記憶の中の麺を今ここで
最初は、何を作ろうかしら?
かおりは台所に立ち、置かれた材料を眺めながら小さく首を傾げた。
小麦は潤沢にある。これは本当に助かる。
「でも……パスタは、もう飽きたかな」
この世界に来てから、小麦料理といえばどうしても似たものに寄りがちだ。
焼くか、煮るか、伸ばすか。
味付けも決まった範囲から大きく外れない。
「……うどん、打ってみる?」
ふと思い付いたその言葉に、かおり自身が少し驚いた。
でも、考えてみれば条件は揃っている。
小麦。
水。
塩。
そして――やる気。
「うん、これなら今ある材料でいけるわね」
◇
ふんふんふん〜
ふんふんふん〜
鼻歌交じりに、生地をまとめ、こねる。
手のひらに伝わる感触は、少し懐かしい。
あ、これ……覚えてる!
前の世界で、動画を見ながら真似した時のこと。
失敗して、太さがまちまちになって、でもそれでも美味しかった。
薄く伸ばして、小麦粉を振って。
生地を重ねて、包丁を入れる。
「……よし」
太さは揃っていない。でも、それでいい。
◇
次は茹でる工程だ。
たっぷりのお湯を沸かし、切った麺をそっと入れる。
「どのくらい……茹でるのかしら?」
時計は無い。タイマーも無い。
でも。
「まあ、少しずつ食べて、食感で確認すればいいか」
実にかおりらしい結論だった。
一口すくって、ふーっと冷まして、噛む。
「……まだね。もう少し」
再び鍋へ。もう一度、確認。
「……うん、いいかも」
◇
つゆは、完全再現とはいかない。
醤油に似た発酵調味料。
干した川魚を削って、香りを出す。
(出汁って、こういうのよね!
正解かどうかは分からない。
でも、方向性は間違っていないはずだ。
◇
「さて……食べてみるかな〜」
器に盛られた麺を見て、かおりは少しだけ緊張した。
期待しすぎると、がっかりするから。
そっと一口。
……。
「……あ」
思わず、声が漏れる。
完璧ではない。
前の世界のうどんとは、確かに違う。
でも。
「ちゃんと……うどんだ」
喉を通る感触。
噛んだ時の、あの独特の柔らかさ。
これ、ちゃんと再現できてる……
かおりは、知らず知らずのうちに笑っていた。
それは、この世界で初めて「記憶の味」に手が届いた瞬間だった。
うーん!良いわね!!
かおりは、もう一口すすってから満足そうに頷いた。
刻んだネギっぽい香草が、思った以上に良い仕事をしている。
「やっぱり、香りって大事よね……」
つゆの熱で少し柔らかくなったそれが、麺に絡む。完全に同じではないけれど、方向としては十分すぎるほどだ。
「小麦粉の扱いも……だいぶ上手くなったわね」
最初にこの世界で粉を触った頃を思い出す。
水加減が分からず、べたついたり、逆にボロボロになったり。
でも今は、生地の表情でだいたい分かる。
もう少し水。ここで休ませる。
今なら切れる。
◇
「となると……」
自然と、次の発想が浮かぶ。
「餃子の皮……いけるわよね?」
薄く伸ばして、包む。中身は、肉と野菜。
蒸しても、焼いてもいい。
「焼売も……多分いける」
皮の厚みを変えるだけ。
技術的には、もう射程圏内だ。
かおりは、器を置いて、ふと天井を見上げた。
「……ん〜」
別の欲求が、むくむくと湧いてくる。
「なんか……ラーメンも食べたくなってきたわ」
うどんよりも、さらに複雑。
麺も違うし、スープも違う。
でも……
小麦はある。塩もある。
肉も、骨も、魚も、香草も。
「理論上は……出来るわよね?」
かおりは、ふっと笑った。
「次は……ラーメン、行くかな?」
◇
それはただの食欲かもしれない。
けれど同時に、この世界で「再現できる範囲」が、確実に広がっている証でもあった。
小さな満足と、次の野望。
その両方を胸に、かおりは空になった器を見下ろした。




