第3章 失われた顧客名簿 1
ついたその日は、一切授業には出ることなく終わった。
「ちょうど空き部屋があってよかったわ、お友達同士のほうが良いでしょ?」
部屋をあてがわれ、まずは制服が合うかどうか見てもらう。
珊瑚はへばってしまってそれどころではなかったので、シキだけが試着した。
私立金葉学園の制服は、白地に黒の変則セーラー服で、脱ぎ着が楽なように上着のボタンは前あき、黒のスカーフは胸の高めの位置でリボン結び、袖はふっくらしたパフスリーブだった。黒のプリーツスカートは膝よりも少し短めで足がすらりと見えるタイプだ。
こういうかわいいの、あたし似合わないんだけど。とシキは口を尖らせたが、寧々(ねね)は、とっても素敵よ、スタイルがいいのねと上手に褒めてくれた。
「教科書は揃っていると思うわ。基本的な時間割はプリントにある通りだけど、希望すれば特殊な授業や高度な内容を受けることも可能だから。もしそうしたければ、先程の、学園長先生に相談してみてね」
「特殊って?」
「例えば私なら、子供の頃から日舞をやっているので、その先生を月に一度呼んでもらったり」
「にちぶ」
あきらかに、それってなんだっけ、みたいな発音でシキが繰り返したので、寧々はくすりとおかしそうに笑った。
寧々に案内されて校舎の中を歩いていると、ちらほら、他の生徒とすれ違う。
「こんにちは、寧々さん」
「ハーイ、寧々」
生徒たちが挨拶するのに、寧々はおっとりとうなずいて返している。
「外国人の生徒も、いるんだね」
すれ違う生徒の何割かが英語で話しているのを見てシキは言ったが、寧々はごく当たり前のことのように言ったのみだった。
「私立ですからね」
その日の午後は寧々まで一緒に授業を休ませてしまったのだが、別に構わないわ、と本人は気軽に笑った。
学園は決して大きいわけではなかったが、在籍している生徒数もそう多くないため、空間は広々として感じられた。
「五十人、いるかいないか、かしらね」
中等部と高等部を合わせてもそのくらいで、人数は増えたり減ったりするのが当たり前なのだと、寧々は言った。
「それぞれに理由があってここへ来ているから、誰かがいきなりいなくなっても、あまり詮索はしないの。気にしないようにするといいわ」
「わかった」
シキと寧々が部屋へ戻ってきても、珊瑚はまだヘリ酔いがおさまらないらしくて、目に冷えた布をあてて二段ベッドの下段で横になっていた。
食堂までの道は覚えたかと寧々が聞き、シキは大丈夫だと請け合ったので、そう、と寧々は腰を上げた。
「必要なことは、私でも、他の誰でも、その都度聞いてくれたらいいわ。では、夕食の時間にまたお会いしましょう」
◇◇◇
「わたくし、いらないわ……」
「え、食べないの?」
「とても食べられる気がしない」
夜中になってお腹すくよ? ちょっとでもいいから食べておいたら? と誘ったが、ふるふると力なく珊瑚が首を横に振るので、その日の夜はシキだけ食堂へ顔を出した。
そこは食堂というより、ホテルのビュッフェと言った方がいいような場所で、大皿に盛られた料理やパンかごがずらりと黒大理石のカウンターに並んでいた。
プラスチックのトレイを手にしてシキがそれらを感じ入ったように眺めていると、カウンターの内側からにゅっと出てきた顔がある。
「今日から来た子かい?」
まるっとした輪郭の、銀縁の眼鏡をかけた、もうじき初老に差し掛かろうかという年頃のおばちゃんが、白い三角巾の二ヵ所をピンでとめた頭を突き出していた。
「もうひとりはどしたの? ご飯の盛りは? 魚好きかい?」
「もうひとりはヘリ酔いで寝込んでます。えーと……好き嫌い、特にないです。いっぱい食べます」
「はいよ」
なにか圧倒された気持ちでシキがそう答えると、おばちゃんの顔は勢いよく奥へと引っ込んでいき、手早く四角い皿に刺身の盛り合わせを作って、今度は四角いカウンターの穴から手先だけ差し出してきた。
「食べな!」
迫力ありすぎる、とずっしり重たい皿を受け取ってシキは思った。刺身の皿から、伊勢海老の頭とヒゲがはみ出している。
ありがとうございます。それ以外に言うべき言葉はない気がして、シキは毒気を抜かれたような気分でそれを持ったまま先へ進んだ。
「和食がお好きかしら?」
白いご飯にみそ汁、刺身の他におかずを色々取り合わせて持ってきたシキに寧々が言う。
並んでいた料理は、和食と洋食が半々くらいだった。生徒たちの様子を遠くから観察していると、パンを選ぶものが六割、ご飯が二割、残りは果物や飲み物だけをとっていくという様子だった。
「好きっていうか、その、これ、すごくない?」
味噌汁の椀に伊勢海老がごろりと入っているのを指さしてシキが言う。よく見れば刺身の皿にも伊勢海老の他に仄かにピンク色をした真鯛が盛られていて、よくわからない淡白色の刺身をシキが黙って指さすと、それはロウニンアジじゃないかしら。と寧々がこともなげに答えた。
とても寮の食事とは思えなくて、シキが思わず無言になりながら箸を動かしていると、
「お口にあったなら良かった」
「いつも、こんなすごいの?」
「まあね」
寧々はあっさり言って肩をすくめた。
濃厚な甘みが口の中に広がる刺身は言うに及ばず、海鮮かき揚げも、チキンのグリーンペッパーソースも、食事はどれもおいしかった。
これって全部さっきのおばちゃんがひとりで作ってるのかなあ、と考えていると、
「よかったら、お替りしてあげると食堂のおばさんが喜ぶわ」
「そうなの?」
「ええ、食べる人あまりいないから」
「うわ贅沢」
言うと、寧々は首を横に振った。
「海の幸はもうみんな飽きてるのよね……」
まーじーでー、とシキはげらげら笑った。
料理はどれもおいしかったのでぺろりと平らげ、お替りすると、おばちゃんは本当に喜んでくれた。
カウンターの上にはグレープフルーツや緑色の葡萄にまじって、マンゴスチンが山盛りに置かれているのも驚きだった。いくら南方の島とはいってもこんなものが国内に自生しているわけはないから、どこかから仕入れてきているのだろうが、試しにひとつとって食べてみると、新鮮で、果汁がたっぷりでおいしい。冷凍ではないのがすぐにわかる。
(さすが、贅沢を売りのひとつにしてるだけはあるなあ)
珊瑚に持って帰ってあげよっと、とシキは思った。具合が悪くても果物なら食べられるかもしれないし。
(ゆーても、具合悪くさせたの、あたしだけどね……)




