線を引く前の相談
リーナの執務室は、いつもより静かだった。
書類の山も、急ぎの報告もない。
それでも、リーナはかおりの表情を見て、すぐに悟った。
「……今日は、道具の話ではなさそうですね」
「ええ。たぶん」
かおりは苦笑し、手にしていた紙束を机の上に置いた。図とも、メモともつかない、線と単語の集まり。
リーナはそれを一枚ずつ、丁寧に見ていく。
「畑、市場、その間……」
「はい。今までは“楽にする物”を作ってきました。でも――」
かおりは、少し言葉を探した。
「今回は、“誰かの手を楽にする”話じゃありません」
◇
かおりは、ここ最近市場で見た光景を、淡々と説明した。
農家が、育てて、運んで、売っていること。
売れ残りが出ること。
量が揃わず、機会を逃すこと。
「誰かが怠けてる訳でも、能力が足りない訳でもありません」
「ええ」
リーナは頷いた。
「むしろ、皆よくやっています」
「だからこそ、なんです」
かおりは、紙の上の線を指でなぞる。
「この“間”を、どう扱うか」
「……流れ、ですね」
「はい。ただし」
ここで、かおりははっきり言った。
「まだ、形にするつもりはありません」
◇
リーナは、意外そうに眉を上げた。
「作らない、と?」
「ええ。今すぐに“制度”や“組織”を作ると、壊します」
かおりの声は静かだが、迷いがなかった。
「便利にしすぎると、自分で売る誇りを奪います」
「まとめすぎると、依存が生まれます」
「早すぎると、反発が出ます」
リーナは、深く息を吐いた。
「……その辺りまで、考えて来たんですね」
「考えただけです。だから、荒削りです」
机の上の紙には、こう書かれていた。
・集める
・分ける
・運ぶ
・売る
その横に、小さく。
「※全部を一人でやらない」
「これは……提案というより、問題提起ですね」
「はい。答えは、リーナさんと、領民と、現場にあります」
リーナは、しばらく沈黙した。
かおりは、その間、何も言わなかった。
押さない。勧めない。
やがて、リーナが口を開く。
「……正直に言います」
「はい」
「これは、領主の仕事に近すぎます」
かおりは、微かに笑った。
「だから、勝手にやらないで、持ってきました」
「正解です」
リーナは紙をまとめ、机の端に置いた。
「今は、まだ触りません」
「ですが、“考えておくべき段階”には入りました」
かおりは、ほっと息をついた。
「一つだけ、約束してほしいことがあります」
リーナが言う。
「何でしょう?」
「この仕組みを、“成功”させようとしないでください」
かおりは、目を瞬いた。
「成功を目指すと、広げすぎます」
「広げすぎると、壊れます」
「……失敗も含めて、ですね」
「ええ。“自然に広がらなかった”なら、それが答えです」
二人は、静かに頷き合った。
執務室を出るとき、かおりは振り返った。
「今日は、何も作りませんでした」
「それでいいんです」
リーナは微笑んだ。
「線を引く前に、地面を見る」
「それが出来る人は、そう多くありません」
廊下を歩きながら、かおりは思う。
――これは、発明じゃない。
――統治でも、技術でもない。
「生活の相談、か」
そう呟き、彼女は次の“何もしない時間”へ向かった。




