これからの話
朝の空気は、少しだけ張りつめていた。
馬車が去り、伯爵一行の滞在用区画も落ち着き始めた頃。
かおりは、深呼吸を一つしてから歩き出した。
「……よし、行こ」
向かう先は、簡易的に整えられた伯爵の執務スペース。
と言っても、まだ仮の建物だ。壁も床も最低限。だが、空気だけは不思議と引き締まっている。
中に入ると、伯爵が立っていた。
娘の少女は椅子に腰掛け、書類の束を眺めている。
「失礼します」
「おお、かおり殿。来てくれたか」
穏やかな声。
だが、その目は領主のものだった。
「今日は……今後の方針について、お話をしたくて」
「うむ。ちょうど良い」
伯爵は頷き、椅子を勧める。
「まず、ここを伯爵家直轄領とした理由だが」
伯爵は、はっきりと言った。
「この土地は“特殊すぎる”。管理を誤れば、周囲を巻き込む」
「……はい」
かおりは頷く。
「だからこそ、当面は外部との接触を制限する。交易も、人の出入りも、段階的にだ」
「私も、それがいいと思います」
即答だった。
「ここは“便利な場所”になる前に、“安全な場所”であるべきです」
その言葉に、伯爵は目を細めた。
「やはり、話が早い」
少女――姫様も、静かに頷いている。
「建築については、段階的に進めたいです」
かおりは続けた。
「まずは居住区を優先。特に姫様の住まいは、早急に」
「私の?」
少女が顔を上げる。
「はい。床は段差なし。通路は広め。今後の増築前提で」
「……ありがとう」
小さな声だったが、確かな意思があった。
「それと」
かおりは、少し言いにくそうに視線を泳がせてから、頭を下げた。
「今さらなんですが……お名前を、きちんと伺っていなくて」
一瞬、場が静まる。
伯爵は、くすりと笑った。
「失礼したな」
胸に手を当て、名乗る。
「ハインリヒ・フォン・ルーディア。ルーディア伯爵だ」
続いて、少女も姿勢を正す。
「リーナ・フォン・ルーディアです」
かおりは、思わず背筋を伸ばした。
「……改めまして。かおりです。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ハインリヒは、深く頷いた。
「そして、これからは“家族”としても、な」
かおりは、一瞬言葉に詰まり、それから小さく笑った。
「……まだ、実感ないですけど」
「いずれ慣れる」
そう言って、伯爵は話題を戻す。
「では、建築開始だな」
外に出ると、皆が集まり始めていた。
「優先は姫様の家です!」
かおりの声が響く。
「全部一気には無理だから、一部完成→増築方式で!」
「床は段差なし!」
「通路広め!」
「基礎をしっかり!」
指示が飛び、皆が一斉に動き出す。
木工士が木を選び、鍛冶士が金具の準備を始める。
弟子たちは図面を覗き込み、修正点をメモしていく。
リーナは、その様子を静かに見つめていた。
「……ここが、私の領地」
ぽつりと漏れた言葉に、かおりは横に立つ。
「そうなりますね」
「不安?」
「……はい。でも」
リーナは、少しだけ笑った。
「皆が動いてるのを見ると……大丈夫な気がします。それに本ばかり読んでいましたので領地の内外政はお任せ下さい。父からも叩き込まれましたので」
「それなら、良かった」
かおりは、前を向いた。
こうして。
新しい領主の家の建築が始まった。
それは同時に、この場所が“仮”から“本物”へと変わり始めた瞬間でもあった。




