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第3章 失われた顧客名簿 2

 翌朝には珊瑚さんごも問題なく起きてきて、豪華な朝食に目を見張った。


 美食には慣れているはずの彼女をもってしても、伊勢海老の味噌汁にはびっくりしたらしい。出汁をとった残りの海老の頭部が、長いひげを残したまんま入っているのを見て、すくったおたまを静止させていたが。


 シキにはよくわからなかったが、授業のレベルはなかなかのものだと珊瑚は請け合った。


 人数が少ないため、学年ごとのクラスわけにはなっておらず、中等部生は中等部生で、高等部生は高等部生で大きくふたつに分けられており、同じひとつの教室の中で自分の進度に見合った授業を受ける。

授業の映像を個別のモニターで見ながら、問題があればその都度監督の先生に申告するという、衛星授業のやり方を導入しており、生徒はヘッドセットで授業を聞くため、学校の授業というよりは個別指導の塾のような雰囲気だった。


 シキがそれを言うと、「そうなの?」と珊瑚が返してくる。生まれてこのかた、彼女は学校に通ったことがないため、よくわからないのだそうだ。


 生徒はみな上品で、シキや珊瑚と目が合うと、微笑して会釈をしてくれる。


 取り囲んで質問攻めにされることもないかわり、特に親しい生徒ができるわけでもない。だから、ここへ来て数日たったある日、寧々にお茶に誘われた時、珊瑚はさして迷うこともなくそれを受けた。


「どうかしら、この学園には慣れた?」


 おかげさまで、と珊瑚は笑みを浮かべた。


「それよりも、最初の日は、とんだ恥ずかしいところをお見せして」


 いいのよ、と寧々は気安く笑って濃い目に入れたミルクティを口に運んだ。


 つられて珊瑚もカップとソーサーを手に取る。寮の備品とは思えないほど、上等なカップだった。お茶は、正統派に限りなく近い英国式アフタヌーンティの様式。

 カップは敢えてお揃いではなく、ひとりひとり違う色柄のものだった。珊瑚の前にあるのは濃薔薇色と金彩が施されたロイヤルアラベスク模様。


 誰が選んだのだろう、いい趣味だわ、と思いながら珊瑚はチョコレートをひとつ摘まむ。菓子は他にもさっくりと焼きあがった割れ目も鮮やかなスコーンに、白黒のチェッカークッキー、小ぶりなキュウリのサンドイッチに、ナッツ入りのショートブレッドなどがあり、艶々のエクレアは一口か二口で食べきれるサイズだった。


 ナプキンで指先をぬぐい、お茶を一口いただいてから、珊瑚は改めて一同を眺めた。


 場所は寮の談話室からつながっている、海が正面に見えるテラスの一角だ。


 円形のテーブルについているのは、寧々を含めて高等部生の女の子が三人と、それに見覚えのない少年がひとりで、珊瑚もいれて五人というメンバーだった。


 寧々に誘われた時、シキも呼ぼうとして一度部屋に戻ったのだが、姿がなかった。授業が終わってから一度部屋に戻ってきた形跡はあったのだけど、しばらく待っていても帰ってくる気配がなかったから仕方なく珊瑚だけ参加したのだ。


「お茶はお口に合うかしら?」

「お菓子、もっとどうぞ」

「アサヒコ、あなたそんなにお砂糖を入れてよく平気ね」

「おいしいですよ?」


 少女たちは、日頃の礼儀正しいよそよそしさを二段階ほど緩和させて、珊瑚にも同席の少年にも愛想よく話しかける。


 いったい誰なのかしら、と珊瑚は初対面の彼を観察する。


 座っているので正確にはわからないけれど、そう大柄でないのはわかる。女子と並んで座っても違和感のない華奢な骨格は、もともとのものなのか、それとも成長途上だからなのか。くせのない黒髪はあくまで上品な感じに整えられて、さらさらと額にかかっている。


 男子の制服は、白い半そでシャツに細い色ネクタイ、それに女子と同じ素材の黒のパンツだ。少年のネクタイが臙脂色なので中等部の生徒なのだとわかる。


「それにしても、ほんとに、物怖じしない子ね」

「えー、してますよ」

「嘘おっしゃい」

「ほんとですってば。美しいお姉さま方に囲まれて、緊張しっぱなしです」

「アサヒコ、あなたよくまあそれだけ口が回るものだと感心してよ」


(アサヒコ……まさか、朝彦?)


 彼女たちが呼ぶ彼の名前に漢字が当て嵌まった瞬間、珊瑚はがたっと椅子を鳴らして立ち上がっていた。


「東郷、朝彦?」


 少女たちが会話をやめて珊瑚を見上げる。

 その合間で、少年はにこにこと笑っていた。


「やだなあ、ここでは下の名前で呼ぶのが決まりですよ、珊瑚」

「勝手に呼び捨てやめてちょうだいっ」

「では、珊瑚さん」


 悪びれることなく言う少年に、珊瑚は目に力を込めたままでじっと彼の顔から目をそらさない。


「よろしく、はじめまして。朝彦です」


 これに珊瑚は返さなかった。


 非礼と思われようと、この際どうでもいい、という気分だった。怒りと憤りで、テーブルについた手が震えそうになるのを意思の力で抑え込んで珊瑚は低い声を出す。


「どうしてあなたがここにいるの」

「えっと、お茶に招待されたので」


 ふてぶてしいまでのとぼけっぷりに、珊瑚はきつく唇を引き結ぶと静かに座り直す。


 少女たちは、はじめ黙ってふたりのやり取りを眺めていたが、途中からは何事もなかったようにお茶会を続行させていた。


 気味が悪いわ、と珊瑚は思う。


 こうしたやり取りに慣れているのか、それとも他人のトラブルには心から無関係なのか。そのどちらでもおかしくない気がしたし、どちらとも取れる気がした。


「ねえ、お茶のお代わりは?」

「頂戴するわ」

「お菓子も召し上がって」

「ええ、どれもとてもおいしくて」

「それはよかった」


 それでも、動揺を見せたら見せたぶんだけ弱さと脆さをさらけ出すだけだということは理解できる。


『多少はかりごとの匂いはするし、和やかなところとも言い切れないけど』

 シキが言った言葉が耳によみがえる。


 結構。と珊瑚は背筋を伸ばして姿勢よく座り直した。

 ええ結構だわ。そちらが、そうくるのなら。


 おや、というようにそれを見た寧々が眉をあげる。珊瑚が少女たちと歓談するのを、朝彦は向かいの席でじっと見つめていた。


 にこやかにおしゃべりに興じながら、珊瑚はその視線を跳ね返す。


 彼から話しかけられれば短く的確に返事をするけれど、決してそれ以上話を続けさせず、視線を合わせるのも最小限にとどめた。それでいて、少女たちとは愛想よく談笑する。手作りだというクッキーを褒め、ゆるやかに巻いた髪型を褒め、白を基調とした制服の手入れを教わり、強い日差しによる日焼けの心配に共感する。


「嬉しいわ、珊瑚さんがたくさんお話してくれて」

「あら、こちらこそ」

「あんまりおしゃべりしたら喉が……お茶じゃないものが飲みたいわ。ちょっと食堂へ行ってジュースをとってきますね」

「行ってらっしゃい」


 珊瑚は小首をかしげてそれに応じる。


 お菓子のお代わりが欲しいわ、という理由でもうひとりの少女が席を立ったのは、それからいくらもたたないうちだった。行ってらっしゃい、と珊瑚は応じる。


 最後に残った寧々が、「お湯を新しくしてきましょう」という理由で、まだ注ぎ口からかすかに湯気の立っているポットを手にして席を立った時に、珊瑚は理解した。このお茶会は、朝彦とふたりきりになるようあらかじめ仕組まれていたのだと。


 東郷朝彦はというと、素知らぬ顔で悠々とのどを潤している。


 動揺したら負け、と自分に言い聞かせながら手を伸ばして、珊瑚は白黒チェッカーのクッキーを一枚とる。バターの香りと仄かな塩気が口の中に広がった。

 背の高いシュロの植え込みが風で揺れて、鋭角な葉の隙間から強い日差しがテーブルにちらつく。


「腹黒いわね」

「はい!」


 満面の笑顔で帰ってきて、珊瑚は思った。違う、褒めてない。


「自分で言うのもなんですけど、手回しも早い方だと思ってます。だから、意外と相性はいいと思うな」

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