第27話:勇往邁進
自分でも自分の行動に全くの理解が追いつかなかった。
咄嗟に冬華の腕をグイと掴んだかと思ったら、どうやら私は彼女を身体ごとトイレの中に引き摺り込んでいたらしい。
それはそれは凄い力がでた。これが火事場の馬鹿力というやつなのだろうか……。おおよそ自分の力ではない、なにか原動機やらエンジンやらでもついているんじゃないかという程の馬力だった。肩が外れなかったのは奇跡だろう。
えっ?
というかこれ、私……だよね?
鏡に映る顔を真っ赤にした女の子。肩で呼吸をし、きもそぞろな女性。今朝から百回は確認した間一文字な前髪。家を出る直前までクローゼットを漁り、引っ張り出した灰色のベストとカーキのハーフパンツ。
うん私だ。
で、私はいったい何を……。
たしか冬華とモックで待ち合わせして、着いてみると知らない男の人が土下座していて、どことなく声がとり蔵さんに似てるなーなんて思っていたら、何故かその人と会話することになり、突然彼が本当にとり蔵だと名乗った。
そうだっ!!
私、とり蔵さんと ──── ボフッ。
「ちょちょちょちょ、急にどうしたん綴音」
「無理、無理無理無理無理無理」
爆ぜた。思考が、感情が、目の前が。右に左に上に下にと世界がぐるぐると回っているような気がする。
バクンバクンと高鳴る鼓動は異常なほどに速く、やはり私の身体はエンジンで動いており人ではないのかもしれない。そんなことを思ってしまうほどに、明らかに心と身体、全ての様子がおかしかった。だがしかし……その理由も明確で。
「落ち着きなって綴音。な、何が無理なの?!」
「み、見れない。私、とり蔵さんの顔見れないかも」
「はぁ?」
彼の顔を見たことが無かった私は、想像の中でとり蔵さんの外見を優しそうな年上のお兄さんに設定していた。もっと年配のおじさんかもしれないという気持ちもゼロではなかったし、別にどんな見た目の人が出てきても良いとすら思っていた。
だが、実際の彼は私の想像を遥かに越えていた。
最初はパッとしないどこにでもいる男の人のように思えたのだが、それは気のせいで、彼がとり蔵と名乗った瞬間。世界が光輝いたのだ。
「あ、あんなカッコいいとか聞いてないよぉ……」
「えっ、カッコいい? あの人が? 別に普通な気が」
「いやいやいやいや、何言ってるの冬華。見たでしょあの顔」
「うん、MOBっぽいなと思ったし。割とああいう人どこにでも ────」
「まずなによりあのオーラ、周りがキラキラしてたよね?」
「うん、聞いてないねあーしの話」
「あのセットされた黒髪、今流行りのアップバングっていうのかな」
「うん、あれ何もしてないと思う。1,000円カットでしょ多分、セットじゃなくてアイスコーヒーだよ。濡れてるだけ」
「それにきりっとした眉に凛々しい漆黒の瞳」
「うん、今度周り見てみ? みんなあんな感じよ? そこら中に居る」
「鼻筋もスッと通ってて、たるみ一つないシャープな顎に、肌も凄い綺麗だった」
「うん、盛りすぎかな、普通だね、普通。可もなく不可もない」
「どこか外国の王子様みたいだったよね」
「うん、何が見えてる? 綴音、帰ってこーい」
私の顔の前でおーいと手を振る冬華の手のひらを越え、彼女の豊満な胸を越え、そしてタイルの壁を越え、さっきの席にいる十理さんを私は感じていた。
とり蔵さん、十理って言うんだ。
ふふっ本名ゲット。
今まではどれほどの距離が離れているかも分からなかった彼が今、目と鼻の先にいて……リアルに話しができる。
まるで夢の中にいるような感覚だった。
だけど……。
そんなフワフワした気持ちの中に、僅かではあるが黒いモヤを私は感じていた。
まただ。
「おーい、落ち着いた?」
「あ……うん。だ、大丈夫……かも」
「そっか、良かった。てか大チャンスじゃん綴音、マネージャーさんもいないんだし、ここで彼に急接近しちゃいなよ。アタックじゃアタック☆」
冬華はそういってぐっと拳を突き出す。
「えっ、いやでも……多分また目の前にいくと緊張で話せないと思う」
「もう、ピュア過ぎでしょ」
「だ、だって。とり蔵さんがあんなにカッコ ────」
「はいはい、それはもう聞いたって」
い、いや……でも。
やっぱり上手く話せる自信はない。
私は普段、ライオンの威を借りなければ会話すらできない臆病者なのだ。
「で、でも……」
「でもじゃなーい!! もうしょうがないなー、あーしが ────」
「まって、冬華っ……!!」
咄嗟に掴んだ冬華のパーカーの袖。お手洗いを出て行こうとした彼女を引き止めたその時、私は心に陰った黒いモヤの正体に気づいてしまった。マネージャーさんと話していた時にも出てきたコイツ……。私の中の黒い私……。
あぁそうか。
彼女の腕を引いてトイレに逃げ込んだのもそういうことだったんだ。
私は。彼と……。
十理さんと冬華を会わせたくなかったんだ。
「えっと、どしたん綴音?」
「あ、いや……」
彼は八重樫フューが好き。心の底から愛していることは日々の会話からも分かっている。そんな彼が見た目もそっくりな冬華を、八重樫フューの中身である彼女を見たらそんなの絶対好きになるに決まってる。
今日、彼女が一緒に来ると言い出した時からうっすらと感じていたこと。
ここで袖を離し、冬華を行かせてあげた方がきっと彼は喜ぶ。それに冬華も、すぐに彼の魅力に気づくだろう。そしたらもう、お似合いのカップルの出来上がりだ、私の入る隙間なんてどこにもない。
……。
嫌だ。
嫌だ、嫌だ。
そんなのは絶対に嫌だ。
今までずっと先延ばしにしてきた……。
私の前に立ちはだかる壁。
【八重樫フュー】
こんな分厚い壁を私は乗り越えられるのか?
……。
いや違うか……。
『関係ない』
でしたね。
『流石に九位から先の壁は高いな、とり蔵』
『何を言っているジョン松よ。フューたんのため、目指すは世界一位なんだ』
どんな壁でも、全力で挑むのが ────
『どんな壁でも関係ない。全力で挑むのが ────』
「『ガチ恋勢』ですもんね、とり蔵さん」
そう、私の推しはあなたで。
私もガチ恋勢なんだ。
挑みますよ。全力で。
「綴音?」
「…………」
きょとんと私を見つめる冬華の顔に八重樫フューを重ねる。
「絶対……」
「え?」
「絶対負けないから」
「何がっ!? 急にどしたん?」
「正々堂々私は勝つよ、フューたん」
「はい!? いったい何の話!?……綴音?」
もう目は背けない。
ここからは真っ向勝負だ。
「実は十理さん、八重樫フューガチ恋勢なの」
「へっ!? ま? Vtuberとは聞いていたけど......あ、あーしなん?」
「うん、だからこれからは私と八重樫フューの勝負」
真剣に彼女を見つめる私とは違い、困惑の表情を浮かべた冬華は、私と、壁の向こうにいるであろう十理さんとを交互に見ると、ブンブンブンと両手を振った。
「いやいやいや!? え、全然、全然あーしはそんなつもりないけど!? えっ? てか別に全く、一ミリも興味ないし」
「うん、知ってる。タイプじゃないもんね冬華の」
「そうそう、あーしはああいうMOBっぽい人は」
「十理さんのこと、悪く言わないでもらえる?」
「えぇ……どっちやねん……ぷっ」
「ふふっ」
一度吹っ切れてしまえば案外気持ちはスッキリしていた。
プッツんと途切れた緊張の糸に、自然と笑みが溢れる。
面影を重ねてみたものの、目の前にいるのは紛れもない私の親友で、壁の向こうにいるのは私の片思いの相手。そしてそんな彼は親友の仮染めの姿に恋をしている。
それはそれは歪な三角関係……こんな相関図見たことないよ。
我ながら厄介な人を好きになってしまったなぁ。なんて。
「えっと、それで……もちろんあーしは綴音を応援するんだけど、そういうことなら正体はバラさない方がいいよね?」
「ううん、自然な流れでバレたらそれでいい」
「えっ、いいの?」
「うん、だって十理さんは八重樫フューが好きなんだもん。それを邪魔する権利は私にはないよ。それでこそ正々堂々」
「ほーん……まぁ分かった」
「ふふっ、大丈夫。彼が全部を知ったとしても、私は負けないよ。八重樫フューに」
「いや勝ち確っしょ。八重樫フューであるあーしが綴音の味方なんだから」
「どうかなぁ、冬華も好きになっちゃうかもよ? 十理さんのこと」
「ないない、あーしはまだ恋愛とか遠慮っすわ」
ニヤリと笑う冬華に合わせて頷く。
「じゃあ後半戦行きまっか、あーしにサポートは任せて☆」
「うんっ」
もう恥ずかしいなんて言ってられない。
覚悟してくださいね、十理さん。
今までは受け身な私でしたけど……。
ここからは本気で行きますよ?




