待つという判断
「また新しい道具が出たらしいぞ」
そんな噂が、いつの間にか領内を巡っていた。
畑でも、作業場でも、井戸端でも。話題は自然と、最近よく聞くその言葉に集まる。
「今度は、運ぶやつらしい」
「手押し車とか、手引き車だって?」
「もう売らないのか?」
かおりの元にも、そんな声が届いていた。
◇
「まだです」
それが、職人たちの共通した答えだった。
「まだ実験段階だ」
「使い手によって、感じ方が違う」
「壊れた時、どう直すかも見ていない」
以前よりも、ずっと厳しい。
それは意地悪でも、渋りでもない。
一度、成功を知ってしまったからこそだ。
「急いで出して、失敗するわけにはいかない」
職人たちは、そう理解していた。
◇
「もう完成したんじゃないのか?」
「前の道具は、すぐ広がったのに」
そんな不満の声も、もちろんあった。
だが、職人は首を横に振る。
「前回は小さな道具だった」
「今回は、違う」
人ひとり分以上の荷を支える。転べば、怪我にも繋がる。
「だからこそ、時間をかける」
それは、現場を知る者の判断だった。
◇
その話は、やがてリーナの耳にも入った。
「もう欲しがっている人が?」
「はい。結構な数です」
報告を受けたリーナは、少しだけ笑った。
「前例があるから、でしょうね」
便利さを知った。成果を知った。だから、次も期待する。
「気持ちは、わかります」
だが、すぐに表情を引き締める。
「しかし、販売はまだです」
職人と同じ説明を、丁寧に繰り返した。
「今回は、体格差、年齢差、安全性。すべてを確認します」
「領内で使うものですから、なおさら」
誰かが怪我をしてからでは、遅い。
◇
それでも、状況は前とは違った。
「今回は、少し大きな道具です」
リーナは、机の上の書類に目を落とす。
「職人だけでは、手が足りませんね」
加工も、試験も、修正も。やることは多い。
「補佐を、募集しましょう」
すぐに決断した。
木材を運ぶ者。組み立てを手伝う者。試験使用に立ち会う者。
「経験は問いません。話を聞ける人を」
それが条件だった。
◇
募集は、すぐに人を集めた。
「また、新しい仕事が始まるらしい」
「今度は大きい道具だって」
「ちゃんと作るみたいだぞ」
領内には、妙な安心感が広がっていた。
すぐに売られないこと。
すぐに広がらないこと。
それすらも、今では信頼の一部だった。
◇
かおりは、その様子を少し離れた場所から眺めていた。
「……待つって、大事よね」
欲しがられても、出さない。
求められても、急がない。
「それが出来るようになったのは、皆のおかげかな」
成功を、焦りに変えない。
便利さを、無理に押し付けない。
この領地は、少しずつだけど、確実に変わっている。
新しい道具は、まだ完成していない。
でも――




