一時では終わらせない判断
リーナは、厨房の端から静かに全体を見渡していた。
香り。動線。鍋の前に立つ二人の手際。
――足りない。
それは、感覚で分かる類のものだった。
「……増やしましょう」
短く、しかし迷いの無い声。
「人手を、です」
驚きはあったが、反対は無かった。
むしろ、皆どこか納得した表情をしていた。
この忙しさは、“一時の騒ぎ”ではない。
リーナは、すでに次を見ていた。
数日後。
町の中心部から、少しだけ外れた場所。
人の流れはあるが、混雑し過ぎない区画。
そこに、木材と石材が運び込まれていた。
「……建てるんですか?」
誰かの問いに、リーナは頷く。
「はい。店として」
領主館で続けるには、限界がある。
香りも、人も、そして期待も。
「これは――」
リーナは、はっきりと言い切った。
「一時的なものではありません」
試験でも、実験でもない。ましてや流行りでもない。
この町に、“新しい食”を根付かせる。
そのための場所。
工事の音が響く中、かおりは少し離れたところから、その様子を見ていた。
「……本気だなぁ」
思わず、そう零す。
ラーメンを食べたかっただけ。
餃子を作ってみただけ。
カレーを再現しようとしただけ。
それが、店になる。
「……いや、まあ」
肩をすくめて、苦笑する。
「逃げ場、無くなったわね」
けれど。その表情に、後悔は無かった。
町の外れに建つ、新しい店。
それは、騒動の終着点ではなく――
この町の日常になる入口だった。
人は増えた。
鍋の前に立つ人数も、下ごしらえをする手も、香辛料を計る者も。
――だが。
「……味が、違う」
かおりは、そっと眉を寄せた。
昨日と、同じ配合。同じ手順。同じ火加減。
それでも、微妙に違う。
「こっちは少し尖ってる」
「こっちは、丸いけど弱い」
原因は、すぐに分かった。
「……感覚、か」
数をこなしてきた二人は、鍋の音、匂い、泡立ちで判断している。
だが、新しく入った料理人たちは――
「分量は合ってます」
「時間も守っています」
“正しい”ことをしている。
それなのに、同じ味にならない。
「これは……」
かおりは、思わず頭を抱えた。
料理って、こういう所が厄介なのよね。
教えられるのは、数字と手順。
だが、味を決める最後の一押しは――
「……経験」
言葉にしづらい部分。
「この匂いになったら止める」
「この音になったら弱める」
「この色は、もう一段階手前」
それを、どう伝えるか。
かおりは、深く息を吸った。
「……分業、しましょう」
全員が同じ事をする必要はない。
「香辛料担当」
「スープ担当」
「火加減担当」
まずは役割を固定する。
「一度、身体で覚えてもらいます」
時間は掛かる。遠回りだ。
でも――
「急いで覚えさせると、味が壊れる」
リーナは、その言葉に静かに頷いた。
「では、育成を前提に組み直しましょう」
「はい」
かおりは、少しだけ肩の力を抜いた。
増えたからこそ、ちゃんと育てないとね!
香りだけでは、料理は続かない。
数だけでも、回らない。
味を、共有する。
それは、道具よりも、仕組みよりも――
ずっと難しい仕事だった。




