彼女
「なあ昴流、何でフューマン見学に正装なんだ?」
「そのうち解るよ」
翌日、大君は昴流に伴われて販促会場まで足を運んだ。そこはまるでパーティ会場でもあるかのように着飾った人やフューマンで賑わっていた。
「もしかして、そう言うことか?」
「そうだよ、驚いた?」
「驚いた。しかしまた、なんでこんな形式なんだ?」
「フューマンは殆どの人が一生に一度の買い物だからね。特別な出会いを演出するのも悪くないだろ? 演出の種類も色々とあるけど、今回はフューマンがより華やかに見えるここにしてみたんだ。取り合えず話しかけてみて、感じの良さそうな子を選ぶと良いよ」
「話しかけ……ちょ、待てって。父さんしがない公務員だったんだぞ? パーティなんて縁が無かったし、そう言うの苦手なんだよ」
「ここまで来て何怖気づいてるのさ。気合い入れて! 不慣れな父さん、ゆくぞ!」
「く、解ったよ」
「大丈夫。ドレスの見える位置にタグがついているのがフューマン、つまりは商品だから一目で解るし、基本的にお客様に失礼なことはしないよ。例え話しかける時に緊張でガチガチになっていても、ドモっていても、話題が途切れたってずっと優しく対応してくれる。臭くたって不細工だってチビハゲデブだってね。人間の女とは違うよ」
「俺そんなに酷いかな」
「ただの例えだよ。気に入った子がいたら、あそこのカウンターに連れて行ってね。もちろん遠めにタグを見て番号を伝えるだけでも良いんだけど、折角だし、直接話をして性格を確認してみた方が良いよ」
「解った」
「さて、じゃあ僕は遠くから見せて貰おうか、我が社のフューマンの性能とやらを」
「待て待て、俺一人で行くのか」
「頑張ってよ、応援してるから。ほら、飲み物持って。勝利の栄光を父さんに!」
「お、おう。行ってくる」
一歩踏み出せばそこは大君が経験したことのない華やかな世界だった。やや動きの硬くなった大君が周りを見渡しながら歩いているうちに、やがて一人の女性とぶつかった。そして大君の持つグラスから跳ねた飲み物がその女性のドレスにかかった。
「あ、すみません。大丈夫でしたか?」
「あ、いえ。こちらこそ不注意で」
「とんでもない、お召し物を汚してしまって」
そんなことを言っている間に早速昴流が飛んで駆け寄ってくる。
「お客様申し訳ございません。お怪我はありませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「直ぐに代わりのお召し物を準備いたします。もちろんお客様のお召し物のクリーニングもお任せください……すみません、そこのスタッフの方」
「はい、ただいま……えっ? 会長、えっ?」
「ああ、僕のことは良いから、こちらのお客様を一番に」
その後も昴流は必要な指示を的確に発し、最後に周囲に一礼して鮮やかに場を治めた。
「改めて凄いな、昴流は。スタッフが全員ビビッてたし。なんかこう、改めて父さんとは格が違うなって言う感じがしたよ」
「そんなことないよ。それに、やっちゃった……ゴメン父さん、僕がここにいるとスタッフがみんな固くなっちゃうから暫く外すよ。父さん一人で大丈夫かい?」
「すまん昴流。大丈夫、今ので緊張は完全にどっか行ってしまった」
「それなら良かった。じゃあ僕は近くで暇潰してるからゆっくり見てきてね」
と踵を返しかけたところで昴流は止まった。
「あれ、父さんもシャツに染みがついてるじゃないか。仕方ない着替えよう」
そうして大君もスタッフに導かれるように着替えを済ませ、再び会場を回ることになった。しかし緊張こそ消えたもののその足取りは重く、やがて会場の中心からは少しずつ離れて自然と窓際まで移動してしまっていた。そしてそこで一人の女性に目が留まった。
「あ、貴女は先程の……」
「あ、先程は失礼いたしました」
「いいえ。完全にこちらの不注意でした。俺、こう言うの慣れてなくて」
「うふふ、私もです」
「気付いたら端っこまで来ちゃって、なんかもう中心まで辿り着けそうにありません」
「うふふ、同じですね。私も同じ事を考えていました。なんかもう、美味しそうなものを摘んで帰ろうかな、って思ったりして。でも食いしん坊だと思われたくないし」
「じゃあせめて、俺が美味しそうなものを取って来ますよ、お詫びのしるしに」
「ホントですか? ……じゃあ実は、あの辺りのスイーツが気になってまして……」
「はい、喜んで」
大君が背を見せるとそこで「あっ」と女性の声が漏れるのが聞こえた。
「どうされました?」
「あ、いえ何でもありません。親切な方だなーって思って」
「大したことはしていませんよ」
大君は女性が指し示した辺りのスイーツをいくつか見繕って持ち帰った。その際、窓の外を見る女性の肩の後ろ、髪で隠れる見難い位置にタグが付いているのが見えた。
「こんな感じで如何でしょうか?」
「あ、これです! 凄く気になってて!」
「どうぞどうぞ」
「ありがとうございます。んー! おいしー!」
「幸せそうな顔をしてますね」
「それはもう。今日来た甲斐があったと言うものです」
「おやおや、本当の目的をお忘れでは?」
そこで二人は顔を見合わせて笑った。
「私、和上明日葉って言います。今年からフッフで働いています」
「これはご丁寧に。俺、いや私は喜屋武大君と申します。ええと、つい最近こちらに来たばかりです」
和上は小さく口元を隠して笑った。
「俺、で良いですよ」
「今更畏まってみてもダメですよね」
「気にしていないから大丈夫ですよ。それより変わった自己紹介ですね。最近って、いつ頃のお話なんですか?」
「ええと……三日前ですね」
「本当に最近じゃないですか。何処から来られたのですか?」
「ええと……すみません。実は、土地勘が全く無くて」
「あ、良いんですよ。変なこと聞いてすみません。ちょっと興味があって意地悪に聞いてみただけですから」
「え、興味? 意地悪?」
「いいえ、こちらの話です。それより大君さん、お歳はお幾つなんですか?」
「38歳になりますね」
「わ、渋い。良いかも」
「いやいや、あまりオジサンをからかわないで下さいよ」
「私、年の差全然気にしませんよ? 私は23歳ですけど、大君さん全然ありです。と言うより、大君さん、私の初恋の人に似ていて何だか他人とは思えなくて」
「何だこのベタ展開」
「えっ? 何て言いました?」
「いやいや、こちらのことで」
またしても二人で、今度は少し気味の悪い笑みを浮かべた。
「俺、和上さんのこと興味あります。もっと教えていただけますか?」
「私も大君さんのこと興味あります。良かったら、お互いのことお話しませんか?」
二人は自然と意気投合し会話は盛り上がった。
「和上さん。よろしければ、あちらのカウンターまで一緒について来てくれませんか?」
「えっ!?」
和上は飛び上がるように驚いていたが、やがて満面の笑みを浮かべた。
「どうしよう。私から言おうと思っていたのに、そうな風に言って貰えるなんて思ってもいなかったから本当に驚いてしまいました……でも、嬉しい。私でよろしければ、是非」
「ありがとう。じゃあ、行きましょう」
大君は和上の手を引いて昴流に言われたカウンターまで向かった。
「すみません。パートナーを決めましたので伺いました」
「ありがとうございます。お相手の方は、こちらの方でお間違いないですか?」
「はい」
「では、確認いたしますので少々お待ちください」
スタッフの返答を待って大君は和上の方へ振り返った。
「どうしたの? 怪訝そうな顔をして。もしかして考え変わった?」
「え? いいえ。考えは変わりません。私も大君さんが優しそうで良いなーと思ってましたから。……でも、普通こう言うのって、私の方に確認するんじゃないのかなって思って」
「それって、どういう意味?」
「いや、私としては大君さんにリードして貰えて、ちょっとキュンって来ちゃったんですよ? でも、購入に関する確認は普通、お客さんの方にしますよね?」
「ん? どういうこと?」
「え? 違うんですか?」
「ん?」
「え?」
暫く二人で思考停止した。
「あの、お客様方、大変申し訳ございません……」
そこへスタッフが恐る恐る声をかけた。
「誠に恐れ入りますが、お客様方がお互いにお選びになったお相手は、それぞれ本当の人間のお客様でございました」
「「ええぇっ!?」」
会場に二人の声が響いた。
「だって、三日前に来て土地勘が無いって、フューマンだからこそですよね?」
「本当のことなんですけど、それには深い訳があって……和上さんこそ、今年からフッフで働くって、そう言う意味じゃなかったんですか?」
「それは本当にフッフに雇用されているんです」
「え、だってでも」
二人で顔を見合わせてスタッフに迫った。
「「タグ付いてますよ?」」
「はいい……恐らくはお召し物を変えさせていただいた時の手違いで……」
「「マジかぁ~」」
「ブッ! ……わぁ~はっはっは!」
二人の叫びと共に吹き出す様に笑い声を挙げたのは近くまで戻って来ていた昴流だった。
「何これ、フューマンを選びに来てどうしてこんなことになっちゃってんのさ? やっぱり父さんは凄いな、やることが一味違う!」
「いやいやいやいや、笑い事じゃないよ。どう収拾つけるのさ。俺は別に良いよ、でも和上さんにこんな恥かかせちゃってさ。本当に何から何まで申し訳ない」
「ええ? 収拾って言ってもさ、解ってる? 二人とも今お互いを選んだよね? じゃあ普通に付き合ってみれば良いんじゃないの。それで解決じゃん」
「いやいや俺は嬉しいよ? こんな若くて綺麗な子が彼女になってくれればさ。でもさ、和上さんが俺を選んでくれたのは俺をそう言うフューマンだと思ってくれてたからだろ?」
「ええ? そうなの?」
興が削がれたように向けられる視線から逃れるように和上は大君の後ろに回ってその袖を引いた。
「違います」
「え?」
「だから、違います。私も良いなって思います。大君さんのこと、付き合ってみても」
「マジ!?」
その瞬間周囲から沸く歓声。
「お客様、大変おめでとうございます! 当店始まって以来の、人間のお客様同士のカップル誕生でございます!」
戸惑いつつも、その場から逃げるように大君は和上の手を引いた。
「本当にいいの? こんな何処の誰かも解らない俺で」
「大丈夫です。それに、喜屋武昴流さんのご親族の方、ですよね? それじゃあ最早何処の誰かも解らなくないです」
「でもオジサンだよ?」
「でも、ビビッ! って運命を感じました」
「それ、失敗するヤツだよ。あのね、正直に言うけど、俺バツイチで子供いるよ?」
「えっ? 幾つくらいのお子さんなんですか?」
「うん、まあ普通はまだ小さな子供だと思うよね。……解った。信じるかは解らないけど、全部正直に話す」
そうして大君は全てを打ち明けた。
「と、言う訳で、正直、俺は俺自身を貴女にお勧めしない」
「解りました。でも、私、今の話を聞いてもっと好きになれそうって思いました」
「何処でだよ! 聞いてた? 実は年金受給者のお爺ちゃんよ俺。昴流のような超富豪とは切り離して考えてもらわないといけないよ? 和上さん、若い。メリット、無い」
「優しそう……だったから」
「そんなんじゃ駄目だよ。男が女に優しそうに振舞うなんて当たり前のことだろ」
「そんなことないですっ!」
「うお、どうしたの急に」
「大君さん、今度は私のお話も聞いてくれますか?」
「お、おう。解った。こんなとこに来るくらいだから何かあったんだよね?」
「はい……実は私、男性が凄く苦手なんです。上手く話せなくて」
「でも今俺と話せてるじゃん。ああそっか、男性扱いにならないから?」
「違います。最初はフューマンかと思っていたから、です。その、大君さんがスイーツを取りに行かれる時、タグが見えてしまって」
「あの時か。そうかそれで」
「はい。実は私、昔お付き合いしていた方のお父さんにとても酷いことを言われてしまって。結局、無理やり引き離されてしまったんですけど、その時のことが忘れられなくて」
「それは酷いね」
「もうその人の顔も覚えてないんですけど、その冷たい背中だけは私の頭からどうしても消えてくれないんです」
「そっか。可哀想に」
「私、家が裕福じゃないから。男性とお付き合いするにも少し遠慮しなくちゃいけなくて」
「そんなことねぇだろ、何それフザけんな」
「でも、私はそう言われました。きっと、大君さんの時代は今より少しは良かったんでしょうね。今はフューマンがどんどん社会に入ってきて、構造が変わって、格差がどんどん大きくなって。教えて欲しいです、資本主義ってカースト制度のことなんですか?」
「そんなことない、はずだよ」
「私悔しくて、一生懸命勉強しました。一流になってやろうって必死に。その結果、こうやって憧れのフッフに入社できて、これまでの世界が一瞬にして変わって。知ってますか? 普通の人って、まだまだフューマンなんか買えないんですよ? それが、信用の問題もあるんでしょうけど、入社したての私でも頑張れば手の届くところまで一気に登り詰めてしまって……だからもうマイホームなんか要らない、男性なんか必要ない。……優しいフューマンが隣にいてくれればそれでいいや、って、そう思って」
「頑張ったじゃん。すげえじゃん。フッフって超一流なんだろ? 十分見返してやったはずだよ。だからさ、もう気張ることないんじゃない? 少し気を楽にしたらさ、きっと回りに良い男いっぱいいるよ? 今からでも全然幸せになれるからね?」
「……でも、駄目だったんです」
「どうして?」
「そんなことがあったからでしょうか?男性を見るといつもその背中を思い出してしまって、全員表には見せない裏の顔、いいえ背中があるんだって思ってしまって。気付くと、どの男性の背中からも冷たい言葉が聞こえてくるような気がして……」
大君はかける言葉が見つからなかった。
「でもさっき、初めてそうじゃない男性に出会えました。それが、大君さんです」
「でもそれは君が俺をフューマンだと思ってたからで」
「でも今も。背中の冷たい声が聞こえないのは大君さんだけです」
和上は正面から大君を見つめて続けた。
「改めてお願いします。どうか私と、お付き合いしてください」
「……俺のこと、ちゃんと説明したよね?」
「はい、信じます。でもその上で、私は大君さんのことをもっと知りたいです」
大君は少し間を置いてから深く首を縦に振った。
「解りました。俺もいつまでも息子に頼っていられないし、変わった世界のことも何も知らないし。和上さんさえ良ければ、一緒に、歩んでくれますか?」
「はい、喜んで」
そうして二人は正式に交際へと発展した。