませんか。残されたら悲しむ人がいるのに」

「……そうだな」




父の顔を見ると、何を考えているのか、ものすごく眉間に皺を寄せていた。元々、私と同じで悪人面なのに、更に酷い悪人面になってしまいそうだ。流石に同情したので、私の計画を話すことにした。


「でも、私が死ぬときは、母を許すつもりなんです。それで、生まれ変わりなんてものがあれば、もう一度、あの母と親子をやり直したい」


私の言葉に、父は意外そうに言った。


「お前は、そういう目に見えないものの存在を信じていないのかと思っていた」

「信じていますよ!」


悪役令嬢に転生なんてことがあるなら、生まれ変わりがあったっていいでしょう。


もちろん、笑われてしまうような、あるかないかも分からない世界だと思っている。でも、母ともう一度親子になったらどうしようか、と夢想すると、少し温かい気持ちになれた。


今世では全然言えなかった、大好きだから一緒にいたいってことをいっぱい伝えたいとか、もし生まれ変わった先でも何かあれば、次こそプライドとかなく母と生きるための手段を模索するんだとか。


「……まあ、そんなこと言っても、母様が望むかは分からないですけどね」


そんな世界があったところで、母に拒否されるかもしれないなあ。もう、あんな人生は懲り懲りかもしれない。その時は、諦めないといけないか。


私が自嘲するのを、父が遮った。


「彼女なら望むさ。私には分かる」


父がそんなことを言うとは思わず驚いた。父とこんな話をするのは初めてだ。血縁上は父親らしいが、何を考えているか分からない。でも、続きを聞きたくなってしまった。


「なんで、そんなことが……言えるんですか……」

「お前の母と私は、言葉足らずの似た者同士だった。考えていることならよく分かる。でも、お前に肝心なことを伝えないところまでも、似なくていいのにな……」


父は珍しく言い辛そうに、言葉を溜めた後、重苦しい声で言った。


「断言する。彼女はお前のことをこの世の何よりも大切に思っていた。彼女が、お前に何も言っていなかったのだとすると、複雑な血を持つお前に、苦難の道を歩ませるのが目に見えているのに、ただお前に会いたくて産んでしまったという、お前への罪悪感からだろう。

 いや、彼女の場合、それだけでないな。平民として必要以上の教養をお前に身につけさせていたことを考えると、いずれお前を私の元に送るつもりで、その時、お前が母へ愛着を持ち、彼女がお前の枷にならないようにと考えたのもあったのだろう」

「……まさか」

「私とて同じようなものだ。お前の存在を知った時は嬉しかった。でも、彼女とお前の苦境の時に、何も知らず、何もできなかった。そんな私が、彼女もお前も愛しているなんて、どの口で言えるというのか。ずっと、そう思っていた」




父と私の間に静寂が落ちた。


父は、一体、何を言っているのだろうか。これでは、まるで、母も父も、私を愛していたように聞こえてしまう――




私が戸惑い、言葉が出ないでいると、父は、キラキラ光る真っ赤なルビーにダイヤがあしらわれた首飾りを差し出した。隣国王家の血を引く母方の祖母から伝わったと後から聞いたそれは、母の形見で、財団設立の時に、父に売ったものだった。


「これを、お前に渡したい。お前の母も、お前に持っていてほしいと思っていたはずだ。

 王家で生きるのなら、隣国王家との繋がりを示す権威付けに役立つだろう。万が一の場合は、売れば、金になる。まあ、お前はまた人のために使ってしまうだけなのかもしれないが……。後悔せず、お前が生きるのに役立つのなら、それで十分だ」


父は、見間違いだったのかと疑うほど一瞬だけ、見たことがない穏やかな顔で笑った。そして、私の方に首飾りを更に近付けた。


驚きで、身を動かせない私に、父が請うように言った。


「受け取ってくれ。お前には不要なのかもしれないが、彼女も私も、お前に渡せるものが、他にないんだ」


そう言われて、父から、ズシリと重い首飾りを受け取った。何というべきか言葉に迷っていると、父が再び口を開いた。それを、意外な気持ちで見た。


父がこんなに話すところを見るのは初めてだ。


「生まれてきたのが、私達の元ですまない。でも、お前の母に代わって言わせてくれ。お前がいてくれて、幸せだった。私達の元に生まれてくれて、ありがとう」




父の言葉に息を呑んだ。そして、思った。


何でこんな肝心なことを伝えるのが、遅いんだ。仕事以外無能のクソ親父……。渡されたから受け取るけれど、首飾り以外にも、母様と父様からなら、もう十分に受け取っているし、謝って欲しいのはそんなことじゃない。


下町に住んでいたのに、隣国王家の血縁だと聞かされても納得するくらい、凛とした母様は格好良かった。王家に入って、父様みたいに働いてくれる人がいるから、国の平穏が守られているんだって、改めて知った。私みたいな努力とか好きじゃない人間が、王太子であるエリックの隣で妻として、それなりに務められているのは二人の元で厳しく教育を受けたからだし。そのことでできたこともあったし、エリックやエマや皆にも会えたし。だから、二人の元に生まれたことについて、謝罪なんていらない。




でも、私で良かったなら、母様も父様も、もっと笑ってよ!


頭に浮かぶのは文句ばかりだが、実際に目に浮かぶのは涙で、十数年越しに得られた答えに、ただ小さかった頃の自分が安堵している。

母様も父様も何を考えているか分からない。でも、二人に嘘を吐かれたことはない。だから、この言葉もきっと信じていい。


「良かった……。私が娘でいいなら、良かった……。私が不幸にしていないなら、良かった……」


父は再び「すまない」と聞き損ねそうな小さな声で言って、私の肩を抱きこむように引き寄せた。顔を歪めた、下手くそな笑顔をこちらに向けていた。


そして、墓の前で、母を偲んで、二人で泣いた。






その後、馬車で侯爵領から王都に戻った。


侯爵領の街道で手を振ってくれる人も多くて、ずっと馬車の窓から外を見ては、手を振っていた。




侯爵領を完全に出てから、力が抜けた。王都へ戻る馬車の中で、侯爵領であったことを思い出して、胸がいっぱいになって、理由も分からず、ボロボロ泣いた。


こんなに大事にしてくれる人たちのところにちっとも戻っていなかった自分の不義理が情けないのか、久しぶりに皆に会えたことが嬉しいのか、数年経ったが結婚を祝ってもらったことが嬉しいのか、父と一緒にようやく母の死を受け入れられたような気持ちになったのか、自分の気持ちなのにさっぱり分からない。


でも、私は、ここで生まれて、育って、今の自分がいる。それなのに、これまでまともに理解していなかった。大事にしてくれている人に気付かず、顧みることもなかった。


唯一、分かるのは、そんな自分の馬鹿さは酷く嫌だということ。




泣き続ける私を、隣に座っているエリックはずっと抱きしめてくれていた。


しばらくして、少し落ち着いてきた私に、エリックが苦しそうに言った。


「こんなことなら、もっと早く、侯爵領に帰らせてあげれば良かった……」


エリックの言葉に、目を瞬かせる。


そして、エリックは、私は侯爵領の人達に大事に思ってもらっていること、私にとって侯爵領が大事な場所であることに気付いていたんだと、知った。




それでも、今回だって、エリックの提案がなければ、帰ることもなかったくらいだ。


目の前のことで頭がいっぱいになって、侯爵領に戻ろうとしなかったのは私なんだから、自分の視界の狭さのせいで後悔することがあっても、それは私の今後の人生で向き合っていかないといけないことだ。私が責を負うべきことだ。


だから、もし何かに気付いていたとしても、エリックが気に病むことではない。




でも、そんなに苦しくなるくらい、我が事のように思ってくれるの? 大事に思ってくれるの? 甘えてもいいの?


つい、願ったことがそのまま、口から出た。


「ねえ、私がこれまでに経験したこと、エリックは聞いてくれる? これから何かあったら、一番にエリックに話してもいい? 私が見ている景色を、エリックも一緒に見てもらえないかな?」


エリックが驚いた顔をこちらに向けた。ハッと我に返り、図々しいことを言ってしまっただろうか、と冷や汗が出た。


「私は目の前のことですぐ頭がいっぱいになるし、迂闊だし。人の気持ちとかにも、残念ながら、多分、鈍感だし……。広い目線でもちっとも見られなくて、色々気付いていない……。もちろん、自分でも改善しないといけないと思うし、鋭意努力はするつもりだけど……。その、エリックが、私のことを傍で見守ってくれていれば、頼もしいので……」


こちらを見つめたまま、何も言葉を返してくれないエリックに気まずくなり、どんどん言い訳めいた言葉を続けてしまう。


「それで、私がエリックに何を返せるかっていうと、ええと、返せるものは何も思いつかないのだけれど。いや、私で良ければ、エリックのことは何でも知りたいし、背負っているものは一緒に受け止めたいと思っているけれど、エリックに私が勝っているものを、何一つ思い付かないというか……。あ、いや、悪人面くらいなら勝てるかな……」


エリックは、私の言葉に被せるように言った。


「イザベラの、目の前の人の痛みを、自分のことのように感じられる優しさが好きだよ。

 心配することも多いけれど、できることを見つけたら、すぐに行動に移せるところも好ましく思っている。

 辛い思いも、嫌な思いも、色々経験してきたと思うけれど、それでも人を信じて、気負いなく笑って、前を向ける強さも尊敬している。

 ……あと、イザベラの前では猫を被っているけれど、私の方が絶対に悪い顔をしている」

「そうなの?」

「そうだよ。それでも、当たり前みたいに善意で動いて、周囲を笑顔にしているイザベラを見ていると、私も人を信じられるし、イザベラが笑っていられるためだと思えば、何だって頑張れる。私が強くいられるとすれば、それはイザベラがいるからなんだよ」


褒め上手なエリックに照れつつ、ホッとして笑顔を返した。


「少しでも、エリックにできていることがあるなら良かった」


エリックは私の表情を見ると、小さく呻いた。その後、エリックが言った言葉にギョッとした。


「頑張るよ。イザベラが笑っていられるように、死力を尽くす」


思ったよりも重い言葉でエリックに決意を語られ、焦った。


「ごめん! そんなに負担をかけるつもりじゃなくて、ちょっと隣で見ていて、助言をくれたら、その、心強いなって。でも、私って、『死力を尽くす』なんてくらいの決意がないと引き受けられないくらい、手間がかかるの?!」


小さく笑ったエリックに、力強く抱きしめられた。


「自分でも言っているけれど、本当に人の気持ちが分かっていないね。こんなに想える相手がいるなんて幸せなんだよ。

 弱いところも見せてくれるんでしょう? 嬉しいことだけでなく、悲しいことも分けてくれるんでしょう? 隣で私が守ることを望んでくれるんでしょう?」

「それはもちろん、そうしてくれると有難いけれど……」


間近で見たエリックの顔は、わずかに紅潮しているようだった。


「望んでくれるのが、すごく嬉しいよ」

「嬉しい? こんなことが? いいの?」


疑問には、優しい眼差しと共になされた、深い口付けで答えられた。








こんな感じで、新しいことをしてみるのも、旧交を温めるのもいいものだなあ、と思っていたところ、急に状況が変わった。


エリックが、とあることをきっかけに、私の王太子宮からの外出に反対するようになった。どうも強い意思を持っているみたいで、現在、一週間、王太子宮に軟禁中……。


今日はエマが来る日だ。助けを求めようと、必死で応接室に向かい、扉を開け、言った。


「エマ、助けて!」


切羽つまったような私に、エマが驚いたように私を見た。


「どうなさったのですか?」

「エリックに、王太子宮に閉じ込められているの……! ここから出して……!」

「何ですって……?」


一足遅れてエリックが応接室にやって来た。そして、呆れたように言った。


「エマも聞いたら、納得すると思うよ。イザベラ、先にエマに報告することがあるんじゃないの?」

「あ……。えっと……その……妊娠したの」


エマはぱっと目を見開いた後、優しい笑顔で言ってくれた。


「ご懐妊おめでとうございます。イザベラ様が、母君になるのですね。今、赤ちゃんは何か月くらいなのですか?」


少し気恥ずかしくなりながら、お腹を撫でながら、それに答えた。


「ありがとう。今、三か月だって」


しかし、それを聞くと、ニコニコしながらエマが同意してくれた。でも、それは私に対してではなかった。


「承知いたしました。では、殿下、この生活を続けてください。義父である侯爵には、私から説明しておきます」

「エマまで、何を言っているの?!」


焦る私に、二人はさも当然のように言った。


「自分自身が妙なものを引き寄せるっていうのは、流石に否定しないよね。危なっかし過ぎるから、出産まで、いや、出産後に体力が回復するまで、王太子宮で保護するって言っているんだ」

「殿下、体を全く動かさないのは、良くないそうですよ。護衛を連れて、王宮内を散歩するくらいならいいのではないでしょうか?」

「そうなのか。では、護衛を連れてなら、王宮内はいいということにしようか」

「王宮内って、行動範囲、狭過ぎでは……」


引き攣った笑みを浮かべていると、エリックとエマが示し合わせたように、私を見てきた。


「イザベラはただでさえ、色々なことに巻き込まれやすい。妊娠中は本調子ではないだろうし、何かあっても今までみたいに動けない」

「仰るとおりです。更に、次世代の王家の人間がイザベラ様のお腹にいるんです。誰から狙われるか分かったものではありません。今まで以上にリスクが高い今は、安全を最優先すべきです」


たじろぐ私に、二人は揺らがず言った。


「ここ数年で、エマと初めて意見があった気がするよ。イザベラ、諦めようか」

「殿下、本当ですね。イザベラ様、耐えてください」


二人の様子から説得できる気はしなかったけれど、何とか反論できないか言葉を探していると、エリックは話を変えた。


「そうだ、イザベラに手紙が来ていたよ」

「話をごまかそうとしていない?」

「まさか」


エリックから手紙を渡され、見ると、メルヴィンとサラからだった。その場で手紙を読んで、二人に言った。


「辺境伯領のメルヴィンとサラが王立学院への進学を考えていて、王都に来るから、会いたいって!」

「そう。なら、折角なので、王太子宮に滞在できるよう、手配してあげたら?」

「いいの?」

「勿論。ついでに、子供が産まれるまでに、王太子宮もイザベラが使いやすいように整えてよ。子供が育てやすくて、自由に客人も迎えられるよう。ここはイザベラの家なんだから」


エリックがさらりと言った『家』という響きにソワソワした。そうか、ここが私の家になるのか。幼い頃には想像もしたことがないくらい豪華だけど。

そんな私の様子を見て取ったエリックとエマが、微笑みながら言った。


「ねえ、イザベラ、来年は、隣の帝国の皇帝陛下が結婚式を挙げるから、夫婦で招かれているんだ。帝国には、イザベラの母方の祖母が住んでいたんでしょう。宮廷に行けば、どんな人だったか、知っている人もいるかもしれないよ」

「行きと帰りには、アームストロング侯爵領にも寄ってくださいね。侯爵領の人間一同、お待ちしています」


エリックとエマの話に、パッと二人の方を向いた。二人はにこやかに話を続けた。


「この国の南には海もあるんだ。騎士団長の領地だよ。イザベラは行ったことがなかったよね。騎士団長の息子と友人になったなら、案内してくれるんじゃないかな。子供も連れて行ったら喜びそうだね」

「イザベラ様が私費を投じて行った辺境伯領の祭りは、辺境伯領の住民で定期的に開催できるよう計画中だそうですよ。楽しかったですね。また行きたいですし、殿下にもご覧になっていただきたいですね」


次々に示される楽しそうな予定を思い浮かべると、ソワソワした。エリックとエマは、そんな私に、勝利を確信したような笑みを浮かべた。


ああ、この後の展開が読めてしまった……。


「もう言いたいことは分かるよね?」


目の前に大量にぶら下げられる餌に、私は屈した。エリックとエマに結託されて、私が敵うはずがない。


「分かりました……。子供が産まれるまで、ここで大人しくします。だから――」


項垂れる私に、エリックとエマは笑った。


「うん。子供が産まれたら、元気な姿で、皆に会いに行こう」


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