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皀莢の花 白月に咲く

作者:もり
 天正と号された二十年は、とある人物のためにあった時代と云えよう。天下人、織田信長である。
 それまで信長は室町幕府将軍足利義昭を擁していた。が、元亀四年(1573年)義昭が抵抗の意を示したことを切っ掛けに京を追放。その年に元号を元亀から天正と朝廷に奏上し改元した。信長の天下の幕開けともとれる出来事であった。

 そして最果ての地、津軽に於いても、一人の姦雄が台頭した時代でもあった。
 下克上をなした信長に続けとばかりに、後の津軽藩初代藩主、大浦為信が蜂起したが同じ頃。
 それまで津軽は南部家の治めるところにあったが、堀越を皮切りに、石川、和徳と次々と城を落とすと、天正四年(1576年)には滝本播磨守重行が護る大光寺を、その二年後の天正六年(1578年)には、地域一帯を治めていた公卿の末裔北畠の浪岡御所を攻略。破竹の勢いをみせていた。
 要害汗石城の千徳大和守政氏を懐柔し、津軽西南をほぼ手中に収めたが、この地に於いてただ一人、大浦の世を良しとしない者がいた。
 鄙館城代、千徳掃部助政武である。
 しかし衆寡敵せず。鄙館千徳の命運は風前の灯と云えた。




※ タイトルは「さいかちのはな はくげつにさく」と読んでください〜。
  転生もタイムスリップもしませんが、何卒よろしくお願いします〜。
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