これは売り物にするか否か
「――では、本題に入ります」
リーナのその一言で、場の空気がぴしりと締まった。
長机の上には、例の鍋。
蓋は閉じられているが、わずかに残る香りが、存在感を主張している。
……まさか、こんな会議になるなんて!
かおりは内心でため息をついた。
正直に言えば。
自分なりに納得できるところまでは、出来たと思う。
完璧ではない。
でも「これは違う」と言われるほどでもない。
……そのくらい。
「味については、既に確認済みですね」
料理人たちが無言で頷く。
「香りが強い点は懸念材料ですが、
逆に言えば“記憶に残る料理”です」
商人が口を挟む。
「売り物として考えた場合、希少性は高い。
ただし、扱いを間違えると混乱を招く」
「実際、招きましたしね……」
かおりの小さな呟きに、何人かが目を逸らした。
うん。私だけの責任じゃないよね?
リーナは顎に手を当て、少し考え込む。
「つまり」
静かに、結論を整理するように言った。
「味は問題なし。
再現性も、努力次第で確保可能。
ただし――」
視線が、かおりに向く。
「作る人を選ぶ料理、という点が最大の問題ですね」
「……はい」
否定できない。
香辛料の配合、火加減、仕込み。
少しズレれば、まったく別物になる。
家庭料理向きじゃないのよね……
「売り物にするなら、管理が必要です」
「しないなら?」
「このまま、幻の料理です」
即答だった。
しばしの沈黙。
かおりは、天井を見上げる。
どうしてこうなったんだっけ……
ただ、食べたかっただけ。
少し懐かしい味を思い出しただけ。
それが、会議室で“売り物か否か”を議論される事態になるなんて。
「……まあ」
かおりは小さく息を吐いた。
「仕方ないですね」
全員の視線が集まる。
「ここまで来たなら、ちゃんと考えましょう。
売るにしても、売らないにしても」
リーナは、ゆっくりと微笑んだ。
「では、次は――
“誰が作るのか”を決めましょう」
あ、逃げ道無くなった?
こうして、
一皿の“食べたかっただけの料理”は、
本格的に運命を決められる段階へと進むのだった。
静まり返った会議室で、最初に口を開いたのは、リーナ付きの料理長だった。
「――専属料理人を、育てるのは如何でしょう」
その言葉に、数人が「やはり」と頷く。
かおりは、嫌な予感しかしなかった。
「香辛料の扱い、火加減、仕込み。
どれも経験が物を言う料理です」
料理長は淡々と続ける。
「ならば、不特定多数に広めるのではなく、
最初から“作る者を限定する”」
「つまり……」
商人が言葉を引き取る。
「この料理専用の料理人を用意する、という事ですね」
「はい」
はっきりとした肯定。
うわぁ……一気に話が本格的に……
「専属にすれば、品質は保てます」
「勝手に真似される事も防げます」
「提供量も管理出来る」
次々に挙げられる利点。
リーナは腕を組み、少し考え込む。
「育成には、どの程度の期間が?」
「早くても数ヶ月。安定するまでなら、半年以上は必要でしょう」
「教えるのは?」
全員の視線が、再びかおりに集まる。
「……私ですよね」
思わず苦笑が漏れる。
「他に、正解を知っている人が居ませんから」
料理長が申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご負担はお掛けしますが……」
「いえ、そこはもう覚悟してます」
かおりは、肩をすくめる。
逃げ切れると思ってた私が甘かった。
「ただし」
指を一本立てた。
「人数は最小限にして下さい。
一度に大勢教えるのは無理です」
「では――」
リーナが決断する。
「候補者を数名選抜。
まずは一人、確実に仕上げましょう」
その言葉に、空気が引き締まった。
決まった……完全に決まった……
「かおりさん」
リーナは、どこか楽しそうに微笑む。
「先生役、宜しくお願いしますね?」
「……はい」
かおりは、観念したように頷いた。
ラーメンに餃子に、次は師匠業……
こうして、“売るか否か”の議論は、
“育てる”という現実的な選択へと収束していく。
そしてかおりはまだ知らない。
この決断が、思った以上に長く、賑やかな日々の始まりになる事を。




