火の前に立つ資格
専属料理人の育成が決まった翌日。
城の調理場には、珍しく緊張した空気が漂っていた。
集められたのは、料理人見習いから、すでに厨房を任されている者まで、合わせて十数名。
「本日は、新しい料理の担当者を選抜します」
料理長の言葉に、背筋が伸びる音が揃って聞こえた気がした。
かおりは、少し後ろからその様子を眺めていた。
思ったより多いわね……
「この料理は、香辛料を多く使います。
失敗すれば、不味くなるだけでなく、体調を崩す恐れもある」
料理長は、あえて厳しい言葉を選ぶ。
「よって――
“言われた通りに作れる者”ではなく、
“理解しようとする者”を選びます」
数人が、ごくりと喉を鳴らした。
次に前へ出たのは、かおりだった。
「私は料理人じゃありません」
その一言に、場がざわつく。
「でも、この料理を最初に作ったのは私です。
だから、味の正解と失敗は分かります」
視線が、一斉に集まる。
「今日の選抜は簡単です」
かおりは、机の上に並べられた食材を指差した。
「この材料で、自分が一番得意な料理を作って下さい」
「え……?」
予想外の課題に、戸惑いの声が上がる。
「理由は一つ」
かおりは、静かに言った。
「基礎が出来ていない人に、香辛料料理は無理だから」
納得したように、料理長が頷く。
調理場に火が入り、音が戻ってくる。
包丁の音、油の弾く音、湯気。
かおりは、一人ひとりの手元を見て回った。
慌てない人。
確認を怠らない人。
失敗しても、理由を考える人。
逆に――
勢いだけで作る者、味見をしない者、
指示を待つ者は、自然と目に留まる。
やがて、試食。
「……うん」
「これは、丁寧ね」
「火を怖がってない」
短い言葉だけで、評価は進む。
最後に残ったのは、三人。
料理長が、ゆっくりと告げた。
「この中から――一人」
沈黙。
そして。
「あなたです」
指名された若い料理人は、一瞬目を見開き、深く頭を下げた。
「はい!全力で努めます!」
かおりは、その姿を見て小さく息を吐く。
大丈夫そうね……覚悟はある。
「今日から、私が教えます」
そう告げると、その料理人は、少し緊張しながらも笑った。
「よろしくお願いします、先生!」
……先生、ね。。
かおりは、苦笑しつつも、どこか腹を括った。
こうして選ばれた、たった一人。
火の前に立つ資格を得た者の、
長くて濃い修行の日々が、静かに始まった。
「……では、これが香辛料です」
かおりが布を外すと、机の上には小皿がずらりと並んだ。
赤、茶、黄、黒。
粒状のもの、粉末、乾燥した葉、樹皮のようなものまで。
「……多くないですか?」
弟子が、思わず本音を漏らす。
「少ない方よ」
即答だった。
「今日は“作る日”じゃありません。
嗅いで、触って、覚える日です」
そう言って、かおりは一皿を手に取る。
「これは、単体だと辛いだけ。でも油に入れると香りが立つ」
次の皿。
「これは甘い香り。煮込みに入れると、後味に残る」
また次。
「これは入れすぎると、全部壊す」
「……こ、怖いですね」
「でしょ?」
かおりは少し笑った。
「だから、今日は全部覚えてもらいます」
地獄の始まりだった。
香辛料を一つずつ嗅ぎ、名前を書き、少量を湯に溶かし、油で温め、香りの変化を確認する。
「うっ……鼻が……」
「まだ半分よ」
「は、はい……」
途中から、弟子の表情は完全に無になっていた。
「これは何だと思う?」
「……土、ですか?」
「違う。土っぽくなる香り」
「はぁ……」
「料理は言葉に出来ないと再現できないの」
容赦はない。
昼を過ぎても、鍋には何も入らない。
「作らないんですか?」
「作らない」
「えっ」
「今日は、失敗を頭に入れる日だから」
夕方。
弟子は、椅子に座り込んだまま動かない。
「……正直に言っていい?」
「はい……」
「今日で逃げる人、多いの」
弟子は少し考えてから、首を振った。
「……逃げません」
「どうして?」
「今日、“自分が今まで作ってた料理が、どれだけ感覚だけだったか”分かったので」
かおりは、一瞬だけ目を細めた。
あ、これ……当たりね。
「じゃあ、最後」
小さな鍋を出す。
「これに、三つだけ選んで」
「え?」
「失敗していいから」
弟子は、震える手で三種を選び、鍋に入れた。
……沈黙。
少し温めて、火を止める。
「嗅いで」
「……っ!?」
「どう?」
「……嫌いじゃない、です」
「正解」
かおりは頷いた。
「初日は、それで十分」
外はすっかり暗くなっていた。
「明日から――本当に作ります」
弟子は、疲れ切った顔で、それでも笑った。
「……覚悟、決めます」
かおりは、心の中で小さくため息をつく。
あーあ。本格的に、面倒な事になったわね。
――こうして、“スパイス地獄一日目”は幕を閉じた。




