2-1
一週間後 23時45分――
「……」
再び桜香山を訪れた相馬優星は、今はその謎の地下空間に独り待機していた。
【戸口】をくぐるまではせず、その手前の玄室にである。
ここに到るまでの潜入経路は前回とまったく変わらない。自分の他は誰も知らない廃洞を拠点に桜香山の裏手から山腹の神社に到り、地下へと通ずる謎の石段を降りる。自衛隊の巡回に一切遭遇しなかったところまでもが前回とまったく同一であった。
敢えて違うところを上げるとすれば、地下探索に備えて携帯可能な酸素計測器などの装備を買い揃えてきたことくらいであろう。
(……おかしなことになった)
深い溜息と共に、優星は頭上の暗闇を仰ぎ見る。ヘッドライトの光では照らし出す事ができない程に、その天井は高い。
今更な話ではあるが、悔いはある。この玄室に優星が腰を据えてから既に小一時間が経過していた。前回の二人組との邂逅の模様を、優星は再び回想し始めた。
状況に流される形でなし崩しに承諾してしまった邂逅の記憶を。
*
「どうじゃ、わしと組まんか?」
『若旦那』――自らをそう名乗った片目出しの青年の提案に、優星は渋面で応えることしかできなかった。あまりにも胡散臭すぎる見た目と言動の為であることは言うまでもない。
「わしらはこの化け物の巣に乗り込み、その様を配信して金を稼ぐ。それに一口乗ってみんか?」
飄々とした口調で俗な勧誘を続ける若旦那に対し、普段の優星であればにべもなく撥ね付け、そのまま背を向けたていたことであろう。
だが若旦那の次の一言は彼が胸中に抱えていた懸念を的確に言い当てたものであった。
曰く、この先その棒きれ一本で独り突き進むつもりか、と。
「……」
この桜香山に、妹に、如何なる災厄が降り掛かったのか真実を知らねばならない。
その上で、ネット上を闊歩する妹に対する不名誉な噂話がデタラメであることを証明せねばならない。
その為にも、優星は如何なる手段をもってしてもこの地下を突破する必要があった。そう、如何なる手段をもってしても。
謎の化け物が巣くうこの地下世界を。
祖父に仕込まれた杖術に自信はある。だが、如何に妹の鈴の音に呼ばれているとは云え、単独での地下探索が無謀であることを認識できない程、優星は己を見失ってはいなかった。
「……確かに、組んだ方が良さそうだな」
遂に、若旦那の誘いに頷く優星。それが動画配信者なる虚業の甘言であることを知りながらも。
*
「おぅ、早いのぉ! 感心感心!」
待ち合わせ時間ちょうどに、玄室に若旦那の鷹揚な声が頭上から響く。その緊迫感の無い大声が、優星を回想から我に返した。
桜香山の山腹に出現した下り階段から玄室の床に降り立つ若旦那。その後ろには今日も又巨漢を一人従えていた。
『バーン・ザ・バーミリオン』――通称『BV』。
若旦那は巨漢には似つかわしくない洒落た名前を優星にそう紹介した。巨漢が自ら口を開いたことはこれまで一度も無い。とは云え、猛々しい吠え声自体は聴いたことがあるので口がきけないということもあるまいとも優星は推測する。
玄室の床を滑るような足取りで優星に近付いてくる若旦那。彼の口にした『感心』が何に対するものであるのかは明白だった。
元々の待ち合わせ時間は今宵深夜0時ちょうどの取り決めで別れた。それが為に若旦那は15分前という早い時間に玄室に乗り込んで来た訳だが、優星は既に彼等を待ち構えていた。それを『感心』と言い表したのである。
実際のところ、優星がこの【玄室】に潜り込んだのは待ち合わせの一時間以上も前の話である。
若旦那に対する殊勝な心掛けの現れなどでは無論ない。逆に彼等に対する警戒心がそうさせたのだ。
『どうやってここに潜り込んだ?』――先日の別れ際に優星は思わずその疑念を口にした。
ふもとの常沼町が自衛隊により封鎖されている以上、真っ当な手段で桜香山に辿り着ける筈がない。優星の様に独自のルートを有していない限り。そしてそんなものが存在しないことは優星自身が誰よりも知り尽くしているという自負もあった。
だが――
『企業秘密じゃよ』
ウインクによる茶目っ気を出しながら若旦那が悪びれもせず応える。
『お前さんだってそうじゃろう?』
若旦那の言葉自体ははぐらかし以外のなにものでもなかったが、逆にそう問い返されると優星も口をつむぐほかなかった。
優星が若旦那に対する警戒を更に強めたのはその時が始まりである。玄室で解散した際も彼は先んじて独り階段を駆け上り地表で一旦は身を隠した。そして若旦那達が自分に続いて地上に戻って来る気配が無いことを確認した後、跡を付けられぬように山中に紛れ廃洞まで戻った。
逆に若旦那達を待ち構えそれを尾行する選択もありはしたが、無用なリスクを犯す気にもなれなかった。
今日、待ち合わせから一時間以上も前に玄室に乗り込んだのも自分の侵入経路を秘匿する為である。廃道から出る時も、そこからこの窖の底に辿り着くまでも付けられている気配は無かった。忌々しい祖父によって仕込まれた杖術の心得により――皮肉な話ではあるが――生半可な監視の気配を察知できるという自負が優星にはあった。
そのような様々な思案を彼が巡らしている間に、【戸口】の前に立った若旦那は手持ちのビデオカメラを三脚に固定する作業を終えていた。
「そういえば、芸名は決めてきたか?」
まずはBVを【戸口】の脇に立たせてカメラの写り具合を確認する若旦那。彼が唐突に優星に話を振ってきたのは、その作業の最中であった。
「……」
今この瞬間まで、優星は若旦那に己の本名を明かしてはいなかった。そもそも素性を伏せるのはお互い様ということもあり、それを若旦那が咎めることも無かった。
その代わり――別れ際に若旦那は、実況動画用の芸名を次までに考えておくように優星に告げた。本名でも別に構わんけどなと、軽く笑い飛ばしながらも。
「――アラキ」
ぶっきらぼうを装いつつ、優星は己の仮の名を答えた。その名が自嘲の成すものであることを、誰にも分かるまいと更なる自嘲と共に。
その優星をBVと対になる形で阿吽像の如く【戸口】に立たせた後に、若旦那自身は【戸口】に広がる闇の真ん前に無造作に立った。
「えー」
ゴホンゴホンとわざとらしく咳をした若旦那は、やや上ずった声を上げながらカメラに向かって両手でVサインを掲げてみせた。
「それじゃあ今からみんなで地の底を目指しまーす」
金棒の端を地に付け不動の姿勢を崩さないBV。
六尺棒を手に憮然とした表情を崩そうとしない優星。とは云え、その表情自体は顔の下半分を覆うサバゲー用のフェイスマスクのおかげで露わとはなっていない。
「ふん」
早速その場でビデオカメラの映像のチェックを始めた若旦那であったが、すぐに嘆息の声をあげる。
「男三人組、むさ苦しいことこの上ないのぅ」
(知らねえよ…)
唐突な難癖に心中呆れる優星に向かって、若旦那は意外にも真剣な口調で優星に問うた。
「アラキよ、お前さん、誰か綺麗どころに当てはないか?」
「――!」
一瞬優星の動きが止まり、そして何かを振り払うように軽く頭を振る。
「知らん」
吐き捨てるようにそう言うと、優星は先陣を切って【戸口】をくぐった。
*
「これは……!」
優星が思わず驚愕の呟きを漏らしたのは、【戸口】の向こう側に脚を踏み入れてからすぐのことであった。
向こう側に脚を踏み入れたのは今回で二度目ではある。正確には前回は謎の半透明の触手に引き摺り込まれた形であった訳だが、若旦那達の乱入に助けられ、結局はその場で引き返すこととなった。
【戸口】をくぐった先の光景をじっくり観察できたのは優星にとっては初めてのことになる。
【戸口】をくぐりさえすれば再び鈴の音が聴こえてくるのではないか――心の奥底で期待していた優星の願いが叶えられた訳ではない。しかし彼が声を上げるには充分な不可思議な光景がそこには広がっていた。
地獄の一丁目という言葉を連想させるような魔境ではない。前人未踏の荒れ地ですらない。優星の目の前に広がるのはそれとは全くの逆、整然とした造りの【地下迷宮】であった。
壁面はレンガに酷似した、しかしそれよりも遙かに大きな固まりである茶色い長方形のブロックを積み上げた造りとなっていた。視界に映る範囲の壁面はどこも同じ構造に見えたが、5m程であろうか、一定間隔で生じている太い縦の亀裂によって区画分けされていた。
床面と天井は壁面とは異なり灰色の一枚岩で構成されており、それもまた壁面とまったく同じ間隔で生じる亀裂によって分割されていた。亀裂の間隔は通路の幅と同じであり、要は巨大な正方形の区画が連結して一つの巨大な【地下迷宮】が構成されているとも言えた。
【地下迷宮】の通路自体は曲がりくねるようなこともなく、優星の正面と右側にそれぞれ真っ直ぐ伸びている。
明らかに自然の産物ではない、人造の【地下迷宮】。目に映るもの全てが直線で構成されたその光景は、装飾の類いの無いシンプルであるが故に幾何学的な美の印象を優星に強く与えた。
「驚いたか?」
棒立ちのまま言葉を失う優星に対し、後から【戸口】をくぐった若旦那が――何故か誇らしげに――声を掛ける。頭をぶつけないように僅かに腰を屈めながら【戸口】をくぐったBVがその後ろに続く。
いつの間に準備していたのか、若旦那の頭部にはヘッドバンドが装着されており、その額には優星と同じくヘッドライトが鎮座していた。ただ頭部を保護する為のヘルメットは被っておらず、その右目も依然として前髪で隠れたままで露わとはなっていない。
「前回お前さんと別れた後に、わしらは少し探索を続けてみたんじゃが――」
ヘッドライトで周囲を照らし、その灯りを頼りにビデオカメラを巡らしながら、若旦那は言葉を続けた。
「どこもこれと同じ造りだぞ」
「妙な話だ……」
気乗りしない声で応じる優星を促し、若旦那が先頭となって目の前の真っ直ぐな通路を歩き出す。その迷いの無い足運びに、優星は既に探索済みだというその言葉が偽りではないことを知る。
本来は護衛として若旦那の更に前を行くべきであろうBVがのそのそと最後尾を歩く様に、両者揃って無警戒過ぎやしないかといういらぬ心配までしてしまう程であった。
だが歩きながら用心深く周囲に視線を巡らせる内に、それらの思いも雑念として優星の内から払拭されていく。
真っ直ぐな通路は曲がり角すらも奇麗に直角を描き、幾何学な造りであることをより一層強調してみせた。途中で分岐する短い通路の奥に扉が見える箇所もありはしたが、遠目には粗い表層の木の扉としか見えなかった。
一行の移動した時間はそれ程長いものではない。周囲を警戒しない急ぎ足であったなら、10分もかかりはしない距離であっただろう。
先頭を進む若旦那の脚が止まり、そのヘッドライトが立ち止まった少し先を照らし出す。
「――!」
優星の眉が険しく寄る。
これまで空気の流れを感じさせない澱んだ【地下迷宮】であったが、その気温が急激に冷気を帯びたように優星は感じた。
彼等の目の前に姿を現したのは、床面に直接口を開けた石の下り階段。そしてその前に陣取り震える半透明の巨大な塊であった。
(やはり、出たか)
優星が六尺棒を握る指に力を込める。忘れる筈もない。覚悟をしていなかった訳もない。
先日に【戸口】に潜み己を引き摺り込んだあの怪物と同一の存在であることは疑いようもなかった。
「さて――」
先頭で立ち止まっていた若旦那がスッと脇に避けて優星に道を譲る。
「この【地下迷宮】がこいつらの巣であることは間違いない。この先、自分の身は自分で守ることが前提となることも、な」
淡々と語る若旦那の顔は、しかしその冷酷な内容に反しどこか楽しげでもあった。
「アラキよ、お前さんもそれなりに腕に自信があるのだろう? その実力をわしらに示してくれんか?」
「自分から組もうと誘っておいて、随分と勝手な物言いだな」
厭味で応じながらも、優星は迷わず一歩前に進み出た。口ではどうあれ、自分の身は自分で守らねばならないという若旦那の言葉にはむしろ納得しかなかった。
まして若旦那は兎も角、その護衛であるBVの腕を前回誇示されたのも事実である。
「見せてやるよ、相…俺の杖術を……!」




