外伝 月子と豊の物語 その⑩
昨夜、月子は全く眠れなかった。
「一年ぶりに会うのに、目の下が….」
クマが出来ていた。
月子は豊からプレゼントされた万年筆を使い、週に一度、もしくは三日と空けずに手紙を書き続けたが、実は今年の"進級をしたことを伝える手紙"以降書くのをやめた。
豊からの返事はほぼなく、あの後、月子本人には嘘の誕生日の日にバースデーカードが届いたのと、暑中お見舞い、クリスマスカード、年賀状などは月窓一家宛だった。
仕事に忙殺されていることを思えば、これでも良しとしなければならないことは頭では分かっている。
月子は今日と言う日を心待ちにしていたが、もし豊の気持ちが変わっていて、月子からの手紙が豊を追い詰めてはいるのでは?と言う気持ちが捨て切れなくなっていたからだ。
「さあ、いつもと同じ朝にしないと」
この一年、両親もかなり心配をしているのが分かった。
豊の申し出を、誕生日を偽ったことは大目に見ても一年間も待ち続けた月子の気持ちを慮ってのことだ。
今日、もし豊が約束の時間に約束の場所に来なかったら?と思うと、月子を思いやり月窓はモヤモヤとし、春子は胃がキリキリと痛む思いだった。
そして午後十二時四十五分。
「ちょっと早いけど私出かけるね」
五月とはいえ日差しが強い。
月子はお気に入りの薄手の白の半袖のワンピースに身を包み、紺色のカーディガンを羽織った。
小さなショルダーバッグにハンカチとティシュケース、お財布に、学生証、メモ帳と……大事に大事に使っている万年筆をいれて、出かける。
「あ、日傘も持って行こう」
去年のあのベンチは西陽が強かったのを思い出した。
ゆっくり歩く月子。
約束の場所はすぐそこなのに、とても遠く感じる。
ベンチには背広を脱ぎ、ワイシャツ姿の男性が座っている。
自然と足が速くなる月子。
気がつくと走り出していた。
「先生!!」
その声に驚いた様に振り向いた男性は、にっこり笑いながら、こう言った。
「あれ?また先生に戻っちゃったんですか?こんにちは、月子さん。一年もお待たせして、すみません」
「先生……いえ、豊さん!こちらこそお待たせしました。来て下さったんですね!」
「豊さんか……それ照れますね。まあ、ちょっと話したいことがあるので、ここに座って下さい」
豊はハンカチをベンチに広げた。
「ハンカチに?豊さんの?座れません!そんなこと出来ないです」
「でも、あなたのその素敵なワンピースが汚れたら大変ですからね」
「だったら自分のハンカチを出しますから」
「いえ、月子さん、これはお願いです」
「……はい、分かりました。では、遠慮なく失礼します」
『佐野さん、ひとつ目は出来ました!』
豊は密かに拳に力を入れた。
どうやら佐野から、女性の扱いについて指南を受けたらしい。
月子は少し頬を赤らめたまま俯き、日傘を閉じるとベンチに立てかけ、両手を膝の上に置いた。
その時、豊が前を向いたまま徐に話し始める。
「単刀直入に伺いますが、四月以降お便りが途絶えたのはどなたかと、お付き合いを始められたと言うことでしょうか?」
「え!!いえ、そんな、まさか違います!」
「では……僕は筆不精なので返事が書けくて見放されたんでしょうか?」
「あの……私の差し上げる手紙が豊さんに重荷になってしまっているのかと思って、お出しできなかったんです」
「え?」
「私の気持ちは変わらなくても、豊さんの方がもしかしたら……と考えてしまいました」
「変わる訳ないじゃないですか!自分から言い出したことですよ!……武士に二言はない、です!」
「あらやだ……武士ですか?」
「はい!では月子さんはお変わりないと言うことですね?」
「もちろんです!私は豊さんが大好きです」
そこで、ようやく二人はお互いの顔を見て笑い合った。
「月子さん、これから僕はとても大事なお話をさせて頂きます。よくよく考えてから、お返事をして下さい。もちろん、今日すぐじゃなくていいですから……」
と豊が言うか言わないかのうちに、月子が返答をした。
「はい!考えました!喜んでお受け致します」
「まだ何も言ってませんが……」
「だって早くしないと豊さん、またお仕事に戻られるんでしょ?」
「あ、いえ。今日は半休取ってきました….けど、質問も聞かないで答えを書いて間違いだったら、どうするんですか?」
「私は間違えません!だって豊さんは最高の先生ですから!」
「本当にいいんですね?」
「はい、本当に大丈夫です。私が卒業したらですよね?」
「さすが、僕の優秀な生徒だ。よく分かってる」
実は月子は何を言われても豊の言う通りにするつもりだったのだ。
この後、二人は揃って月子の自宅に向かい、月窓夫妻に豊が今までの疎遠を謝罪した後、月子が大学を卒業した暁には結婚をさせて欲しい旨を申し入れた。
「そうかそうか!豊!有難う。本当の親子になれるとはな!俺は嬉しいぞ」
月窓は男泣き。
つられて春子も
「あなた、おめでたいことなのに」
と言いながら嬉し泣きをした。
翌年、春。
月子と豊は月子の卒業を待って入籍と身内だけでの神前結婚式を挙げた。
この少し前のとある日。
官舎の新居になるはずの部屋の真新しいダイニングテーブルで婚姻届を書いている二人。
一人娘の月子の姓を名乗ることになった豊。
豊が急に驚いた様に声を上げた。
「わぁ!」
「どうしたの?ユウちゃん」
「つ、月ちゃん!誕生日が違う!」
「あ、ごめんなさい」
「十二月?!」
真面目な豊は少し青ざめて震えている。
「だって、一年半なんて待てそうになかったんだもん」
「だからって結婚が早くなる訳でもないのにさ」
「ユウちゃんが他の誰かに取られたら、どうするの!!?」
「そんなに心配だったの?こんな僕なんかを」
月子は豊の隣の椅子から豊の赤くなったその頬を、両手でも包み込む様に触れると
「だって、ユウちゃんは私の初恋の人だもん」
豊の頭の中に、"あの時"の月子真っ直ぐな瞳が思い出された。
「僕も実は、月ちゃんが初恋の人なんだ」
「本当に?」
月子は手を離すとちょっと疑わしげな顔で笑った。
豊はそんな月子を抱き寄せると髪を撫でて、そのおでこにキスをした。
この後、月子は豊の全面協力の元に調理師を目指して勉強に励むことになり、後に念願の料理教室を始動させることが出来る未来が待っていた。
そして可愛いけど生真面目すぎる女の子の両親となる未来も♪
またそれは別の話。
La Fin
超特急で仕上げた、月子と豊の物語。
いかがでしたか?
100分の2の青写真では描ききれなかった二人の関係が、「ほうほう、そうであったか」と思われる部分もあったのでは?
豊にベタ惚れだったはずの月子は、本当は照れ屋さんで、豊は真面目すぎの頑固な一面もありました。
面白かったよ!と思って頂ければ幸いでございます。
優月菜




