#3 妹なんてこわくない(1)
放課後。
昇降口に集合と言われていたので、駕木雪花は靴を履いて待っていた。
綿津見園の桂は、まだほの白い。
綿津見園とは、昇降口はいってすぐの、吹き抜けの中庭である。
八方をガラスに囲まれた柱状の空間で、桂の古木が植えられていた。
太い幹が、もつれあいながら天へと伸びる様は勇壮だ。
彩光も考えられているらしい。
朝は東向きの昇降口から、直接陽が注がれる。
昼以降も、ガラスがうまく反射して、根本まで明るかった。
綺麗なのが夕方である。
夕日が校舎の裏へ沈むときは、根本まで赤く染まる。
薄暗い校舎のなか、赤く浮かび上がる桂はちょっと幻想的であった。
雪花は、その光景が大好きだった。
しかしいまは、そんな余裕などない。
尾籠な魔女から兄を奪いかえす、その敵愾心に燃えていた。
(そもそも! お兄ちゃんとこの学校と、どういう関係があるのよっ)
昼に言いくるめられてしまった自分が不甲斐なかった。
ひとり雪花が息巻いていると――
従僕のように、駕木と家込を引き連れて、女王よろしくあらわれた香坂は――
雪花をみつけると親しげに微笑んだ。
そうして、仁王立ちして待ち構える雪花に、
「こっちよ」
と校舎へ手招きした。
「え?」
腰砕けになる雪花。
どうやら外に行くのではないらしい。
しかたなく、いそいで、雪花はふたたび上履きに履き替えた。
そして頬を膨らませながら、
「どこへ行くんですか?」
と訊いた。
だが香坂は、うーん、と頭をひねらせてから、
「説明がしにくいの」
とこたえると、また廊下へ戻っていった。
兄や家込に視線を送ったが――
従僕たちも同じ情況らしかった。
*
職員室の前を抜けて、用務員室の隣の階段へ着いた。
地下階はないのだが、ここだけ階段裏が2、3段低くなっていた。
狭い物置きスペースだった。
壁には「ボイラー室」と書かれた扉があった。
香坂は鞄のポケットから鍵を取り出すと、ボイラー室を開けた。
配管が巡らされ、狭く、蒸し暑い部屋であった。
低くうなる電動機器が、ひどく耳障りである。
「ここに、入るの?」
「ええ、そうよ」
香坂は平然と入っていく。
しかしとても、人間が4人も収まるようには思えなかった。
香坂は配管の下をくぐって、すいすいと進んでいった。
奥までゆくと、今度は屈んで、両腕を突っ張った。
重たそうな蓋を、ずりずりこじ開ける音が聞こえた。
「ここからは、梯子。駕木くんは、最後に降りてきてね。下から覗かれたら、みんなも心外でしょ?」
香坂に釘を刺される。
この理解不能な情況で、邪など起こすわけもないが、
「わ、わかってるよ」
と駕木は紳士的に返した。
地下へつづく梯子は、5メートル程度だろうか。
すこし深いが、いつもタンク塔に登っている駕木たちには、なんでもない。
地下は、コンクリートで固められた狭い部屋だった。
いや、廊下だった。
細い一本道は長く、また別の扉へと続いていた。
今度は、重たそうな鉄扉である。
しかし蝶番には油が射されているのか、軋むことなく開いた。
小部屋であった。
教室の半分くらい、20畳ほどだろうか。
天井の高さも、ほぼ教室とおなじだった。
ここもコンクリートに覆われている。
息が詰まりそうな閉塞感があるが、通気口らしき穴と、エアコンまであった。
異質なのは、小さな祠が建っていることだった。
祠の手前には、鳥居まで設えてある。
そして祠と鳥居のあいだの床には、幾何学模様が白線で描かれていた。
それはいくつもの円で構成された神聖幾何学と呼ばれる図形――
『生命の花』であった。
「ここは?」
「見ての通り、神社よ」
「神社? 学校の地下に?」
「綿津見神社というの。神社庁には属していない、私設神社よ」
「そんな勝手に神社とか作っていいの?」
「神社庁に属していない神社なんて、たくさんあるわ。それに――」
香坂は不敵に微笑んで続けた。
「ここには太古から、綿津見神社が鎮座していたの。管理者不在で荒れていた土地を、神社ごと買い取って、この学校は建てられたの。だけどこうして、神社だけは残してある。ここは、人々から忘れられた神社よ」
「そんなことって――」
「結構あるのよ。もちろん、祠は新しいものだけど、磐座は当時のまま」
「イワクラ?」
みれば床に描かれた図形の、中央にある6枚の花弁が描かれた円に、岩が埋め込まれていた。そこだけこんもりと浮き上がっている。
「古代祭祀では、神が宿るという霊石を祀ったの。そうした岩を、磐座というわ」
「自然崇拝ってやつ?」
駕木は、歴史の授業の記憶をたぐった。
たしか縄文時代における、原初的な宗教とか言っていたはずである。
「自然物や自然現象そのものに、祈りを捧げたり、感謝をするの。だから磐座っていうのは、神社そのものより歴史が古かったりするのよ。駕木くんは、しめ縄が掛かっている岩とか見たことない?」
「んー」
あるといえば、あるような、ないといえば、ないような。
そもそも神社といえば、お正月に本殿に参拝して、おみくじをひいて、出店を堪能して帰るくらいのイメージしか、駕木にはなかった。
けれども――
「じゃあぼくたちは、神社の上で生活してたってこと? それって罰当たりなんじゃ……」
神社や墓場の祟りは、駕木にだってわかる。
神さま仏さまに、失礼をしてはいけないというのは、誰もが教わるものだ。
「この上は、ちょうど吹き抜けになっているの」
「え……それってもしかして、綿津見園――」
「ええ、そう」
校舎内で、吹き抜けといえば、そこしかない。
確かにそこならば、生徒は立入禁止で、常に鍵もかかっている。
でもまさか――
「綿津見園の真下が、神社……?」
「知りませんでしたぁ、あんなに大きな木があるのにねぇ」
家込も目を丸くしている。
「桂は、移植たらしいわ」
「よくやるよ……」
駕木はすっかり呆れていた。
ただ雪花だけは、
「だからなんなんですか? それがお兄ちゃんとどういう関係があるんですか?」
と苛立たし気であった。
「説明するより、体験してもらったほうが早いわ」
香坂は一礼をして鳥居をくぐると、祠に掛けられた鈴を手にする。
三つの鈴が繋がった、トライアングルのような鈴である。
それは『五十鈴』といわれるものであった。
香坂は五十鈴をひとつずつ両手に持つと、しゃんしゃんとかき鳴らした。
冷たいコンクリートの壁に、鈴音が幾重も反響する。
三半規管がうっとりと酔うような心地良さがあった。
「みんなも、こっちにきて」
鳥居のまえで躊躇していた3人だったが、香坂にいわれるとみなも一礼をして、鳥居をくぐる。
そこはもう、幾何学模様のなかであった。
「この磐座が要石なの。だからずっと触っててね。放しちゃダメ」
言われるまま、磐座にそっと手を触れる3人。
殺風景な室内にあっても、なぜかその磐は温かく感じられた。
固くざらざらとした表面に変わりはないのだが――
触れていると、どこか柔らかく、温かく、包まれるような気がするのだった。
「不思議……」
感覚が共有されているのか、雪花のほうが先にそう言った。
香坂は鈴を置いて、祠の前に立つ。
3度、深々と礼をしてから、柏手を3つ叩いた。
さらにその掌を天井へと向けたまま、深く静かに呼吸をした。
最後にゆっくりと息を吸うと――こう唱えた。
『トホカミヱヒタメ
アイフヘモヲスシ
ヤキヌエコヨユイ
ハチムネオソツナ
マニウテケロンサ
ラリクセレノルワ』
一音、一音、はっきりと、明瞭に、発していった。
呪文なのか、祝詞なのか、真言なのか、誰もわからなかった。
唱えおわると、香坂はまた同じように3回お辞儀してから、3度柏手を打った。
そうしてゆっくり呼吸をしてから――振り返った。
「じゃあ行きましょう?」
「え? 行くって、どこへ?」
駕木がきょとんとして、目をくりくりさせていると――
「『地』の国、かしら」
香坂がそう返したところで、駕木の意識は急に遠退いた。




