再会
トーマスの切実な懸念と、徐々にエスカレートしていく港での諍いを見て、静が一刀に指示を出した。
「一刀、止めてきなさいよ!」
松本も、得意の喧嘩で鬱憤を晴らそうと、血気盛んに名乗りを上げた。
「俺も行く!」
しかし、睡蓮は冷静な判断を下した。これ以上のトラブルは、彼らの任務を危険に晒すことになる。
「止めるんだ、君が行くと話がややこしくなる。それだけは御免だ」
睡蓮の言葉は、松本の野蛮な性格と、異人たちとの接触が更なる問題を引き起こす可能性を指摘していた。
「ちぇっ」
松本は、不満げに舌打ちをしたが、睡蓮の戦略的な判断に従い、一刀が単身で仲裁に乗り出すこととなった。
丸太を振り上げる港の男たちと細身の異人の喧嘩は、異様な様相を呈していた。
最初こそ勢いよく振り回されていた丸太だったが、男の驚異的な回避能力と、どこか人を食ったような態度に、男たちの集中力は急速に削がれていった。
やがて、男たちが振り回す丸太は、まるで「蠅のとまるような速度」にまで失速していった。
汗だくになり、息を切らした男たちは、丸太を振るうことさえできなくなり、何もされていないのに、次々とふらふらになって地面に倒れ込んでいった。
異人の男は、全く息が上がっている様子もなく、屈強な男たちを見下ろして、挑発的な言葉を浴びせた。
「ヘーイ、もうオシマイデスカ。私はまだ元気です! カモーン!」
地面に倒れた港の男たちは、視線だけは血走っているものの、身体は完全に力尽き、言うことをきかなかった。彼らは、明確な攻撃を受けていないにもかかわらず、完全に打ち負かされていた。
一刀は、丸太を振り下ろす暇もなく、港の男たちが力尽きるのを見て、仲裁の機会を逃したことを悟った。
「仲裁の暇もなかったな」
彼は、無傷で立つ異人の男へと近づき、感嘆の言葉を口にした。
「トーマスさんのお知り合いですね。それにしても見事な身のこなし」
異人の男は、一刀を警戒した様子で見た。彼は、日本人とは思えない髪と目の色をしていたが、口から出たのは、流暢でなまりのない言葉だった。
「お前は?」
その自然な言葉遣いは、彼が日本に長く滞在しているか、あるいは極めて高い語学力を持っていることを示唆していた。
「失礼、とある事情でトーマスさんのところに厄介になっている一刀と言います。トーマスさんはあちらに」
一刀は、穏やかな態度で自己紹介を済ませると、少し離れた場所で様子を見ているトーマスを指差した。
「イットウ?」
男は、一刀という響きを復唱しながら、彼の指差す方向を見た。そこには、安堵の表情を浮かべ、手を振るトーマスの姿があった。
男は、一刀という響きを復唱しながら、彼の指差す方向を見た。そこには、安堵の表情を浮かべ、手を振るトーマスの姿があった。
トーマスの迎えの男は、警戒を解いた様子で自己紹介をした。
「アポロ・ゴールドだ。アポロと呼んでくれ」
彼はそう言うと、一刀に向かって右手を差し出した。これは西洋の挨拶である「握手」を求めている仕草だった。
日本刀を握ることに慣れている一刀は、異文化のこの習慣を知らず、差し出された手を前に戸惑った表情を見せた。
一刀の戸惑いを見たアポロは、面白がったように笑うと、自分から一刀の手首に近い部分を掴んだ。
アポロは、一刀の右手を強めに、そして勢いよく、「ブンブン」と数回振った。
「ハハッ、驚かせてすまない。よろしく、イットウ」
この強引で陽気な挨拶によって、一刀とアポロ・ゴールドの奇妙な出会いが成立した。アポロは、優れた身体能力を持つだけでなく、人懐っこさと厚かましさを兼ね備えた人物のようだった。
一刀とアポロの奇妙な握手の後、トーマスが急いで駆け寄り、アポロとの再会を果たした。
トーマスは、アポロの無事を確認すると、安堵と共に苦々しい表情を浮かべた。
一刀は、静たちをアポロに紹介した。アポロは、静を見て少し面白そうに目を細めた。
その後、トーマスとアポロは、周囲の日本人には理解できない速度で、英語(あるいは彼らの母国語)で短い会話を交わした。
「 また、やらかしてないでしょうね、アポロ?」
「トンデモねえ。迷惑料を受け取ったにすぎねえよ。」
アポロは悪びれる様子もなく、先ほどの喧嘩が彼にとって利益のある行為だったかのように言い放った。
トーマスは、アポロの図太さに心底呆れてため息をついた。一刀たちは、彼らの会話の内容こそ理解できなかったが、二人の間で、アポロがトラブルメーカーであることが明らかになった。
静は、二人の様子を見て不審に思い、トーマスに尋ねた。
「どうしました?」
トーマスは、静の問いに慌てて平静を取り戻した。
「いえ、何でもありません。用事済んだ。さっさと帰りましょう」
トーマスは、これ以上アポロが港で騒動を起こす前に、一刻も早く異人館へ戻ることを望んでいるようだった。
一刀たちがアポロとトーマスを連れて港を去った後も、力尽きて地面にへばり込んでいた港の男たちは、ようやく立ち上がる力を取り戻し始めていた。
彼らが腰を上げ、身動きを点検したとき、致命的な事態に気づいた。
「おい、財布がない……!」
「嘘だろ!俺のもだ!どこだ!?」
喧嘩で一方的に打ち負かされた上に、懐から財布が消えていることに気づき、男たちの顔は蒼白になった。
思い当たるのは、あの異人、アポロ・ゴールドしかいなかった。彼は、喧嘩中に一度も触れていないにもかかわらず、彼らの持ち物を全て抜き取っていたのだ。アポロが言っていた「迷惑料」とは、彼らの財布のことだった。
男たちの怒りは頂点に達したが、神戸には厳しいルールがあった。
港の男のリーダー格が、屈辱に耐えながら、ある人物に助けを求めた。
「先生! お願いします。俺たちじゃ相手にならねえし、なんせここで商売している俺たちじゃ、異人館のものには手出しができない。なんとか財布を返して貰っておくんなさい!」
彼が「先生」と呼んだ人物は、港の影に潜み、眠りこけていた。彼らが異人館の住人に手を出せないのは、港と異人館の間にある、暗黙の了解とも言える強固な壁だった。
静かに現れたその人物は、まだ年若いが、落ち着いた声で了承した。
「いいですよ。僕が行ってきます」
そして、その「先生」と呼ばれた人物の正体に、男たちは安堵し、そして刀司たちの運命は再び絡み合うことになった。
その人物は、行方不明となっていた――時雨だった。




