第十二章 音・波 <MIZUKI>
水貴目線
いつも10センチほど遮光カーテンを開けて眠る。今日も天気がいいみたいだ。朝の光が床に落ちて、細い金色の帯を作っていた。
何時だろう?
枕元の時計を見ると9時少し前だった。
昨日は興奮状態が続いていたのか感じなかったが、二ヶ月の撮影で溜まった疲労がまだ体の中に残っているのか、じんわり体の芯が重かった。
ああ、それだけではないか。
原因の一つを作った相手は、隣で眠っている。
あんなに激しく愛し合ったのは何年ぶりだろう。皮膚の下の細胞まで彼の色に染まっていった感覚は、時折体の奥底からちりちりと湧き上がってきて、一日経っても、何度も来るその波に満たされ続けていた。
朝帰ってきた彼は、私の何倍も疲れているだろう。でも触れたい。
安らかな寝息を立てる椎名さんを起こさないように、そっと体を近づけると、すうっと引き寄せ抱きしめられた。
いいなあ、この感じ。ものすごく穏やかな波動が彼の体から伝わってきて、私は、すぐ眠りに落ちてしまった。
次に目を覚ましたら、もう11時だった。十時間近く眠ってしまったことになる。
仰向けの姿勢のまま、顔だけを私の方に向けている。
首から顎の線が綺麗だなと思う。きめの細かい肌質で、どこか女性的な美しさがある。
思わず首筋に触れると、椎名さんが突然目を開けた。
「ごめんなさい、起こしちゃった」
「起きてたよ、おはようのキス、期待してたんだけど」
そう言って、椎名さんは私の手を引き、自分の体の下に閉じ込めると優しい深いキスをくれた。
「抱いていい?」
その一言で体の奥がじんと痺れ、顔が熱を帯びていくのが分かった。
「やばいな、その顔」
「え、あ、椎名さ・・」
再び唇がふさがれ、私にあらがう意志などあるわけがなかった。
夕方、椎名さんの車で神楽坂のスタジオに向かった。
夏の日差しが五時を回ってもきつかったが、風は気持ちよいぐらいの涼しさだった。屋根の無い開放感はとても気に入ってるのだけど、都内をこのオープンカーで走っていると、かなり目立つ。
椎名さんはそれでなくとも俳優と言ってもいいような顔立ちなので、信号で止まった時は必ずと言っていいほど視線を感じるので落ち着かない。
「来月『音の彼方』のマスコミ試写がある。その前に観て欲しいんだ」
「はい、とうとう公開されるんですね」
「0号がまもなくあがってくる」
『音の彼方』は十二年前お蔵入りしたあの映画だ。
真莉絵さんが、なぜ自殺したのか、椎名さんはついに語ることはなかったので、その謎も相まって、彼の幻のデビュー作の話題は連日ワイドショーで特集されていた。
おそらく、テレビ局はこのドラマの視聴率に、その話題の恩恵をねらっているのだろう。宣伝効果の思惑があからさまに見えていても世の中の人々は、そんなことには慣れっこになっている。
「真莉絵のこと、気になる?」
「いいえ」
全く気にならないといったら嘘になる。でも、過去に何があったかは重要じゃない、これからどうするかだと、椎名さんは言った。私だって消えた一年にどんな爆弾が潜んでいるかわからないのだ。
「この仕事が一段落したら、ゆっくり話そう」
車は、地下駐車場に潜っていった。太陽の光が突然遮断され、一瞬目の前が真っ暗になる。
三階のMA室に入ると、プロデューサーの狩野さんが来ていた。すでに作業は始まっていて、SEを入れ終わったところだった。二人で入っていったら皆の視線がさっと集まった。
「おはよう」
「おはようございます」
夕方でも、夜中でもこの業界ではおはようだ。
「監督、ツーショットですか?また、写真撮られますよ」
もちろん狩野さんのいつもの冗談と解るけれど、実際そういう関係なので複雑な気がした。
椎名さんは、そうだねと軽く流していたが、いずれ知られてしまうだろう。この業界は思っている以上に狭いのだ。
特に椎名さんは露出が多いし、スキャンダルの過去もある。映画の公開が二か月後に迫っている今は、加奈の言うとおり確かに危険な時期かもしれない。
写真週刊誌が狙っていることは十分考えられるが、相手が私では記事にならないんじゃないかと思う。彼らが欲しいのは大物女優とのスキャンダルだから。
「暇だったので、見に来ちゃいました。」
「水貴ちゃん、次きまってる?瀬古ちゃんがTK探してたよ。秋の連ドラだけどね。」
「僕が押さえたから無理だよ」
「映画ですか?」
「そう」
「残念、じゃあ、別件だけど、明後日から二日間スタジオ無理かな?急にTKが倒れて困ってるんだ『彼女が消えた日』の5話なんだけど、今手配してる代わりの子が来週までふさがってるんだ。」
「まさか、京さんが倒れたの?」
「ウン、急性の虫垂炎」
「虫垂炎、怖い病気じゃないんですね。良かった。わかりました、京さんの台本なら何とか引き継げると思う。」
「助かるよ、ここにスケジュールと台本よこすよう手配するから。」
「監督はどなたですか?」
「大丈夫、秋葉さんだから、慣れてるでしょ?」
「ええ」
秋葉さんの組なら、気心の知れたスタッフが多いはずだ。
でも、人の台本を引き継いだら、つながりは台本の記入に頼るしかない。普通は記憶で補完する部分が全く役に立たないわけだから、かなり危ない。最悪、直結のロケからセットへのつながりで、役者が違う服を着ていても私には気づかない可能性もあるのだ。収録分を見てチェックするしかないかもしれない。スタジオ二日分なら下手をすると半分以上残っている。かなり大変な事を引き受けてしまったと思った。
休むんじゃなかったの?と、椎名さんが小声でささやいたが
「倒れた人、私の師匠なんです。彼女に見習いについて独り立ちしたから。」
「そうか、疲れてないか?」
「大丈夫です。二日間ですし」
着いて10分ほどで音効さんの準備が整い、音入れが始まった。打ち合わせ通り仕込まれた音楽が映像のタイミングに沿って出されていく。
今回は特番と言うことで単発ドラマでありながら、オリジナルサントラが制作されていた。撮影上がりがぎりぎりだったため、作曲家は半分ほどの映像と、台本のイメージ、監督の意向を受けて曲を作り上げていた。
メインテーマはオーケストラの重厚な音の広がりの中に、シンセサイザーによる水の音が象徴的に組み込まれ、幻想的なイメージを持った曲になっていた。
ピアノバージョンは、人の声を模した音がテーマを追うように幾重にも重ねられ、繊細で尖った危うさを感じた。どの曲も、今まで聴いたことのないタイプで、一つ間違えば完全に音楽だけが浮いてしまう、ある意味とても難しい曲ばかりだった。
曲のイメージだけでなく、椎名さんの音楽のつけ方はやはり独特の雰囲気があった。
誰もがここから始まるだろうと予想する、その瞬間に音は来ない。
一瞬の気持ち悪さの後に曲が入ってきた時、あっ、と思う。
気がつくと、その場面にはその音楽がなくてはならない物となりシーンは完成する。
これは感性の問題だ。あまりにはまっていくので観ていて小気味よかった。音が付くと映像の力はさらに増幅され感動を喚起する。ドラマにおける音楽の効果は計り知れない物があると思う。逆に音楽のつけ方一つで映像は死にもする。やはり椎名さんは凄い人だと思った。
ほんの少し手直しを入れたがほとんど打ち合わせ通りに進んだので思ったより時間はかからなかった。それでも夕食休憩を挟んで、4時間のプレビューが終わった時には、また夜明けを迎えていた。
プレビューに現れた局のプロデューサーはかなり興奮気味に作品のできを褒めて帰って行った。
車に二人で乗って帰ろうとしたところ、狩野さんに呼び止められ、京さんの台本とスケジュールを渡された。
「間に合った、今届いた。あっちもやばい状況になってるからこれから顔出すよ。」
「狩野さん、あの連ドラもやってるんですか?」
「制作会社のプロデューサーなんて、掛け持ちは当たり前だよ。働けど働けど、局に搾取されるんだけどね。もうすこし制作費こっちにおろしてもらいたいよ。ほんとに」
大協テレビは業界最大手の制作会社だけれど、内情は厳しいのかもしれない。
「椎名監督、ホントにお疲れ様でした。また、改めて席を設けさせてもらいます。すばらしい作品をありがとうございました」
狩野さんは作品のできに関してだけはお世辞を言わない。
「いや、こちらこそ、いい条件でやらせていただきました。ありがとうございます。」
「水貴ちゃんもお疲れ。明後日、もう明日か、悪いけどよろしく。ギャラ弾むから」
「期待してます。」
「ところで、なんかいい雰囲気なんだけど、二人ともまさか、違いますよね?」
私は椎名さんと顔を見合わせた。車のエンジンを掛けた椎名さんはさらっと二人の関係を認めた。
「そうですよ」
ニッコリ笑って、右手を挙げると車を出した。振り返ると、狩野さんの唖然とした顔が見えた。自分で聞いておきながら予想もしてなかったという顔だった。
「いいんですか?」
「何が?」
「ばらしちゃって」
「別に隠すこともないだろう?一緒に住んでるわけだし、すぐに気づかれるよ」
「そうですね」
不思議と、椎名さんといると何もかもがうまくいきそうな気がしてくる。
地下駐車場からスロープを上って地上に出ると、亜熱帯のような湿り気を帯びた熱い空気に街は満たされていた。まだ明け方だというのに。
ビルで欠けた太陽が半分見えていた。都会の空は狭い。二人で見る三度目の夜明けだった。




