第13話 不満を書き出しなさい。処刑はその後です
一年二組の教室には、紙の山ができていた。
正確には、山というほど高くはない。
だが、入学二日目の教室で集まる不満の量としては、かなり多い。
私は教卓の上に置かれた紙束を見下ろし、まず分類を始めた。
不満の可視化。
これは組織運営において重要である。
見えない不満は腐る。
腐った不満はやがて反乱になる。
魔王城でも、小さな不満を放置した結果、第三師団が「威圧用巨大旗の予算が足りない」と集団嘆願を起こしたことがある。
あの時は大変だった。
旗の本数を半分に減らし、代わりに旗一枚あたりの威圧感を高めることで解決したが、会議は三日続いた。
不満は、早期処理が大切だ。
「えーと、ルシェラ?」
ティナが不安そうにこちらを見上げる。
「それ、全部読むの?」
「はい。全員の不満を把握しなければ、適切な調整はできません」
「真面目だなあ……」
「真面目にやらないと、後で問題が拡大します」
私は紙を一枚取った。
そこには、丸い字でこう書かれている。
――貴族の人たちが固まっていて話しかけづらい。
次の紙。
――平民生徒の魔法基礎が不安。ペアを組むと訓練効率が落ちそう。
次。
――アレン君と組むと笑われそうで嫌だ。
私は一瞬、手を止めた。
アレンは後ろの席で頬杖をついている。
こちらを見ているのか見ていないのか分からない顔だ。
だが、おそらく聞こえている。
私はその紙を裏返し、別の山に置いた。
次。
――クロード様の言うことは正しいと思うけど、少し怖い。
次。
――ティナさんみたいに明るく話せない。平民同士でも緊張する。
次。
――ミナさんの目がたまに怖い。
ミナの眉が少し動いた。
次。
――先生が怖い。
教室の何人かが、ポルカを見た。
ポルカは両手を振った。
「ぼ、僕じゃないです! いや、僕も書きましたけど、それ一枚とは限らないじゃないですか!」
グレイン先生は無表情のままだった。
だが、黒板の横で腕を組んでいる姿は、確かに怖い。
私は紙を分類しながら、黒板に項目を書いた。
身分差。
実力差。
ペア分け。
話しかけづらさ。
低適性者への扱い。
教師への恐怖。
最後の項目を書いた時、教室内に妙な沈黙が落ちた。
グレイン先生は黒板を見て、低く言う。
「私への不満も議題に含めるのか」
「不満は不満です」
「いい度胸だ」
「ありがとうございます」
「褒めてはいない」
アレンが後ろで小さく吹き出した。
私は黒板の前に立ち、教室全体を見渡した。
貴族生徒たちは少し硬い顔をしている。
平民生徒たちは、書いたことが読まれたせいか落ち着かない。
ティナは心配そう。
クロードは腕を組み、何か言いたげだ。
ミナは黙っている。
ポルカは今にも机の下に隠れそうだ。
そしてアレンは、面白がるようにこちらを見ている。
私は深く頷いた。
「では、全員の不満を確認しました」
教室が静まる。
「処刑はその後です」
完全な沈黙が落ちた。
鳥の声さえ聞こえた気がした。
ティナの口が半開きになる。
ポルカの顔から血の気が引く。
クロードが目を見開く。
ミナでさえ、少しだけ私を見た。
グレイン先生の眉が、わずかに動いた。
後ろの席で、アレンが机に突っ伏した。
肩が震えている。
笑っている。
「ルシェラ」
アレンが顔を上げ、片手を挙げた。
「はい」
「処刑って言うな。反省会だ」
反省会。
そうだった。
私はすぐに黒板へ向き直り、「処刑」と書きかけていた脳内予定を修正した。
「失礼しました。処刑ではなく、反省会です」
「今の言い直しで安心できるやつ、いると思うか?」
「安心できません……!」
ポルカが震えながら答えた。
ティナが慌てて立ち上がる。
「ルシェラ、えっと、たぶん言いたいことは分かるんだけど! 処刑はだめ! 絶対だめ!」
「承知しました。勇者学校では不満の提出後、処刑は行わない」
「勇者学校じゃなくても普通はしない!」
「そうなのですか」
「そうなの!」
また学んだ。
人間界では、不満処理に処刑を用いない。
いや、当然か。
私も実際に処刑するつもりはなかった。
比喩である。
……比喩のつもりだったが、周囲の反応を見るに、人間界ではこの比喩は不適切らしい。
今後使用を控える。
「では、反省会を始めます」
私は改めて黒板の前に立った。
「最初に確認します。ここに書かれている不満は、誰かを罰するためのものではありません」
教室の空気が、まだ少し硬い。
仕方ない。
今しがた私が凍らせた。
私は続けた。
「目的は、見えていない不安を見えるようにし、訓練時の事故や衝突を減らすことです」
グレイン先生が黙ってこちらを見ている。
止めない。
ならば続行してよいということだろう。
「まず、身分差について」
その言葉で、ティナとクロードがそれぞれ少し反応した。
「貴族生徒は、平民生徒の基礎訓練経験に不安を持っています。平民生徒は、貴族生徒に話しかけづらいと感じています。これは、互いに情報が足りないために起きている問題です」
クロードが言う。
「情報が足りない?」
「はい。貴族生徒は、平民生徒が何をできるか知らない。平民生徒は、貴族生徒が何を求めているか知らない。知らない相手を避けるのは自然です」
「……一理ある」
クロードは渋々頷いた。
ティナも少しだけ表情を緩める。
「次に、実力差です」
私は黒板に、得意・苦手と書く。
「全員が同じ力を持つ必要はありません。剣が得意な者、魔法が得意な者、回復が得意な者、情報収集が得意な者、逃げ道を見つける者。それぞれ役割が違います」
ポルカが小さく手を挙げた。
「あの、逃げ道を見つける者って、役割に入るんですか?」
「入ります。撤退経路を把握する者がいない部隊は、危険です」
「僕、役割あった……」
ポルカは少し感動していた。
アレンがぼそりと言う。
「じゃあ、俺は?」
「アレンは、違和感に気づく者です」
教室の視線がアレンに集まる。
アレンは嫌そうな顔をした。
「勝手に役割を決めるな」
「模擬魔物の異常に気づいていました」
「お前も気づいてただろ」
「私は平均より少し上なので」
「まだ言うか」
教室の一部から笑いが漏れた。
今度の笑いは、誰かを下げるものではない。
少し空気が緩む。
私はそれを確認してから、次へ進んだ。
「ペア分けは、身分ではなく目的で組みます。基礎確認、弱点補助、役割交換。この三種類に分けるのはどうでしょう」
私は黒板に三項目を書いた。
一、基礎確認組。
二、弱点補助組。
三、役割交換組。
「基礎確認組は、実力が近い者同士で基本を確認します。怪我の危険を減らすためです」
クロードが頷く。
「それなら効率は落ちにくい」
「弱点補助組は、得意な者が苦手な者を見る組です。ただし、教える側は威圧しないこと」
貴族生徒の何人かが気まずそうにする。
ティナが少し笑った。
「役割交換組は、普段と違う役割を体験します。剣が得意な者が支援役の視点を知り、支援役が前衛の不安を知るためです」
ミナが静かに言った。
「弓の者が前衛を知る意味もある?」
「あります。前衛が何を怖がるか分かれば、援護の精度が上がります」
「……分かった」
ミナはそれ以上言わなかった。
だが、納得はしたようだった。
私は続ける。
「ペアは毎回固定せず、授業ごとに目的を変えるべきです。固定すれば安心しますが、偏ります」
「それは教師が決めるべきことだろう」
クロードが言う。
私は頷く。
「最終決定はグレイン先生に委ねます」
グレイン先生へ視線が集まる。
先生は腕を組んだまま、短く言った。
「悪くない」
教室が少しざわついた。
「次の基礎剣術では、その三分類を試す。ディア、後で案を出せ」
「はい」
「あと」
グレイン先生は黒板の最後の項目を見た。
教師への恐怖。
「私が怖いという不満については、改善しない」
ポルカが絶望した顔をした。
「なぜですか……!」
「実戦はもっと怖い」
「正論が怖い!」
「ただし、質問は受ける。怖くても聞け。分からないまま訓練する方が危険だ」
ポルカは少しだけ考えた後、小さく頷いた。
「……怖くても聞きます」
「よし」
この「よし」は、ポルカにとってかなり重要な評価らしい。
彼は背筋を伸ばした。
私は黒板を見直す。
身分差。
実力差。
ペア分け。
話しかけづらさ。
低適性者への扱い。
教師への恐怖。
すべてが解決したわけではない。
だが、少なくとも教室内にあった曖昧な不満は、言葉になった。
言葉になれば、扱える。
扱えれば、調整できる。
私は少しだけ安堵した。
その時、後ろからアレンが言った。
「で、ルシェラ先生。処刑対象は誰になったんだ?」
「処刑は行いません」
「そりゃよかった」
「ただし、改善が見られない場合は再協議します」
「再処刑みたいに言うな」
また教室に笑いが起きた。
ティナも笑っている。
ポルカも少しだけ笑った。
クロードは不本意そうにしながらも、口元を引き結んでいる。怒ってはいない。
ミナは静かだが、先ほどより空気が柔らかい。
グレイン先生が教壇に立つ。
「では、授業を始める」
その一言で、教室はすぐに静まった。
さすが担任。
声だけで場を締める力がある。
「今日の内容は予定を少し変える。今ディアが出した分類を使って、基礎剣術のペア案を作る」
教室がざわつく。
「不満を出したなら、次は動け。口にしたことを、訓練で確認する」
グレイン先生の方針は明確だ。
言わせる。
考えさせる。
そして実際にやらせる。
これは放任ではない。
生徒に責任を持たせる教育だ。
「ディア」
「はい」
「お前は今日、全体を見る係をやれ」
「全体」
「言い出した者の責任だ」
また責任。
人間界では、発言すると仕事が増えるらしい。
これは魔王城と同じだ。
私は頷いた。
「承知しました」
ティナが小声で言った。
「ルシェラ、すごいね。なんか本当にクラスをまとめてるみたい」
「まとめているつもりはありません」
「でも、みんな聞いてたよ」
「それは、処刑という言葉で注目を集めた可能性があります」
「そこは反省して」
「はい」
処刑発言は不適切。
今後は反省会と言う。
私は心に刻んだ。
授業が始まり、グレイン先生の指示で生徒たちは訓練場へ移動する準備を始めた。
クロードが私の横を通り過ぎる時、立ち止まった。
「ルシェラ・ディア」
「はい」
「君のやり方は乱暴だ」
「処刑発言については反省しています」
「そこもだが、それだけではない」
クロードは少し言いづらそうにした。
「だが、見えていなかったものが見えたのは事実だ。……案としては、悪くない」
それだけ言って、彼は前へ進んだ。
これは、褒められたのだろうか。
ティナが後ろで小さくガッツポーズをしていた。
やはり褒められたらしい。
次に、ミナが近づいてきた。
「ルシェラ」
「はい」
「さっきの分類」
「はい」
「弓の援護に前衛の視点が必要、っていうのは分かる」
「そうですか」
「だから、次の訓練で前衛の誰かと組む」
「よい判断だと思います」
ミナは小さく頷き、離れていった。
彼女の言葉は少ない。
だが、話は通る。
ポルカは私の前で両手を握った。
「ルシェラさん、僕、逃げ道係として頑張ります!」
「はい。重要任務です」
「重要任務……!」
ポルカは少しだけ背筋を伸ばした。
最後に、アレンが近づいてきた。
「大活躍だな、学級委員」
「私は学級委員ではありません」
「まだ、だろ」
「まだ?」
「先生、たぶん目つけたぞ」
アレンは教壇の方をちらりと見る。
グレイン先生は出席簿を閉じ、生徒たちを見ていた。
確かに、視線が一瞬こちらに来た。
「私は目立たないよう努力しています」
「もうその話、毎回面白いから続けてくれ」
「面白くありません。潜入――いえ、学校生活上の課題です」
「今また何か言いかけたな」
「気のせいです」
「嘘が下手」
アレンは笑った。
私は反論しようとして、やめた。
彼の言う通り、私は嘘が下手なのだろう。
だが、今はそれよりも考えるべきことがある。
一年二組。
この教室は、まだまとまっていない。
貴族と平民の線は残っている。
アレンへの視線も、ミナの傷も、ポルカの不安も、ティナの遠慮も、クロードの責任感も、何も解決していない。
だが、少しだけ動いた。
紙に書いた。
言葉にした。
笑いも起きた。
処刑という言葉は不適切だったが、反省会にはなった。
私は訓練場へ向かう列に加わりながら、心の中の報告書に書いた。
――一年二組、不満の可視化に成功。
――処刑という表現は人間界では不適切。反省会と呼称すべき。
――クロードは責任を重んじるため、論理的に説明すれば一定の協力が得られる。
――ティナは平民としての遠慮を抱えているが、場を明るくする力がある。
――ポルカは恐怖を情報収集に変換可能。
――ミナは必要性を理解すれば協力する。
――アレンは相変わらず観察力が高く、こちらの発言の危険箇所を拾う。要注意。
そして、最後に一行。
――同じクラスの不満を放置するのは、なぜか落ち着かない。
私はその一文を見つめるように、心の中でしばらく黙った。
任務のため。
敵情視察のため。
情報収集のため。
そう説明することはできる。
だが、本当にそれだけだろうか。
まだ分からない。
分類不能。
継続観察が必要。
訓練場へ向かう廊下で、ティナが私の隣に並んだ。
「ねえ、ルシェラ」
「はい」
「今日の、ちょっと怖かったけど、よかったと思う」
「処刑発言については」
「そこはだめ」
「はい」
「でも、みんなのこと見てくれてたのは、嬉しかった」
ティナはそう言って笑った。
私は返答に迷い、結局こう言った。
「同じクラスですので」
「うん」
ティナは満足そうに頷いた。
その言葉が、思ったより自然に口から出たことに、私は少しだけ戸惑った。




