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皀莢の花 白月に咲く  作者: もり
落日の章
3/3

三、浮城の堰 戦神の砦 ― 天正十三年 (1585) 春 鄙館 ―

「はああッ。八反田(はったんだ)(せき)を止めただあ」


 城の本郭(ほんくるわ)、蔵番詰所には卓子(たくじ)が三つ並んでいた。その片隅にて、徳利を注ぎ目を丸め素っ頓狂な声上げるは、南部(なんぶ)信直(のぶなお)が臣、鄙館(いなかだて)城代、千徳(せんとく)掃部助(かもんのすけ)政武(まさたけ)である。

 (よわい)四十を幾つか越えしこの男、後の世に伝うは、清廉潔白、義理堅く情誼(じょうぎ)厚し。斯くも高潔な為人(ひととなり)とされるが、さて、これを当人が聞くと取りうる行動は二つと考えられよう。

 決まり悪き苦き笑いか、腹抱え転げるか。どちらに転ぶかは時の気分と酒の量、ってところか。


市左(いちざ)の仕業か」

「いえ」

 その政武に答える男、名を甚助と云った。甚助は一端(いっぱし)の百姓崩れの足軽だが、博打で儲けた帰り道のように野良着を着崩し、締まり無き笑顔で飄々としていた。言葉遣いこそ丁寧だが、(おの)が主に対する礼としては不遜と取れるも、双方、気にする様子は窺えない。

「なら宇兵衛(うへえ)か」

「左様にございやす」

 宇兵衛とは八反田(はったんだ)宇兵衛のこと。鄙館千徳家臣にて槍を持たせば随一。融通がきかず少々酒に中てられるものの、代々八反田(たて)を護りそこにある水門の番を預かる、剛健質実、豪快豪胆な武の人であった。

「あんの野郎。たかだか野武士の喧嘩に、何故(なにゆえ)百姓を巻き込む」

掃部(かもん)様のお役に立ちたいとの事でさ」

「かああ、お役なものかッ」

 政武は右掌でぺしり額打ち、そのまま抱え項垂れた。このところ良く目にする仕草であった。

 暫しそうしていた、そしてもう暫しそうしていたかった政武だが、半ばまで満たされし碗に一つ口をつけると、気を取り直し甚助に問うた。

「で、その阿呆は今何をしておる」

「嬉々としながら潔斎(けっさい)して、女衆に首を洗わせ丁寧に髷を結っているそうでさ」

「何だそりゃ」

 潔斎とは、身の内外(うちそと)を浄めることである。浮かぶは疑問ばかりの政武。理解外れた行いに、片眉を器用に顰めた。

「何でも、御館様の代わりに髭の奴に差し出す首。貧相なら申し訳が立たぬと」

 得意げに話す甚助に、つくは肘と大きな溜息。そして、

八反田館(はったんだたて)に伝令」

 と、呆れ気抜けた声を出す。だが城主の心情どこへやら、甚助は変わらずへらへら軽い口調で問う。

「誰に行かせやす」

「一番若い(もん)は誰だ」

「弥七でございやす」

「あんの木偶の坊か。まあよい。茶番はやめて堰を放てと伝えよ。伝えたら、そのままどっかに行ってしまえとでも云っておけ」

 声尖る政武。甚助は興味深げに政武を見、意味深げに

「茶番ですかい」

 と、訊いた。

 寸刻、間が開く。も、政武は気を取り直し手にした碗をそのままに、言葉を詰まらせ返す。

「ちゃ、茶番以外の何だ」

「堰を開けても良いんですかい」

「良いも(くそ)もあるものかッ。早よ行けいッ」

 口濁(くちにご)し怒鳴る政武に、甚助は表情一つ改めず二つ返事で戸口抜け、すたすたその場を後にした。

「ああ、あともう一つ。戦があろうがなかろうが、食うていかねば話にならん。田畠は大事にしろと、そう伝えよ」

 終いに政武は甚助の背に大声を張った。果たして聞こえたであろうか。甚助は振り向くことなく足取り軽く走り去った。


 一人残った政武は、再び碗を(つぼ)めた口へちびりちびりと傾ける。

 と、今しがた甚助が出て行ったばかりの戸口が、がらがらと音を立てた。見ると顔立ち端正な娘が、潜り入る。

 (つぶり)は艶めく濡烏。藍染めの()()()(あわせ)をさらり纏い、邪気なき笑顔と飾らぬ振る舞い。どれも上質とは云えぬものの、その娘の愛らしさを深めていた。名を於市(おいち)。齢十七。元来蒲柳(ほりゅう)の質が(ゆえ)早世した政武の正室、於篠(おしの)の姪、元和徳城主小山内(おさない)出羽守(でわのかみ)永春(ながはる)が娘であった。

 だが和徳小山内家は南部のお家騒動に端を発した髭殿(ひげどの)こと、大浦家が当主、右京亮為信(ためのぶ)の蜂起に巻き込まれ、一族郎党皆亡き者にされてしまう。元亀(げんき)二年(1571年)、於市は四つであった。髭殿とは、立派に生やした顎鬚からそう呼ばれていた。何でも唐土(もろこし)の古き武人、美髭公(びぜんこう)(なぞら)えたのだと云う。

 小山内家と縁のあった政武は、大浦に追い立てられ藍苗にて隠棲していた於市を迎え入れた。

 於市から見た政武は、飾らず、偉ぶらず、肩肘張らず、見栄張らず。(まこと)らしからぬ城主であった。それが、幼心に長子満安(みつやす)に家督を譲り、隠居の身であった父永春と重なった。ゆえにすぐに懐き、その小さき胸は徐々に恋慕を募らせる。当の政武はその心持ちに薄ら気付くものの、それを顕すことなく日々を送っていた。だが於篠が己の臨終間際枕にもたげ、泣きじゃくる政武に静かにこう告げた。

「どうか於市を娶ってくださいまし」

 政武は意を汲む。かくして望み叶い、小山内(おさない)の姫は輿入れし、継室として千徳姓を名告ることとなった。天正(てんしょう)十年(1582年)、政武、齢四十、於市、十五のことであった。その祝言の際、政武は「年甲斐もなし」と終始顔を火照らせ、皆に冷やかされていたと云う。


「御館様、その辺でお控えくださいまし」

「云えね姫様、こんな時でも酒が喉を通るんですから肝の座ったお方ですよ、掃部様は」

 奥から恰幅良き男がにやり顔を出す。名は小野惣四郎。蔵方頭を勤める役人である。惣四郎は城主とその奥方の眼前と云うに、これっぽっちも畏ってはいなかった。

「この人、ここしばらくお酒しか口にしてませんよ」

 二人浮かべるは苦笑。それを受け、政武はへの字に口を尖らせた。

「ふんッ。市左(いちざ)の堅物野郎が。証拠にもなく、また(いち)を寄越しやがって。酔う暇もありやせぬ」

 尻の()わりの悪くなった政武は、後にすべく懐を探る。そして卓子(たくじ)の上にじゃらじゃら小銭を載せ重い腰を持ち上げた。

「何ですか、これは」

「いいか、これを持ってな、店畳んですぐにどこかに行ってしまえ」

「毎日顔出しておいて、良くも仰られますな。それに店って云いますが、ここは茶屋じゃありません。蔵番の詰所です」

 惣四郎の顔は終始にこやかなものだった。政武は面白くなさ気に戸口を潜る。於市は惣四郎に素早く深く一礼し、政武を追った。


「どいつもこいつも。逃げてしまえば良いものを」

「御館様こそお逃げになればよいのでは」

 覗き見上げた顔は、揃って皆ああ云えばこう云う、と云いたげに口元を尖らせていた。

「また拗ねて。童子みたいですよ」

「笑いごとかッ」

 くすくすと溢れる笑いを袖元で隠す於市に、政武は怒鳴り顔を突き出すと、そのままぷいっと外方(そっぽ)を向いた。そして肩を怒らせ大股で歩く。そんな政武の後を追い於市は肩を小さく震わせ、人の絶えた裏道でとことこ足駄(あしだ)を鳴らし、主殿へと向かった。


 ただ誰の入れ知恵にせよ、堰を止めたことは効果的ではあった。鄙館の城の東沿いを南北に流れる前川は水濠の役目を果たす。北の前川下流には八反田館があり上流には畠中館がある。それぞれに隠し水門なるものが設えており、いずれかを堰き止めることで城の周囲一面が大やち(沼地)となる構造をしていた。これは水濠となり護るに有用だった。

 ただ状況を鑑みるに、有用であったが迂遠(うえん)であった。為信はその気になれば、諏訪堂に張っていた西からの本隊と、それに加え南の猿賀(さるか)から、乳井(にゅうい)大隅守(おおすみのかみ)建清(たけきよ)率いる大光寺(だいこうじ)の軍勢が、東の黒石(くろいし)から、同族の千徳大和守(やまとのかみ)政氏(まさうじ)率いる汗石(あせいし)の軍勢が、いつでも攻め入るよう詰めていた。

 その数纏めて三千余り。対する政武の兵は四百にすら届いてはいなかった。如何に強固で知られる鄙館の城と云えど、衆寡(しゅうか)(てき)せず。結果は自ずと見えていた。


「またも、呑んでおられたのですか」

 主殿に戻った政武を迎えるは、醸す酒気を感じ取った家来福士(ふくし)市左右衛門(いちざえもん)の小言であった。この男の素性と云えば、和徳(わとく)小山内家の遺臣である。実直、卒なく、心胆強く、(まこと)忠節。天に向かい真っ直ぐ伸び、決して折れぬ檜葉(ひば)の大樹の如く。そう評されていた。そして市左右衛門は、その風貌からこうも呼ばれていた。鬼ッ面(おにっつら)と。

 政武は誤魔化すように袴の裾をばさばさ払って土埃を立たせつつ、この男とさんざん交わしたやりとりを頭に浮かべる。



 ── 御館様、やはり八反田の堰を止めなされ。これで大浦は攻め倦ねましょうぞ。

 ── 何度も云うておるだろ。堰を止めたら、ここら一帯泥だらけ。それじゃあ米は実らぬ。

 ── 米なら翌年実りましょうぞ。それよりも御館様が生きてこそ国栄えると云うもの。どうかお考えを。

 ── なら、堰き止めてどうする。

 ── 時を稼ぎまする。

 ── 稼いでどうする。

 ── 疲弊を待つか、援軍を待ちましょう。

 ── 疲弊もせぬし援軍も来ぬわ。

 ── なればどうなさるおつもりで。

 ── 人間、そう多くのことなど出来ぬもの。食って、呑んで、糞して、寝る。それが死ぬまで続く、ただそれだのことよ。

 ── 何と。

 ── それ以外は些事。放って置けば良かろう。



 いくら言葉重ねるも分悪き問答。いつも終いは煙に巻いていた。その男に疑い晴れぬ政武は、とうとうしてやられたのではないかと、片眉釣り上げ口元歪め、

「あのなあ市左、戦に勝とうが負けようが百姓は食うていかねばならん。戦に田や畠なんぞ巻き込むもんではない」

 と、堰を止めたことを暗に責めた。が、その答えは別の申し出となり返ってきた。

「ならば大浦(おおうら)(くだ)りましょうぞ。非情なれど心許せば寛大、と聞き及びます。見知らぬ御方でもありませぬし、再三使いを寄越したところを見ますに、そう無碍(むげ)にはされぬかと」

「ああ、うむ。それはなあ、嫌だ」

 曖昧に返す声と顔に決まり悪さを滲ませ、その場をそそくさと逃げる政武の背中を見送る。と、市左右衛門は溜め息混じらせがくりと項垂(うなだ)れた。いくら理を解いても頑として首を縦に振らない。政武はそう云う男だった。それは今に始まらず。いくら咎めるとも、市井に降り百姓と飲み、語り、謡い、踊る。体面などこれっぽっちも気にしない。今もそうだ。時世に逆らい、義、情、筋、恩、そんなものばかりを重んじる。それも良し。それも魅力。だがここに至っては、そうも云ってはいられぬ。なぜなら、一族は滅亡の危機に瀕していたからである。それでも、市左右衛門は主を乗り換えるという思い微塵もなし。そこは同じく頑固者。そんな己を(かえり)み嘲る。鬼ッ面に浮かぶは苦味ばしり珍妙な笑い顔だった。



諏訪堂(すわどう)にて、付城(つけしろ)を築いてございます」

 本郭北に設う(やぐら)に登った市左右衛門を、物見の兵が迎えた。市左右衛門は鬼ッ面を西の方角へと向ける。と、巻き上がるむんっと生臭い湿った風が面に当たり、不快に目を細めた。

 遠く仰ぐと、冠雪残しどっしりとした岩木山(いわきやま)の山容が眼に入る。近くを見ると、練塀(ねりべい)を境に水の嵩増すさまがうかがえる。その間には忙しなく行き交う多くの人と、それを囲う柵が張り巡らされていた。ごくり唾を飲む。と、不意に背中から投げかけられる声に、びくり肩が跳ねた。

「若いと云うに見事な陣を敷くのう、髭の奴も。本当にあ奴の時代が来るかもしれんて」

 振り返ると、付城を眺める政武がいた。出し抜けのことに、驚き隠せぬ市左右衛門。それを目にした政武は、皺刻む目尻を細めた。

大浦(おおうら)など勘弁でさあ。あの男の話しっぷりときたら、こう何と云いますか、体がむずむずしてしょうがないのです」

 市左右衛門を差し置き兵が口を挟む。ともすると不敬な態度に、悪様に何を云うかとばかり、市左右衛門は不快に顔を顰めるも、

「違いない」

 政武は気に留めることなくにんまりと笑った。兵も調子付き、得意げに口を滑らす。

「御館様の方が肌に合うてございます」

「止してくれ」

 途端、政武は頭を掻き鼻を掻き、具合悪き素振りを見せた。


「完成してからでは攻め倦ねましょう。今宵、仕掛けますか」

 と、市左右衛門。

「無駄、無駄」

 が、力強い目線がその言を摘んだ。

戦藤(すわどう)か。縁起まで担いでおるのだ。備え無きこと無かろうて」

 諏訪堂は古くは戦藤と記した。その昔、この地で淵岬(ふじさき)安藤と十三(とさ)藤原、藤を冠する二つの勢力が戦を交えたと伝わるが故のことだ。その名残として、そこには戦神(いくさがみ)が祀られていた。

 政武は、一歩進むと肩落とし

「腰まで浸かれば腰切り田、胸まで浸かれば乳切り田。さしずめここは腹切り田か、首切り田か」

 と、寂しげに呟いた。市左右衛門は政武の捨鉢な物言いに、「御館様ッ」と間髪入れず諌める。

「すまぬ、すまぬ。もう実らぬ田畠を見ると、弱気の虫が肚ん中でわしゃわしゃ疼きよるのよ」

 市左右衛門は見下ろす正武の背中を、しみじみと見詰めた。はしなくも老いたかの如く、一回り小さく見えたからだった。

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