実験中のはずでした
朝。
かおりは念のため、もう一度入口の看板を確認していた。
「只今、新商品メニュー実験中!
上手く行ったらレシピ公開しますので――」
「……うん。大丈夫。ちゃんと“実験中”って書いてある」
誰も来ないはず。
そう思いながら、香辛料の袋を抱えて厨房へ戻った。
鍋に油を引き、刻んだ香味野菜を入れる。
じゅわ、と控えめな音。
「最初は弱火で……焦らせない、焦らせない」
少しずつ、香辛料を加える。
慎重に、慎重に。
――その頃。
「おい、あれ見たか?」
「実験中? 新商品?」
「この前のラーメンの人の家だろ?」
通りを歩く人が、立て看板の前で足を止めていた。
「レシピ公開って書いてあるぞ」
「つまり……完成したら、また凄いのが出るって事じゃないか?」
ひそひそ、ざわざわ。
厨房では、かおりが気付いていない。
「……ん?」
ふと鼻をくすぐる香りに、首を傾げる。
「……あれ? 思ったより、出てる?」
慌てて火を弱めるが、時すでに遅し。
複雑で、食欲を刺激する香りは、窓の隙間から外へと流れ出していた。
「……ま、まずい」
外が、やけに静かだ。
不安に駆られて、そっと扉を開ける。
――そこには。
看板の前に集まった数人の住民。
腕を組んで真剣な顔の商人。
なぜか腕を組んで頷いている料理人。
そして。
「かおりさん」
にこやかに立っている、リーナの姿。
「“実験中”と書いてあったので、見学に来ました」
「……え?」
「いい香りでしたよ。まだ“途中”なんですよね?」
「…………はい」
かおりは、そっと扉を閉めかけた。
看板……逆効果じゃない!?
その日。
“実験中”のはずのカレーは、いつの間にか公開審査会へと変わっていた。
「……では」
リーナは、妙に改まった口調で言った。
「本日は“新商品メニュー実験”の試食確認を行います」
「ちょ、ちょっと待って下さい!
確認って……そんな大げさな……」
かおりの抗議は、集まった視線に押し潰された。
鍋の前には、いつの間にか即席の円陣。
商人、料理人、使用人、そして通りがかりの住民までいる。
完全に公開裁判じゃない……
「まだ完成じゃないんです。本当に途中で……」
「途中でも構いません」
料理人が真顔で頷く。
「香りだけで判断すれば、これは新しい系統です。むしろ“途中”を知れる機会は貴重です」
「え、えぇ……」
逃げ場は無い。
小皿に、慎重にスープ状のそれを注ぐ。
色は少し薄いが、表面には油が浮き、複雑な香りが立ち上る。
「では……」
最初に口を付けたのは、リーナだった。
一口。
しばし沈黙。
お願いだから何も言わずに帰って……!
次の瞬間。
「……なるほど」
その一言で、場の空気が変わった。
「最初に甘み、その後に複数の香辛料が追いかけてきますね」
「はい……」
「ただ、刺激は抑えめ。これは……主食と合わせる前提?」
「……ご飯です」
「……ご飯?」
ざわ、と周囲が小さくざわつく。
商人が続けて口にする。
「面白いな。スープとも違う、シチューとも違う。だが、確実に“癖になる系”だ」
別の料理人が顎に手を当てる。
「香りが強い分、食べる前に覚悟が要るが……
食べ始めると止まらない」
止まらないって言った……
かおりは頭を抱えたくなった。
「まだ改良しますから!今日はこれ以上、広めない方向で……」
「無理ですね」
即答だった。
「これは“完成したら危険”です」
「危険!?」
「ええ。人が集まり過ぎます」
その言葉に、全員が深く頷いた。
リーナが、楽しそうに微笑む。
「ですから、かおりさん」
「……はい」
「完成までの間、“管理下での試作”という形にしましょう」
「管理下……?」
「ええ。公開裁判――失礼、公開試食は、今日で終わりです」
かおりは、ほっと息をついた。
……が。
「代わりに」
リーナは続ける。
「完成まで、定期的に“内部確認”を行います」
「…………」
それ、結局食べる人減ってないよね!?
その日、かおりは悟った。
“実験中”の看板は、もう二度と立てない。




