凪の心
数日後。
お嬢様の連絡通り、王都から公爵家の馬車が何台もやってきて、本邸へと入っていった。
私たちが関わることはないだろうと、特に気に留めるつもりもなかったのだが――
「……」
「……」
……それなのに今、次期公爵家当主であるキリアン様が、こちらの屋敷に来て、お嬢様と向かい合ってお茶をしている。
もちろん、ただの挨拶ではないのだろうが、肝心の本題に入る気配もなく、互いに無言のまま茶を啜っており、なんだかものすごく気まずい空気が流れていた。
まあ、それもそのはず。お嬢様とキリアン様は義理の兄妹といっても関係で、顔を合わせたのも今回でまだ二度目。
初めて会った三年前には、軽く言い合いになっていた。
玉の輿を狙っているカリーナが、キリアン様とお近づきになりたいと、今日の給仕を買って出たのだが、この空気ではアプローチどころではないだろう。
そして私は扉の外で気配を消し、中の様子を窺っている。
ちなみにアリサはというと、先ほど「義兄と妹」という関係を勝手に妄想して、血の涙を流して倒れたので置いてきた。
やがて、紅茶を飲み干したお嬢様がカップを置きようやく、口を開いた。
「それで、わざわざこちらに来て、何の用かしら? お兄様?」
そう呼ばれると、キリアン様は不愉快そうに眉を顰めた。
「知っての通り、今日から本邸に越してきたのだが……引っ越しに手間取っていてな。使用人の到着が遅れている。屋敷の掃除のために、そちらのメイドを何人か、数日貸してほしい」
「こちらには、何人かしかいないのだけれど?」
「……なら、全員貸してほしい」
「嫌よ。私の世話を誰がするの?」
「数日くらい我慢できるだろう。」
「どうして私が、あなたの都合で我慢しなきゃならないのよ?」
「元々その者達も、うちのメイドだったはずだが?」
「残念。うちの子たちは、お母様が以前解雇したから、今は私が個人で雇っているの」
そう言って、お嬢様はわずかに口元を吊り上げた。キリアン様の表情が、あからさまに曇る。
「……少しは成長しているかと思ったが、相変わらずだな。で、何が望みだ?」
「もちろん、貸すというなら対価はいただくわ。あの子たちの給料一ヶ月分ほどをね。」
そう言って、お嬢様が傍にいたカリーナへ視線を向けると察したカリーナは、すぐに紙とペンを差し出した。
お嬢様はさらりと金額を書き込み、それをキリアン様へ渡す。
それを見た瞬間、キリアン様の眉間に深いしわが刻まれた。
「……こんなにか?うちの使用人の三倍はあるぞ」
「ええ。うちのメイドは、他と比べて三倍の価値があるもの。私はあの子たちの実力に見合った給金を払っているの。」
「そんな金、どこから出している?」
「それは、あなたが知る必要はないわ」
キリアン様は露骨に疑いの目を向けながらも、しばらく考えた末、渋々といった様子で頷いた。
そして翌日。
私とカリーナは、お嬢様の傍にアリサを残し、本邸の掃除へと向かった。
本来、使っていない屋敷でも、いつでも使えるように最低限の使用人は残しておくものだけれど、公爵家は、王都へ移ってから完全に放置していたらしく、屋敷は二年もの間手入れされていなかったせいで、あちこちが埃まみれになっていた。
現在、この屋敷にいる使用人は、キリアン様と共に来たメイドが三人に、庭師と執事。
ただし、そのメイドのうち一人は、キリアン様専属らしく掃除には参加していない。
つまり、屋敷の掃除は、実質四人で回している状態だった。
私たちは三日間かけて屋敷中を掃除を行った。
幸い、執事や他のメイドたちも皆いい人ばかりだったこともあり、特に大きな問題が起きることもなく
作業を終えた。
そして現在私たちは、最終確認をしながら屋敷を見て回っていた。
「はあ……」
するとその途中で、カリーナが深いため息をつく。
「せっかくキリアン様とお近づきになれるかと思ってたのに。まさか顔を合わせることもなく終わるなんてね……」
カリーナがぼやく。
……まあ、無理もない。
彼女のお目当てであるキリアン様は仕事に没頭しているらしく、この三日間、ほとんど自室から出てこなかったのだから。
「まあ、そんなにうまくはいかないわよ。」
「あーあ……アリサに、キリアン様とのシナリオでも書いてもらおうかしら?」
その提案に私は思わず苦笑いを浮かべる。
アリサ本人は悲壮な妄想のつもりらしいけど、その内容はカリーナや冒険者の女性陣の間では、なぜか恋愛物語として評判がいいらしい。
「ハッ……何を言い出すかと思えば。あなた達のような下級貴族が、キリアン様とお近づきになれるわけないでしょう?」
すると私たちの会話を聞いていたメイドが、鼻で笑った。
見覚えのない顔だ。おそらく、彼女がキリアン様の専属メイドだろう。
……ただ、こういうやり取り、前にもあったような気がする。
そのメイドを見て、カリーナが顔を顰めた。
「あなた……ミリエラ?」
「知り合い?」
「サチアの妹よ」
ああ、あのサチアか。
確かエリスの専属メイドで、以前お嬢様に叩きのめされていた人だ。
カリーナは昔からサチアと面識があったらしいし、その妹なら顔見知りでもおかしくない。
「キリアン様は次期公爵になられる方よ?あなたたちのような下級貴族が、気軽に近づいていい相手じゃないの。わかったら、身の程を弁えてさっさとあの犬小屋に帰りなさい。」
「なんですって!」
ミリエラの挑発に、カリーナが食ってかかろうとするのを、私は手で制した。
「カリーナ、凪の心です。」
「は?ナギ?」
「ええ。私たちはあのリリスお嬢様のメイド。こんな安い挑発に乗ってはいけないわ。多少のことは、水面の揺らぎのように受け流し、常に心に余裕を――」
「ああ、そういえばあなたたちのお嬢様のこと、貴族界でも有名よ?平民の血が混ざった出来損ないで、容姿も性格も最低。魔力もロクにない、公爵家のお荷物で無能なゴミ令嬢ってね。まさにあなた達にお似合――」
――バチッコーン!
と乾いた音が響く。
気がつけば、ミリエラの頬に私の拳がめり込んでいた。
「お嬢様の悪口は、私が許さない!」
「凪の心はどうしたのよ⁉」




