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妹に婚約者も屋敷も奪われましたが、亡き王妃の帳簿には私の名前しかありませんでした 〜追放された公爵令嬢が王宮の裏金を暴いたら、冷徹宰相閣下に「国ごと君を守る」と言われています〜  作者: 終焉を綴る堕天筆聖セラフィム・夜叉王院常闇寛龍


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第34話 王妃基金改革案の最初の一行

社交界から集まった証言は、午前のうちに三つの山になった。


 一つは、亡き王妃エレオノーラが直接関わっていた頃の慈善茶会に関する資料。


 もう一つは、王太子府主導になってからの茶会、交流会、広報行事に関する資料。


 そして最後の一つは、その違いに気づきながらも、これまで誰にも言えなかった貴族夫人たちの手紙だった。


 机の上に並んだ紙は、ただの過去ではなかった。


 どれも、小さな違和感の記録だった。


『以前は、茶会の冒頭で支援先の近況が必ず読み上げられていた』


『セレスティア様が進行を担当されていた頃は、菓子に使われた地方産品の産地と購入理由が説明されていた』


『王太子府主導になってから、見た目は華やかになったが、支援先の名が会話に出ることは減った』


『リリアナ様は明るく可愛らしかったが、質問すると事務方へ確認するとだけ答えられた』


『若い貴族たちは楽しんでいたが、寄付や継続支援の話に移る前に演奏と舞踏へ流れてしまった』


 セレスティアは、一枚ずつ目を通した。


 どの証言も、誰かを断罪するほど強いものではない。


 けれど、積み重なると形が見える。


 慈善茶会は、少しずつ変わっていた。


 支援の場から、社交の場へ。


 声の小さき者のための基金から、王太子府の華やかさを見せる舞台へ。


 最初は小さな変化だったのだろう。


 花が少し増える。

 菓子の見栄えがよくなる。

 説明札が短くなる。

 支援先の近況報告が省かれる。

 地方産品が「珍しい菓子」として紹介される。


 誰も一度に壊したわけではない。


 だからこそ、誰も止めなかった。


 セレスティアは、ローゼン侯爵夫人から預かった古い案内状を広げた。


 そこには、亡き王妃の頃の文面が残っている。


『本茶会では、北方三州の越冬支援に関する報告と、同地の保存果実および蜂蜜を用いた菓子を供する。購入費は適正価格にて支払い、現地産業支援の一助とする』


 地味な文だ。


 華やかではない。


 けれど、何のための茶会なのかが一目で分かる。


 次に、王太子府主導の茶会案内状を見る。


『春の交流茶会にて、王都では珍しい北方菓子と香茶を楽しみながら、若き貴族諸氏の親交を深める』


 美しい。


 読みやすい。


 だが、支援の目的が消えている。


 北方菓子は珍味になり、越冬支援は消え、現地産業の話も消えた。


 セレスティアは、二枚の案内状を並べた。


 同じ茶会に見える。


 だが、まったく違う。


「これです」


 彼女が言うと、ローレン副監が顔を上げた。


「何か見えましたか」


「王妃基金が変質した理由です」


 セレスティアは、二枚の案内状を示した。


「不正な支出や署名の問題はもちろん重要です。けれど、それ以前に、茶会の目的が言葉から消えています」


 ローレン副監が案内状を読み比べる。


「確かに、古い方は支援目的と産品購入の意味が明確ですね。王太子府の方は、社交行事に見えます」


「はい」


 セレスティアは頷いた。


「目的が文面から消えれば、支出の判断も緩みます。何のための菓子なのか、何のための花なのか、誰のための招待なのか。それが曖昧になる」


 記録官ミリアが、急いで筆を取った。


 セレスティアは続ける。


「王妃基金の支出が歪んだのは、帳簿だけの問題ではありません。言葉の問題でもあります。基金の目的を、行事の場で毎回確認する仕組みが失われていました」


 カインが静かにこちらを見る。


「改革案に入れろ」


「はい」


 セレスティアは白紙を一枚取り出した。


 表題を書く。


『王妃基金および慈善茶会運営改革案・骨子』


 その文字を書いた瞬間、胸の奥に小さな重みが落ちた。


 追及ではない。


 調査でもない。


 改革案。


 いま自分は、壊れたものを記録するだけではなく、直すための紙を書こうとしている。


 最初の項目に、こう書いた。


『一、すべての王妃基金関連行事は、案内状および冒頭挨拶において、支援目的、支援対象、該当支出の基金上の位置づけを明記すること』


 書いてから、少しだけ息を吐く。


 硬い。


 だが、必要だ。


 ミリアが覗き込み、そっと言った。


「とてもセレスティア様らしい一文です」


「硬すぎますか」


「少し。でも、安心します」


 その言い方に、セレスティアは少しだけ笑った。


「では、後で読みやすくします」


 カインが短く言う。


「骨子は硬くていい」


「はい」


 次の項目。


『二、地方産品を用いる場合は、単なる饗応品として扱わず、購入先、購入価格、支援意義を記録し、茶会資料に付すこと』


 ローレン副監が頷いた。


「適正価格を入れたのは重要です。支援を名目に高値購入して差額を抜く例もありますから」


「はい。今回の蜂蜜と保存果実の件で、そこが曖昧でした」


 次。


『三、慈善茶会費、王太子府社交費、広報費、外交儀礼費を明確に区分し、複数目的を持つ行事では支出比率と承認者を記録すること』


 これは会計寄りだ。


 ローレン副監が、すぐに補足する。


「承認者だけでなく、確認者も分けた方がよいですね。承認者が支出を認め、確認者が目的に合うかを見る」


「そうですね」


 セレスティアは書き足した。


『承認者と目的確認者を同一人物に集中させない』


 書いた瞬間、自分でも少し手が止まった。


 かつては、自分に集中していた。


 だから便利に使われた。


 自分が有能だったからではなく、制度として危うかった。


 もし制度が整っていれば、自分の名前が切り取られても、略式印が作られても、どこかで止まったかもしれない。


「これは、私自身への反省でもあります」


 思わず言うと、カインが低く答えた。


「制度の不備を、全部自分の反省にするな」


「はい」


「ただし、制度に落とし込めるなら意味がある」


「分かりました」


 セレスティアは、次の項目を書く。


『四、王妃基金関連文書における略式確認印、代理確認印、署名欄切り貼りを禁じる。本人の署名または正式委任記録のない確認は無効とする』


 これには、部屋の誰もがすぐに頷いた。


 この項目は、この監査の中心にある。


 切り取られた署名欄。

 セ確認済の印。

 確認扱い。


 それらを、制度として止める。


『五、王太子妃候補、妃候補代理、慈善茶会担当者に対して、王妃基金規程、会計区分、支援先聞き取り、地方産品支援の基礎講習を義務づけること』


 書きながら、セレスティアはリリアナを思い出した。


 王妃基金規程に付箋を貼り、分からないところを書き出している妹。


 彼女だけのためではない。


 今後、誰かが同じように明るい看板として立たされないための項目だった。


 ミリアが小さく言う。


「リリアナ様のような方にも、必要ですね」


「はい」


 セレスティアは答えた。


「そして、かつての私にも必要でした」


「セレスティア様にも?」


「はい。私は実務を覚えましたが、断る方法は学んでいませんでした」


 部屋が少し静かになった。


 セレスティアは、ペン先を見つめる。


「責任を背負うことと、すべてを引き受けることは違います。その線引きを、候補者にも教えるべきです」


 カインが短く言った。


「入れろ」


 セレスティアは頷き、書き加えた。


『担当者教育には、職責範囲、拒否権、確認保留の手順を含めること』


 この一文を書いたとき、胸の奥が少し熱くなった。


 拒否権。


 昔の自分が聞いたら、驚いただろう。


 王太子妃候補に拒否権などあるのか、と。


 だが、あるべきだった。


 分からないものに署名しない権利。

 確認していないものを確認済みにされない権利。

 自分抜きで自分の役割を決められない権利。


 それは我儘ではない。


 制度を守るための権利だ。


 昼過ぎ、ローゼン侯爵夫人から追加の資料が届いた。


 それは、亡き王妃が生前に書いた慈善茶会運営に関する覚書の写しだった。


 紙は少し黄ばんでいる。


 文字は凛としていた。


『慈善茶会は、貴族の善意を見せる場ではない。貴族の耳を、普段届かぬ声へ向けるための場である』


 セレスティアは、その一文を読んで、しばらく動けなかった。


 王妃らしい言葉だった。


 優しいだけではない。


 きっぱりしている。


 貴族の善意を見せる場ではない。


 社交界が忘れていたことだ。


 王太子府も忘れていた。


 公爵家も。


 リリアナも。


 そして、セレスティア自身も、ときどき忘れそうになっていたかもしれない。


 茶会を失敗させないこと。

 王太子府の面目を守ること。

 父に叱られないこと。

 ジュリアスが恥をかかないこと。


 そういうものに追われるうちに、本来の目的を見失いかける瞬間があった。


 王妃は、それを知っていたのだろう。


 だから覚書に残した。


 セレスティアは、改革案の冒頭に新しい項目を加えた。


『基本理念:王妃基金および慈善茶会は、貴族の善意を飾るためではなく、普段届かぬ声を聞き、必要な支援へ結びつけるためにある』


 カインがそれを読み、少しだけ目を細めた。


「いい」


「王妃陛下の覚書からです」


「なら、なおいい」


 ローレン副監も頷く。


「理念があると、会計区分の意味も通りやすいですね」


「はい」


 セレスティアは、改革案の全体を見た。


 まだ骨子だ。


 穴もある。

 実務的には詰めるべき点が多い。


 だが、最初の形はできた。


 追及から、改革へ。


 紙の上に、一歩進んだ。


 午後には、リリアナから質問票の続きが届いた。


 今回は、前よりも分厚い。


 封筒を開けると、王妃基金規程の各条文に対する疑問と、彼女なりの理解が書かれていた。


 間違いは多い。


 だが、以前より明らかに考えている。


『地方産品を使うことは、その場で消費するだけでなく、継続購入につなげるための紹介でもある、という理解でよいでしょうか』


『貴族の寄付を集める場合、誰がいくら出したかを見せびらかすのではなく、支援先の必要額と使途を示す方がよいのでしょうか』


『私はこれまで、茶会を成功させるとは、皆様が楽しかったと言うことだと思っていました。でも、支援先に次の支援がつながらなければ成功ではないのでしょうか』


 セレスティアは、その最後の問いを読んで、しばらく手を止めた。


 良い問いだった。


 リリアナが、自分でそこに辿り着いた。


 セレスティアは、青いインクで返答を書く。


『その理解は重要です。茶会には、参加者が不快にならない工夫も必要ですが、楽しさだけでは成功とは言えません。支援先の声が届き、次の支援や購買、制度改善につながることが目的です』


 書いてから、改革案の五番目の項目を見た。


 候補者教育。


 そこに、リリアナの問いを反映できる。


 セレスティアは別紙にメモした。


『教育項目:慈善茶会の成功指標。参加者満足だけでなく、支援継続、購買実績、証言収集、制度改善提案を含む』


 リリアナの学びが、改革案へ入っていく。


 そのことに、セレスティアは不思議な感覚を覚えた。


 妹の失敗は、確かに多くの人を傷つけた。


 だが、その妹が今、自分の疑問を通して制度の穴を見つけている。


 人は、間違えた後に何をするかで、少しだけ変われるのかもしれない。


 セレスティアは、まだリリアナを許したわけではない。


 けれど、彼女の問いを使うことはできる。


 それは甘やかしではなく、前へ進めるための実務だった。


 夕方、改革案の骨子は第一稿としてまとめられた。


 表紙には、まだ仮題が入っている。


『王妃基金関連行事および慈善茶会運営改革案・第一稿』


 作成者欄に、セレスティアは一瞬迷った。


 以前なら、自分の名を出すことに躊躇しただろう。


 王太子府のため。

 公爵家のため。

 王妃基金のため。


 自分の名前は、どこかに小さく置くか、置かなくてもよいと思っていた。


 だが今は違う。


 この案は、自分が確認し、作ったものだ。


 だから名前を書く。


 セレスティア・エルフォード。


 ゆっくり、丁寧に署名した。


 切り取られるためではない。


 略式印にされるためでもない。


 自分の意思として、この紙に置くために。


 カインがそれを見る。


「いい署名だ」


 セレスティアは少しだけ目を瞬かせた。


「署名に良し悪しがありますか」


「ある」


「どういうところが」


「逃げていない」


 短い言葉だった。


 それだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。


「ありがとうございます」


 カインは改革案を手に取り、全体を読み返した。


「まだ粗い」


「はい」


「だが、骨はある」


「はい」


「明日、王宮会計室と法務局にも回す。ローゼン夫人にも意見を求める」


「承知しました」


「リリアナ嬢の質問も一部反映したか」


「はい。茶会の成功指標の部分に」


「いい」


 カインは頷いた。


「失敗した者の問いを、制度に入れるのは悪くない」


 セレスティアは、その言葉を静かに受け取った。


 そうだ。


 失敗した者の問いだからこそ、見える穴がある。


 完璧な人間だけで制度を作れば、分からない人のつまずきが見えない。


 かつての自分は、分からない人に苛立つことがあった。


 でも今は、少しだけ違う。


 分からないなら、どこで分からなくなるのかを制度に反映する。


 それが改革なのだと、思い始めていた。


 その夜、リリアナはセレスティアから返ってきた質問票を読んでいた。


 青いインクの文字は、相変わらず厳しい。


『ここは誤解です』

『この支出は王妃基金ではなく社交費に近いです』

『適正価格の確認が抜けています』

『支援先の声を聞く手順を書いてください』


 容赦がない。


 だが、最後にこう書かれていた。


『この問いは、改革案の教育項目に使います』


 リリアナは、その一文を何度も読んだ。


 自分の問いが、改革案に使われる。


 自分の失敗から出てきた問いが。


 胸が熱くなった。


 許されたわけではない。


 けれど、役に立つことがあるのかもしれない。


 泣いて謝るだけではなく、考えたことが何かにつながるかもしれない。


 リリアナは、机に向かい直した。


 王妃基金規程の次の頁を開く。


 難しい。


 やはり難しい。


 でも、もう閉じなかった。


 王太子府では、ジュリアスが改革案第一稿の写しを受け取っていた。


 まだ正式決定前の参考送付だったが、表紙には作成者の名前がある。


 セレスティア・エルフォード。


 彼は、その署名を見つめた。


 整った字。


 何度も見た字。


 だが、以前とは違って見えた。


 王太子府の裏方として置かれた名前ではない。


 本人の意思として置かれた名前だ。


 ジュリアスは、改革案を読み進めた。


 支援目的の明記。

 地方産品購入の記録。

 会計区分の明確化。

 略式確認印の禁止。

 候補者教育。

 拒否権と確認保留の手順。


 最後の項目で、彼の手が止まった。


 拒否権。


 王太子妃候補に、拒否権。


 以前なら、過剰だと思っただろう。


 だが今は、それがなかったからこうなったのだと分かる。


 セレスティアは、拒めなかった。

 リリアナは、知らなかった。

 自分は、見なかった。


 制度が、その弱さを許していた。


 ジュリアスは、ゆっくり息を吐いた。


「……よくできている」


 小さな声だった。


 侍従長は、何も言わなかった。


 宰相府の夜。


 セレスティアは、改革案第一稿の控えを机に置いた。


 今日は、いつもの覚書とは別に、少し長い文章を書いた。


『王妃基金の茶会は、貴族の善意を飾る場ではない。声の小さき者へ耳を向けるための場である』


 王妃の言葉を、自分の手で写す。


 その下に、自分の言葉を書く。


『私は、私の名前を取り戻すだけでなく、この基金の意味も取り戻したい』


 少し迷って、さらに一行。


『追及だけでは終わらせない』


 ペンを置く。


 引き出しを開ける。


 今日の覚書を重ねる。


 紙の束は厚い。


 だが、今日の一枚は少し違う。


 痛みだけではない。


 未来に向けた紙だった。


 扉の外から、カインの声がした。


「寝ろ」


「はい」


「改革案は明日から揉まれるぞ」


「覚悟しています」


「かなり直される」


「それも覚悟しています」


「折れるな」


 セレスティアは、少しだけ笑った。


「折れません。直すのは得意です」


「だろうな」


 短いやり取りのあと、彼女は灯りを落とした。


 明日から、この改革案は多くの人の目に触れる。


 批判されるだろう。

 直されるだろう。

 政治的な調整も入るだろう。


 それでも、最初の一行は書いた。


 王妃基金を、華やかな飾りから本来の場所へ戻すための一行を。


 セレスティアは、自分の署名を思い出した。


 今度の署名は、切り取られない。


 略されない。


 自分の意思で置いた名前だ。

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