第六十三話 兄妹の喧嘩
イリスを救う手段を模索するのに2ヶ月。
準備に2週間を掛け、旅に出て3週間は経過した。
此処までに過ごした全ての時間を足すと約3ヶ月ちょいを過ごしていることになる。
更に実質的にイリスの魂が、水晶に封じ込められてウセル共和国へ来るのに1週間。
都合、4ヶ月は既に過ぎ去ってしまった。
無為に過ごしたとは言わないが、余りのも早く過ぎ去る日々。
俺の中で言い知れぬ焦りが募っている。
アリスから1年の猶予とは聞かされている。
だが、今だに何も成果も出せない日々が過ぎていくと、塵の如く焦りが蓄積する。
結果を求め、現に手掛かりを探して迷宮を踏破している。
それなのに、今までに1つとしてアーティファクトや新しい魔法を手に入れられていない。
俺の推測が正しいかを確認する機会もなく、ただ迷宮に挑むのみ。
我武者羅に進むべきなのだろうが、この探索の旅が本当に正しいのかと、何度も疑問が沸き出てきて俺を苛める。
だから、焦っているのは承知で『渓竜の谷』への目的地変更を告げてしまった。
結果さえ1つでも出れば、この焦りからも解放されると・・・
俺は、自身の焦りに負けてセフィリアに意見を求めた。
すると、俺の言葉を聴き終えて、セフィリアは諭すように話し出した。
「お兄、セシリーはお兄に付いていく。それしか出来ないし、難しいことはセシリー解んないから。でも焦りすぎている事はない?結果が1つも出ない事に苛立ってない?後半年以上はまだ猶予があるわ。お兄・・・本当にそれで良いの?お兄が本気で可能性を考慮してそう決めたのなら、セシリーは絶対にお兄に従うよ?そうじゃないなら・・・セシリーはこのまま進むことが良いと思う・・・」
セフィリアの回答は、俺の心を的確に突いて来た。
思わず動揺する俺・・・
俺の焦りを見透かされたようで、項垂れてセフィリアを見返すことしか出来無かった。
セフィリアはそんな俺の心を解ってか、今だに俺の目を見て視線を外そうとしない。
此処まで真剣に、物事を冷静に見詰め判断するセフィリアを俺は見たことが無い。
何時もならセフィリアが焦り、俺が嗜めると言うのに立場が逆転してしまっている。
子供の頃から見続けた所為だろうか、俺はセフィリアを子供扱いしすぎていたのかもしれない。
思わぬセフィリアの成長に、俺はつい笑顔になり、心の焦りが和らぐ気がした。
「そう・・・だな。正直焦っているのかもしれない。認めるよセシリー。セシリーは随分と強くなったな・・・兄として誇らしく思うよ」
セフィリアの言葉を噛み締め、素直に俺は認めることにした。
そうすることで、俺も冷静に物事を考える猶予が出来ると思ったのだ。
だから結果の出ない苛立ちに、一人焦って苦しんでしまっていた。
自分が良いと思う希望に、逃避するべく思考が流されていたのだろう。
セフィリアの予想外の台詞に、俺は自分の甘さを再認識する。
そして反省した俺は、自分と言う存在が如何に身勝手だったかを痛感する。
俺はセフィリアを素直に認め何時ものような明るい返事を期待していたのだ。
ずっと俺は俺のことばかり考えていて、セフィリアの様子に気が付かず、何も見えていなかったと気付く。
セフィリアの笑顔を予想していた俺は、不意打ちを食らいたじろぐ事になる。
この後の元気な笑顔を期待していた俺に対して、セフィリアは途端に暗い顔になりその表情から笑顔を無くしたのだ。
思わず目を見張る俺。
何時もと違う反応に、気後れして言葉が出なかった。
そこから更にセフィリアは、力無く項垂れ、視線すらも外して搾り出すように声を出す。
そんな微妙な雰囲気が漂い始める中、掛けられたセフィリアの言葉に、俺は兄として失格の烙印を押されたような気持ちになる。
「そんな・・・誇れるような・・・事で今お兄に言ったんじゃないよ・・・ちょっと、自分でも・・・何か吃驚しちゃった・・・エヘ・・・」
もちろん何故そんな事を言い出すのか理解できない。
だから構えて褒めた事を解ってもらおうと詰め寄る。
「ん?俺は本当に素直に感嘆したんだが・・・どうしたセシリー?」
「・・・いや・・・お兄には・・・お兄には言えない・・・言いたくない・・・」
「何でだ?セシリーは正しい事を言った。それなのに何故それを良く思わないんだ?」
「だって・・・私は・・・私は・・・悪い事を考えたの・・・」
「ん?」
「私はそんなに良い子じゃない!!・・・こんな・・・こんな思いを持つ私を、お兄もお姉に知って欲しくない!!」
「な!?どうしたセシリー!」
「・・・・・・・っ!!!」
叫んだかと思うと、その目に涙を一杯に溜め、泣き始めるセフィリア。
兄妹喧嘩は初めてじゃない。
でも、こんな意味不明な喧嘩は、今までに無かった。
褒めた事が伝わらなかったのかと舌打ちし、セフィリアの意味不明な言動にも苛立った。
兎に角、セフィリアの誤解を解き、早く話し合わなければ時間が勿体無い。
俺は再度問い詰めようと、セフィリアに話しかけようとする・・・が。
突然にセフィリアは立ち上がり、逃げ出してしまった。
流石に外には向かわなかったが、調理場のある小天幕へと走り出したのだ!
「おい!セフィリア!!!」
俺の制止も無視して、セフィリアは小天幕に駆け込み引き篭もってしまう。
直ぐに追いかけようとする俺。
そんな俺をを、今まで静観していたヴィオラが止めて来た。
「ラルスさん!!待って!!」
「止めないでくれ!!俺はセフィリアを・・・」
「だからこそ待ってください!!」
ヴィオラが語気を荒くして止めてくるので、俺は暫し立ち往生する。
早く追いかけたい反面、ヴィオラの意図が気になり、どうしようか悩む。
すると、ヴィオラさんが気遣う様に俺に向って話し出す。
「ラルスさん、少しお話しましょうか?」
さっきまで愚痴ったりはしゃいだりしていた時とは打って変わって落ち着いて、優しく語り掛けてくるヴィオラ。
その雰囲気に誘われ、俺はその場に座り、話を聞く事にした。
「何でしょう、ヴィオラさん?」
「そうですね、私も差し出がましいとは思うのですが・・・2人と出会って・・・その、貴方達を見ていると、どうしても弟や妹のことを思い出してしまいましてね」
「はぁい?それが何か??」
唐突にヴィオラの弟妹の話が振られる。
「ええっと?ヴィオラさんには下に御弟妹がおられるのですね・・・それは今話すことなんでしょうか?」
「ええ、もちろん関係ないとは思いますが、兄妹というのは仲良くもあり剣呑でもあり。身近でありながらも遠い存在でもある。それでも家族であるが故に愛情も育まれる存在であると私は思っています。ただ、貴方達のような微妙な関係ではないですがね♪」
微妙って何?
俺達は普通の兄妹とは違うのか?
前世でも俺には妹がいた。
セフィリアに比べるともう少し大人だった妹だが、今生と同様に結構俺に懐いていたと思う。
妹ってこういうもんじゃないのか?
微妙な関係と言われる謂れがわからない。
「コホン・・・まあ、その私もその・・・弟妹が居る見ですから、つい貴方達の事を心配してしまうのです」
「そ・・・其れはありがとう御座います」
ああ、そうか・・・
弟妹が居る故に、俺達にその姿を重ねてくれたのか。
「ええ、まあ・・・コホン♪っで本題ですが・・・貴方はセシリーの事をどう思っていますか?」
ん?何か唐突な質問だな。
「そりゃあ可愛いと思っていますし、大切な妹ですよ」
「まあ、普通の回答ね・・・」
「ええ?何か可笑しいですか?」
ハァー
っと一息大きな溜息をついて、ヴィオラさんは俺に居住いを正して話し出す。
「セシリーが貴方を男性として好意を寄せている事を知っていますよね。お風呂でセシリーからそれとなく聞いているので私も知っているんですよ」
「あ・・・ええ、其れは本人から何となく・・・」
「あの子はね、貴方の事が大好きなのよ。大好き過ぎて本当にどうしようもない程にね」
其れは俺も気付いている。
鈍感な振りもしていないし、蔑ろにしている訳でもない。
ただ・・・イリスとの事があるから兄妹愛を貫いているだけなのだ。
そう思い込んでいたから、今のセフィリアの行動を理解出来無かった。
だがもし兄弟としてではなく、1人の女性としてみた場合は……
「気付いたようね・・・貴方が想像した通りだと思いますよ」
「・・・・」
「一応、私も思ったことを貴方に伝えておきます。其れを聞いてから、セシリーの所に行ってあげて下さい」
俺はヴィオラの言葉に耳を傾ける。
「セシリーは嫉妬してしまったんですよ。そしてその嫉妬が高じて、つい・・・その・・・言いにくいけどお姉さんかしら?彼女が疎ましく思っちゃったのね・・・」
そうだ、イリスの復活にばかり囚われ、生活の基本をイリス復活に置き過ぎた。
セフィリアも其れで良いと思っていると、勝手に俺が思い込んでいたのだ。
只でさえ姉がいない状況になったのだから、セフィリアも寂しくない訳がない。
それに輪を掛けて、俺からの愛情すらも薄く感じ始めていたのかもしれないと思うと、セフィリアの気持ちも理解できてくる。
「私は深い事情は知らないわ。寧ろ知らないからこそ冷静に見れたのかもね。セシリーはお姉さんの帰還が無ければ貴方を独占できるかもしれないと思ってしまった。だからついお姉さんを助けに行く行動を遅らせても良いと、貴方に言ってしまった・・・」
そう、冷静なんかじゃない。
セフィリアも焦り、苦しみ、悩んでいたのだ。
「セシリーは、自分でも自覚していなかったその感情に振り回され、つい言ってしまった言葉に自分を憎悪してしまったのよ・・・」
「そうでしょうね・・・」
「そう、解ったようね・・・だったら、貴方がする行動は?」
「ええ、なんとなく・・・」
「さっきとは全く違った行動を取れるなら良しとしましょう♪」
「はい」
「じゃあ、早く行ってあげてね」
「ええ、ありがとう御座いました。お陰で何が大切で如何すべきか考え直せました」
「うん、よろしい♪私のお節介は此処まで。後は兄妹なんだから何とかしてね♪」
「はい!」
俺の返事を聞き、笑顔でセフィリの元へ促すヴィオラ。
俺は立ち上がり、頭を下げてセフィリアの所に向った。
調理場にしている小天幕に入ると、部屋の奥で体育座りになって啜り泣くセフィリアを見付ける。
ゆっくりと俺はセフィリアに向って歩を進め、刺激しないよう気を付ける。
セフィリアが頑なになって逃げてしまわないように。
ゆっくりと近付く俺の気配にセフィリアは気が付き、ビクッと小さく肩を震わせる。
そんな仕草が懐かしく思えて、より冷静になる俺。
つい笑いが出そうなのを堪えて、セフィリアの側に行き静かに横に一緒に座る。
「あのさ・・・セシリー・・・」
「・・・グス」
「その・・・悪かったな・・・俺はどうしようもない兄貴だ。セシリーの気持ちを解っていながら其の事に胡坐を掻いていた。すまない・・・」
「・・・いいよ・・・それはセシリーも解ったうえだもん・・・」
「・・・セシリー・・・これからは無理に我慢することなく何時ものセフィリアになってくれ。イリス姉が居ないからって変に何かも我慢する事はない。だから、まずは甘えてくれるか?いや甘えて欲しいっと・・・思うが」
「ん・・・グスグス・・・う・・・嬉しいけど・・・セシリーは悪い子なんだから甘えちゃいけないもん・・・」
「そっか、悪い子か・・・う~~~~っむ、其れは俺もそうだからお互い様じゃないかな?」
「お兄も・・・悪い子?」
なんかセフィリアが幼児に戻っているような?
最近のセフィリアは成長が早すぎて、つい12歳という事を忘れてしまいがちだ。
考えてみれば、こういった緊迫した状況で良い子ぶる事は相当ストレスを溜め込んでしまうように思う。
物分りの良い人間になる事はいいが、無理して良い子ぶれば自分を見失う可能性がある。
ちょっとした切欠で被っていた良い子の仮面なんてすぐに剥がれてしまうだろう。
鬱積したストレスが爆発して、その反動でセフィリアが幼児帰りするのも頷ける。
「ああ、俺も悪い子さ・・・お姉を助けられない不甲斐ない男だし、セシリーを寂しがらせるし、自分の望みしか考えていない。周りの迷惑を最近は顧てないしな・・・」
「でも、それは仕方ないんじゃ・・・」
「仕方ない・・・けど、それはセフィリアも同じだろう?だからお互い様さ。セシリーが何を考えたかは訊かない。でも自分を責めなくても良いよ・・・だから、そんなセシリーを嫌いになんてならないよ。むしろ大好きになったさ」
「・・・ほ・・・本当!?」
泣いていたからだろう、真っ赤に目を晴らした顔をしている。
見上げるように上目使いで俺を縋るように覗き込むセフィリア。
その顔は、奴隷時代に見た覚えのある顔だった。
イリス姉と俺が、牢屋を出て労働に出かけた初めての日。
俺達がいない寂しさに、ずっと泣いて牢屋で待っていたらしかった。
労働から帰って来ると、1人で寂しく待っていたセフィリアは、今目の前と同じ顔をしていたのだ。
「ああ、本当さ。だから・・・そうだな、ほれこうしたら良いと思うよ?」
「・・・え?」
俺はセフィリアを強引に膝枕へと誘う。
あの日もこうして、セフィリアを宥めたものだ。
「ほら、昔っから泣いた時はこうしていただろう?」
「・・・うん♪」
俺は膝に抱えたセフィリアの頭を優しく撫でる。
「ごめんね、お兄。セシリーも、もうちょっと素直になるよ。だからこれからは甘えても良い?我慢出来なくなったら膝枕してくれる?」
「ああ、そうしよう」
こうしてセフィリアとの兄妹喧嘩は収まり、その後ヴィオラを交えて本題を話す事が出来る様になる。
翌朝、目的地への変更を再度話し合えたのだ。
昨日と違い、俺も焦らず冷静に話せたし、セフィリアも本音をぶつけてくれた。
話し合う俺達の会話の随所で、ヴィオラはヴィオラで、的確に地理や迷宮の情報を挟んでくれる。
本来なら直ぐにでも出立したい気持ちから、何時もはそそくさと行動するのだが、今は綿密に計画を立てられている。
この喧嘩、結果的に良かったのかもしれない。
焦りは相変わらずある、でもそれに惑わされることは無くなった。
時間一杯掛かっても、俺は目的を確実に叶える事が出来そうだ。
話し合うセフィリアとヴィオラの顔を見て、自然と笑顔が漏れる俺だった。




