現場の小さな声
工房を出たかおりは、特に目的もなく領内を歩いていた。
何かを作るためではない。ただ、今の様子を自分の目で見たかった。
畑では、見慣れた道具が当たり前のように使われている。
改良された農具、軽くなった運搬具。
どれも最初は物珍しがられていたが、今では「いつもの道具」だ。
「慣れるの、早いわね……」
それが悪いわけじゃない。
むしろ、良い道具として受け入れられた証拠だ。
畑の端で、数人が収穫した作物をまとめていた。
籠に入れ、運び、降ろし、また積み替える。
動きは以前よりずっと軽やかだが、作業そのものは昔と変わらない。
「かおり様」
声をかけられて振り返ると、顔見知りの作業者だった。
最近は道具の件で何度も話している。
「何か困ってること、ある?」
そう聞くと、相手は少し考え込んだ。
すぐに不満が出てくるわけではない。
それが今の領地の空気だった。
「困ってる……ってほどじゃないんですが」
「ただ……」
言葉を選びながら、ぽつりぽつりと話し始める。
「運ぶのは楽になりました。でも、その後がちょっとだけ」
「数を揃えたり、傷んでないか見たり……そこは今まで通りで」
別の人も頷く。
「市場に出す前の仕分けですね」
「急ぎじゃないけど、時間は取られます」
誰も声を荒げない。文句でもない。
ただの事実として、そう言っている。
かおりは、それを静かに聞いていた。
「なるほど……」
やはり、そこだった。
運ぶ“途中”は改善された。
でも、運んだ“あと”は手つかずだ。
「不便じゃないです」
「でも、もし楽になるなら……助かります」
その言葉は、とても小さかった。
誰かに訴えるほどではない。
でも、確かに存在する声。
かおりは軽く笑って答えた。
「ありがとう。すぐには無理かもしれないけど。覚えておくわ」
その場を離れながら、頭の中で整理する。
今までと同じだ。
大きな問題が起きてからではない。
誰も困っていない“今”だからこそ、手を入れる意味がある。
「やっぱり……流れ、ね」
道具は単体じゃなく、連なって使われる。
運ぶ、置く、分ける、数える。
その一連の動きのどこかを、ほんの少し変えるだけでいい。
まだ形は見えない。
でも、現場の声は確かに受け取った。
かおりは、工房へ戻る道を歩きながら、
頭の中に浮かぶ“ぼんやりした何か”を、そっと手放さないようにしていた。




