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100回婚約破棄された悪役令嬢、101回目はグーパンで真ルートを開きます  作者: あゆと


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1/10

001 言わせません

「アリシア・ヴァルトハイム! 私は貴様との婚約を――ぶはぁっ!!」


 そこまでで十分だった。


 王太子エドワード殿下の言葉は、最後まで届かない。

 白い手袋越しに、硬い顎の感触が残る。


 殿下の身体が、赤絨毯へ崩れ落ちた。


 完全に失神している。


 口は半開き。

 金の髪は乱れ。

 つい先ほどまで王族の威をまとっていた男は、情けないほど静かになっていた。


 その口から、続きの言葉が出ることはない。


 夜会場が凍りつく。


 誰も動けない。

 誰も理解できない。


 断罪されるはずの令嬢が。

 泣いて許しを乞うはずの悪役令嬢が。


 王太子の婚約破棄宣言を、拳で止めた。


 私は乱れた白い手袋を整え、扇を開いた。


「発動条件その一、阻止」


 怒りではない。

 復讐でもない。


 怒りなら、最初の頃に使い果たした。

 悲しみも、期待も、とうに乾いた。


 謝っても死んだ。

 証拠を出しても死んだ。

 逃げても死んだ。

 王妃陛下に縋っても、聖女の嘘を暴いても、最後には必ず死んだ。


 100回試して、100回死んだ。


 そして100回目に、ようやく理解した。


 婚約破棄の宣言を最後まで言わせると、私の破滅は確定する。


 だから101回目。


 私は、聞かないことにした。


「申し訳ございません、殿下」


 私は扇の陰で、浅く息を整える。


「その台詞は100回聞いて、100回死にましたので」


 夜会場の沈黙が、ようやく悲鳴へ変わり始めた。


「で、殿下!?」


「誰か、医師を!」


「アリシア嬢が、王太子殿下を……!」


 遅い。


 何もかもが遅い。


 この会場の人間は、断罪される令嬢が泣くことを知っている。

 震えることを知っている。

 許しを乞うことを知っている。


 だから、拳が届くとは思わない。


 だから、最初の一手だけは通る。


 もっとも、この身体に正面から人を止める力はない。

 押してはいけない。

 受けてはいけない。

 競ってはいけない。


 ただ、言葉が完成する前に、口を止める。


 それだけでいい。


「アリシア様……!」


 震えた声がした。


 聖女リリス・ベル。


 薄桃色の髪。

 潤んだ瞳。

 誰もが守りたくなるように計算された、か細い声。


 見慣れた顔だ。


 あまりにも、見慣れた顔だ。


「なんて恐ろしいことを……。私、怖いです、と続けるおつもりでしょう」


 リリスの唇が止まった。


 私は扇を少し下げる。


「七十三回聞きました」


「な……」


「その後、左手首を押さえます。香水を隠すために」


 リリスの左手が、ぴくりと揺れた。


 ほんのわずかな動きだった。

 けれど、私は見逃さない。


 あの香りで、何度も負けた。

 意識を曇らされ、証言を変えられ、時には毒まで運ばれた。


 だから今回は、まだ触れない。


 第1手は、殿下の宣言を止めること。

 第2手は、リリスの演技を止めること。


 順番を間違えると、死ぬ。


「アリシア様、何を……」


「次は涙ですか」


 私が言うと、リリスの瞳が揺れた。


「それとも、震えますか。どちらでも構いません。どちらも見ましたので」


 会場のざわめきが大きくなる。


 貴族たちの視線が、私とリリスを往復した。


 今までは、ここで全員がリリスを見る。

 そして、彼女の涙に傾く。


 けれど今回は、少し違う。


 リリスが泣く前に、泣く予定を口にした。


 たったそれだけで、会場は迷う。


 迷いは、使える。


「貴様……!」


 倒れたエドワード殿下ではない。

 側近の一人が叫んだ。


 右から二人。

 左から一人。

 背後に一人。


 見慣れた配置だ。


 弁明した時は、右の騎士に腕を取られた。

 証拠を出した時は、左の騎士に書類を奪われた。

 逃げようとした時は、背後の騎士に扉を塞がれた。


 この会場で、誰がどの順番で動くかは知っている。


 けれど今回は、彼らも一拍遅れた。


 当然だ。


 婚約破棄を告げるはずの王太子が、告げる前に倒れたのだから。


「アリシア・ヴァルトハイム」


 玉座の横から、低い声が落ちた。


 王妃マーガレット陛下だった。


 会場の空気が、そこで変わる。


 マーガレット王妃。

 エドワード殿下の母。

 この王国で、数少ない、本当に場を止められる人。


 100回の中で、ただ一度も私を笑わなかった人。


 私は膝を折った。


 この姿勢も、今は必要だ。


 殿下を殴った直後に礼を失えば、ただの乱心に見える。

 だが、王妃陛下へ礼を取れば、会場は一瞬だけ判断を止める。


「王妃陛下」


「今の行いを、説明できますか」


「はい」


 私は顔を上げた。


 エドワード殿下は、まだ赤絨毯の上で失神している。

 リリスは左手首を押さえかけたまま固まっている。

 騎士たちは、王妃陛下の言葉を待っている。


 この数秒は、買えた。


 101回目にして、初めて買えた時間だ。


「王太子殿下の婚約破棄宣言を、最後まで言わせるわけにはまいりませんでした」


「なぜです」


「最後まで言わせると、私が死ぬからです」


 会場が、また静まった。


 当然だ。

 今の言葉だけでは、誰にも意味が分からない。


 それでも構わない。


 全てを見せる必要はない。

 これは始まりにすぎない。

 101回目の、最初の三分だ。


「死ぬ、ですって……?」


 王妃陛下の声が、ほんの少しだけ低くなる。


「はい」


 私は短く答えた。


「100回、確認しました」


 その瞬間、リリスの表情がわずかに崩れた。


 騎士ではない。

 貴族でもない。

 王妃陛下でもない。


 リリスだけが、ほんの一瞬、違う反応をした。


「アリシア様……。何をおっしゃっているのか、私には……」


「分からない、でしょうか」


 私はリリスを見る。


「では、分からないままで結構です」


 リリスが息を呑む。


「今回は、言わせません」


 失神していたエドワード殿下が、赤絨毯の上で小さくうめいた。


 周囲の騎士たちが一斉に動きかける。

 医師を呼ぶ声。

 誰かがリリスを庇う声。

 私を取り押さえろという怒号。


 私は扇を閉じた。


 まだ終わっていない。


 発動条件その一は止めた。

 しかし、儀式には必ず代替手順がある。


 殿下が言えなければ、別の誰かが続きを言う。

 私が逃げれば、証人が用意される。

 王妃陛下が動けば、教会が割り込む。


 だから、次はリリスだ。


 彼女が何を言うか。

 どこで泣くか。

 誰の前で膝をつくか。


 七十三回聞いた声を、私は忘れていない。




 ◇




 王城地下。


 誰も立ち入らない石造りの祭壇で、黒い燭台の火が揺れていた。


 祭壇の中央には、薄く光る円陣が刻まれている。

 その縁に並んだ古い文字は、半分ほどまで赤く染まっていた。


 そこに立つ老いた聖職者が、眉をひそめる。


 大司教ウルリッヒ。


 王国の祝福を司る男は、手元の銀杯を見下ろした。


 杯の中の水面は、静かなままだった。


 起きるはずの波紋がない。

 満ちるはずの赤がない。

 鳴るはずの鐘が、沈黙している。


「……なぜだ」


 大司教の声が、地下祭壇に落ちた。


「なぜ断罪契約が起動していない……?」

お読みいただきありがとうございます。

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